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工作の時代

 「子供の科学」という雑誌,誠文堂新光社という長い歴史を持つ出版社が,戦前から高い志をもって作り続けてきた子供向けの科学雑誌です。残念なことに,最近は本屋さんでも見かけることが少なくなってきたように思います。

 1923年といいますからなんと大正12年の創刊,今年で実に85年もの間,子供達への科学への好奇心を満たし続けてきました。戦争中も,時局ゆえ戦争に偏った内容ではありましたが出版されていたようですし,科学に夢のあった戦後間もなくから高度経済成長期は言うに及ばず,1990年代のバブル崩壊後の科学雑誌廃刊の流れにも耐え,現在も昔と変わらぬテイストで列んでいます。

 考えてみると,「子供の科学」を読んで育った方の中には,すでになくなってくる方も少なくないはずで,その積み重ねられた時間の途方もなさに,ため息をついてしまいそうになります。

 個人的に思うのは,子供の頃に「子供の科学」に出会えたのか,それとも出会えなかったのか,そこが1つの分岐点であるように思います。それは今も昔も,きっと変わらないでしょう。

 私の場合,幸いなことに,小学生の時に出会うことが出来ました。大阪の交通科学館に行ったときのこと,公開されている図書室で偶然「子供の科学」を見たのです。普段本屋で見かけない科学雑誌でしたし,まるで手に取ることを拒むような地味な表紙に,なかば図書館専用の雑誌なんだろう,と思った(しかしそれはまったく的外れではないことも事実です)のですが,一緒にいた母親は,これが普通の本屋でも売っていること,非常に良い内容を持つ科学雑誌であることを私に話してくれました。

 私が驚いたのは,本格的な電子工作のページがあったことでした。電子ブロックがすべてだった私の電子工作の知識は,バラバラの部品を部品専門店で集め,ハンダ付けして組み立てるという新しい世界との接触によって,あっという間に旧世代のものとなったのです。

 母親は,私が「子供の科学」に触れたことに実に好意的で,その後毎月私の手元には「子供の科学」が届くようになりました。私も読み終えてから,あと1ヶ月も待たされるのかという,待ち遠しい気持ちでいっぱいになったことを覚えています。

 「子供の科学」は,総合的な自然科学の啓蒙書です。地学,生物学,化学,医学,物理学,電子工学とありとあらゆる分野を網羅しています。すべての漢字にはふりがながふってあり,読みやすい文章とわかりやすい図や写真で,子供の知識欲に応えます。

 工作のページは「子供の科学」の伝統ですが,子供がやってしまいがちな「そこらへんのものを適当に使って適当に作る」ということを極力排除し,「きちんとした道具を使ってきちんと作る」ということに,この雑誌で初めて触れた方も多いのではないかと思います。

 「子供の科学」は,それ自身が分岐点として機能します。科学としてくくられる,実に多くの分野を一度に(しかもどれも本格的に)見る事ができ,子供達はその中から自分の好きな物,得意なもの,面白そうなものを見つけて,その分野に自ら伸びようとするのです。その点で,「子供の科学」が扱う分野に偏りがあってはいけません。

 私の場合,電子工作に舵を切りましたから,その後「初歩のラジオ」を読むようになり,あげく現在の職業にたどり着くことになったわけですが,あらゆる可能性を内在したあの時に,他の分野に踏み出していたらどうなっていただろうか,とそんな風に思うことがあります。

 「子供の科学」はあくまで子供の雑誌であり,いずれ読者は離れ,そして次の読者がやってくることを短期間に繰り返します。同じ人が長く買い続ける雑誌とは違い,読んでいる時間は短くとも,世代を越えて読まれてきた雑誌です。それ故,「子供の科学」に郷愁のような物を覚える人は幅広い年齢層に存在していて,みな一様に自らの分岐点を遠い目をしながら振り返るのです。

 なんでこんな話をするかといえば,ちょうど東京・銀座のINAXギャラリーで,「工作の時代展」というのが開催されていて,先日の土曜日友人と一緒に見てきたからです。副題が「子供の科学で大人になった」とあるように,これまでに「子供の科学」に掲載された工作記事を今作り直し,創意工夫で工作を楽しめたあの時代を振り返ろう,というものです。

 「子供の科学」という雑誌の功績を直接的に賛美するものではなく,「子供の科学」にあった工作のページに限定し,しかもそれを今わざわざ作ってみせて,出来上がったものを展示するというちょっとつかみ所のない催し物ですが,これは間接的に,「子供の科学」という雑誌の役割をおさらいするものであると思います。

 その工作の緻密で工夫に満ちていること。本格的な材料を駆使した物から,身の回りにあるものを利用したものまで,工作と言う言葉が示す範囲の広さを感じます。

 展示されている品目は少ない上に,対象を少なくとも40歳代以上としているため,若い人には今ひとつ楽しめないと思います。さすがの私も,直接知っているものにお目にかかることは出来ませんでした。

 ただ,うれしいと思ったのは,工作というものが,科学の根本の1つであると感じた事です。科学には,観察することも考察することも,実験することも大事です。そして実験には工作が少なからず必要です。実験が出来るように作られた実験セットを使って,出るべくして出る結果に満足することも否定はしませんが,前人未踏の新しい発見には新しい実験が必須であるように,創意と工夫で工作することこそ,科学の醍醐味なんだと思います。

 「子供の科学」は,実は大人が読んでも十分に面白い雑誌としても知られています。子供に買うから,といいつつ,親が楽しみにしているという話は昔から聞きますし,まして年々進歩の速度が上がっている科学の分野を,平易な文章で理解できる手段は,実のところそう多くはありません。

 手に入りにくくなっているのが残念で,私も展示会に行く前に予習しておこうと,今月号の「子供の科学」を探してみましたが,今月号は付録がちょっと贅沢だったこともあり,どこも売り切れてしまっていました。

 しかし展示会では予想通り,今月号の「子供の科学」が売られていましたので,気恥ずかしさを押さえて買ってみました。

 実に面白いです。確かに,読み終わるのに時間はかかりません。あれ,こんなに簡単に読み終えてしまうのか,と思うほどあっけないのですが,それも子供が楽に読めるようなボリュームに調整されているのだとしたら,仕方がありません。

 しかし,その内容は実に多彩で面白いです。

 まず特集があります。そしてグラビアのページで昆虫や動物が紹介され,続いて外国の動植物やその土地の人々の暮らしがあり,工作のページがあります。

 読者の傑作写真,発明のページ,科学マンガと催し物情報,読者のページがあって,そして今でも続いている「紙飛行機」。

 基本的な構成としては,少なくとも25年前からなにも変わっていません。残念だったのは,泉弘志先生の電子工作のページがなくなっていること,増永清一先生のメカトロ工作がなくなっていること,でしょうか。それでも二宮康明先生の紙飛行機が今でも続いているのは,感動でした。

 いやー,「子供の科学」を買ってきたら,まずこの飛行機を作るわけですよ。木工用ボンドで作るんですが,乾くのを待てずに庭に出て,弟と飛ばすわけです。紙飛行機と言えば,ノートをちぎって折って作る物と思い込んでいた我々兄弟にとって,ボール紙に木工ボンドで作る競技用機の存在は,まさに新しい世界です。

 調整がきちんと出来ずに何度も落下を続けて壊れてしまったり,たまにうまく飛んでも近所の家の屋根にのってしまったりで,爽快な記憶は全くないのですが,同じ経験と記憶を,今の子供達もするのでしょうか。

 相変わらず「そうなのか!」と思うような興味深い記事がたくさんあり,私も来月から毎月買おうかと本気で思っているほどです。私が知らないだけだったのかも知れませんが,グランドピアノとアップライトピアノで,演奏出来る曲と出来ない曲があるという,楽器として決定的な差があることを,私は今回初めて知りました。

 身の回りにあるものはどんどん豊かになり,創意工夫などしなくても,すでに創意工夫済みの商品があふれかえっています。その便利な世の中に浸りきっている私のような大人にとって,原点を見つめ直す良い機会となりました。そして,いつまでもこの雑誌が,これまでと同じく,科学の真面目な面白さを伝え,やがて彼らに訪れる人生の岐路を照らす道案内になることを,期待してやみません。

 最近の子供達は,というくだりで今日の艦長日誌を締めくくることはしませんし,私には出来ません。今の子供達も,世にあふれる「もの」の中で,しっかり科学と工作への好奇心を持ってくれているようです。ただ,すぐに満たされる物欲のせいで,そうした好奇心に自ら気づきにくくなっているだけだろうと思います。

 子供の科学は,そうした機会の中でも,最も大きな存在であり,かつ貴重な存在である,と思います。

さらに今朝の出来事

 今朝,通勤客を乗せた電車の中で,系単電話の呼び出し音が鳴りました。

 声からサラリーマン風の男がその電話に躊躇なく出ます。

 「今電車の中なんです・・・はい,はいはい,パスワードですか?」

 パスワードを電話で聞くか? 私はそう思いました。彼の電話は続きます。

 「えと,アドミニストレータのアカウントで,パスワードはpassword,ぴーえーえすえすだぶりゅおーあーるでぃー・・・」

 さらに続きます。

 「これでだめだったら,xxさんのアカウントとパスワードで入れるから」

 これで終了。

 果たして,彼は全部でどれだけの「非常識」をやらかしたでしょうか?

みみもと

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 フォステクスというと,MTRのメーカーという人もいればヘッドフォンのメーカーという人もいるし,長岡先生のスワンについて熱く語り出す人もいたりと,なにげに音に関わるメーカーとして,知る人ぞ知る存在です。

 しかしてその実態は,なく子も黙るフォスター電機です。ヘッドフォンやスピーカーの製造元で知られ,「これにも」「あれにも」フォスター電機のスピーカーは入っています。ヘッドフォンなどはそのものずばり,OEMで供給されていたりします。

 私の場合,フォステクスというと自作派を見捨てないスピーカーユニットのメーカーであることと,個性的なヘッドフォンRP50のオーナーであることで,ちょっと特別な存在ではあるのですが,先日RP50のイヤーパッドを直販サイトで購入したことがきかけになり,時々メールが届くようになりました。

 なんでも,リニューアルするとか。

 リニューアル予定の日時を過ぎても準備中と,おいおいこのまま閉鎖するんか,と心配になっていたのですが,ちゃんとオープンしました。

 リニューアル記念に安い物も出ていたのですが,ヘッドフォンのデモ品などは気持ち悪くて却下したところ,結局なにも買う物を見つけることが出来ませんでした。

 ただ,プレゼントキャンペーンがあったので応募してみます。私の場合,大体の場合こういうのに当たった試しがありません。今回も外れるだろうと思いつつ,非売品の「みみもと」というヘッドフォンに応募してみました。

 そんなこともすっかり忘れていた金曜日,なんと当選した「みみもと」が届いておりました。

 いやー,うれしいものですね。ありがとうございます。

 改めて確認してみると,20名に当たるというものでした。応募者がどれくらいいたのかわかりませんが,中に入っていたメモも手作りっぽくて,良い意味でうれしくなります。

 「みみもと」と書かれた包み紙に,簡素なビニル袋に入ったそのヘッドフォンは,非常に軽く,若干粗雑な作りです。しかし,フォステクスのヘッドフォンによく見られる白を基調に,オレンジのFOSTEXロゴが,コアなマニアからの視線を釘付けにしそうです。

 ヘッドフォンですから,なにより音が大事。ということで,早速使ってみましょう。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

 ・・・これはいかんです。

 一瞬,耳がおかしくなったのかと思いました。次にiPodが壊れたのかと思いました。でも,いつも使っているオーディオテクニカのCK7に差し替えて,そのどちらでもないことを確かめて,ほっとしました。

 いや,大多数の人が好む低音バリバリのブーミーな音が出てくると思っていたのですが,実際はそれを含んで,高音がさっぱり出ていない。しかもかなり歪みが大きい上に,中域の山が大きくて,とてもではないけど長時間聞いていられません。

 CK7は,やや低域に偏りがあるものの,基本的にどの帯域にも公平な音です。モニタを目指したと言うだけのことはあります。

 一体,これと同じ物がどのメーカーにOEMされ,なんという型番で売られているのかわかりませんが,仮にこれを2000円とか3000円で買うと,私ならかなりがっかりすると思うのですが,世の中の人はそんなこともないのでしょうか?

 ということで,残念ながら実用機にはなりませんでした。

 ぱっと見ると,おそらく展示会のお土産か取引先へのノベルティだろうと思われるのですが,失礼ながらこれを配るのは自殺行為では・・・と心配になりました。

 誤解のないように書いておきますが,せっかく頂いたものですし,感謝はしてます。フォステクスも好きだし,そこが私にプレゼントですからね,うれしくないはずはありません。

 しかし,音は別です。

 おそらく,好みの問題を通り越して,ちょっとつらいという音になっていたことが,私にとっては残念でした。

 とりあえず,このヘッドフォンのOEM品を買わないように,気をつけたいと思います。

目の前に伝説の人がいるという驚異

 先週土曜日は,かのバート・バカラックのコンサートに行ってきました。大ファン(というかいわゆるポピュラーミュージックに触れるきっかけになった特別な存在だそうです)の友人が「もう80歳だからね,今回の来日は奇跡だ」と声をかけてくれたのです。

 出不精の私としても,せっかく東京近郊に住んでるわけですし,これはやはり見ておくべきだと,そのお誘いにのることにしました。

 繰り返しますが御年80歳。存命なのは普通の話として,失礼ながらステージに立てるのでしょうか・・・それも東京で2回,神奈川で1回,大阪で1回も,です。

 しかし,そんな心配は杞憂でした。2月16日18時。予定通りそのステージは幕を開けました。

 オーケストラに囲まれ,グランドピアノの前に座るその人は,間違いなくバート・バカラックでした。いやー,全然80歳にみえん!

 半世紀以上にわたって,まさにポピュラーミュージックシーンの先頭を走り,まさに道なき道を切り開いてきたその偉大な「発明者」は,演奏する曲があまりに多すぎて,フルコーラスを演奏した曲は少なく,何となく気ぜわしいメドレーが中心です。

 しかし,そのメドレーも違和感なくスムーズに繋がるのはさすが。あれよあれよといううちに,彼の世界に引き込まれていきます。

 注意力が削がれてしまうような夢心地に浸りながら,私は彼の「節回し」に思いを巡らせていました。

 私見ですが,バート・バカラックほど,受け手によって評価するポイントが大きく違う人もいないのではないでしょうか。ある人はコード進行の素晴らしさ,ある人は美しいメロディー,ある人は独特のリズム,という具合にです。

 それは受け手の勝手な解釈によって意見が割れるという意味ではなく,まして評価が定まっていないという事でもなく,これらすべての完成度が一様に高く,受け手がたまたまどれに感動したのか,という「第一印象」によるところが大きいという,そういう意味です。

 私の場合,コード進行でバカラック節」を意識するようになりました。

 面倒臭いのでキーをCにしますが,

C -> F -> G7 -> C

 という3コードは,あまりに普通すぎてつまらんのですが,これを,

Cmaj7 -> Fmaj7 -> FonG -> Cadd9

 とするだけで,随分中間色になる,といいますか,雰囲気が変わるんですね。

 私は,これを誰が最初にポピュラーミュージックに投入したのか,すごく気になっていたのですが,ひょっとするとバート・バカラックがその先駆者ではないかと,今回思ったりしました。本当にところは専門家に任せますが・・・

 同じようなコード進行は,カーペンタースにもよく見られますし,コードとして確立される以前には,オーケストラ出身のアレンジャー達によって普通に行われていたのですが,コンポーザーがこれを意識してスコアに明記するようになった現代とはちょっと事情が違うと思われ,アレンジの1つとして和音を組み立てるのではなく,作曲家が意識してこれらのコードを使いこなす時代が来たのは,やはり彼がきっかけになってるんではないかだろうかと思うわけです。

 カーペンタースについても濃いマニアがいるので,彼らからの異論は当然あると覚悟の上であえて言いますが,結局リチャード・カーペンターも,バート・バカラックのフォロワーに過ぎないということです。そして,それがカレン・カーペンターの声と組み合わさって,彼らの世界として定着しました。私の理解は,あくまでバート・バカラックが源流にあります。

 今回,彼の最初のヒット曲を演奏してくれました。まるで子供向けの音楽のような無邪気な曲だったのですが,彼が演奏前のMCで言うような「私の曲とは思わないかもしれない」という言葉と裏腹に,きちんとコード進行は後のバカラック節を彷彿とさせ,これはどう考えてもバート・バカラックの作品だと思わせるものでした。

 これを半世紀以上も前にやってるなんて,と私は絶句しました。

 今回のコンサートで耳にしたコード進行として,

Fmaj7 -> Em7 -> Fmaj7 ->Em7

 みたいな,坂本龍一が大好きな進行も

F -> GonF -> Em7 -> Am7add9

 みたいな,「威風堂々」のような進行も

C -> Cmaj7 -> C7 -> Fmaj7

 のような,ビートルズ(つかジョージ・ハリスン)の「Something」のような進行も,彼の引き出しから出てくる出てくる。

 あと,

C -> F

 なんかも,いきなりいかず,

C -> Gm7 -> C7 -> F

 ときちんとつないでいく丁寧さ。CからFだとトニックからサブドミナントへの移行に過ぎませんが,Fの前にC7を置くと,ここでCmajからFmajへの転調風味を加えることが出来て,ダイナミックな場面展開を印象づけることができます。

 でも,いきなりすぎるので,お客さんは戸惑います。そこでC7の前のGm7を入れて,CmajとFmajへの変化に階段を付けてお客さんを丁寧に導くのです。

Gm7 -> C7 -> F

 という後半部分はFmajだったとすると結局Fに着陸していますけど,もしこれがCmajだとすると,

Dm7 -> G7 -> C

 となり,この部分だけで独立して,きちんと終止形に落ち着くように構成されていることがよく分かります。Dm7は機能としてIVと同じですから「これからいくぞ」と思わせ,G7で終わりを予見させて,そして予定通りCできちんと終わるという道筋ですが,これを本来の「CからF」という流れの中に劇中劇として組み込むことで,さらにドラマティックになるんですね。

 音楽というのは,聞き手の期待に沿いつつ,適度に裏切ることが心地よい条件だと言われていますので,こうした組み立て方は聞き手に感動を呼び込みます。これに覚えやすいメロディーと印象的なドラム,そして美しいアレンジが加わることで無敵の曲が完成します。

 考えてみると,バート・バカラックの曲は,どれもこれに該当します。

 いやー,参りました。

 ・・・とそんなことを考えながらじっと彼のパフォーマンスに聞き入っていたわけですが,他にも,特にベースとドラムがうまかったということ,ストリングスに全くバラツキがなく,まるで1つの楽器のように鳴っていたことが素晴らしかったことも
付け加えておきます。

 しかし,なにより素晴らしかったのは,彼の肉声です。私はボーカリストとしての彼が大好きで,もっと彼の歌を聴きたかったのですが,もう80歳ですからね,あれだけ歌ってくれただけでも感動的でした。「Make It Easy On Yourself」を聞けなかったことがとても残念ではありましたが・・・

 ただ,3人のボーカリストは私の好みに合いませんでした。声も歌い方も好きではありませんが,なによりあの美しいメロディーを勝手に変えて歌っていることが受け入れがたいものでした。まあ,バート・バカラック自らの意志で彼らを選び,やりたいことを表現しているのでしょうから,私がとやかく言えるわけではありません。


 やはり,あらゆる世代から尊敬を受ける彼のような存在は,あまりに大きすぎるとしか言いようがありません。貴重な公演でしたから,きっと有名人もたくさん見に行かれたんだろうと思いますが,あの場所では少なくとも観客全員が「ファン」として同じ立場に立てたわけで,バート・バカラックという人の存在なくして味わえない連帯感のようなものに,改めてその特別さを痛感した次第です。

 一緒に行った友人は,ボロボロ泣いていました。感動というのは素晴らしいものです。

 コンサートでは,昔の曲だけではなく,新しい曲も聞くことが出来ました。アレンジも楽器も今風で,コード進行はより挑発的なものでしたが,こうして過去の栄光に安住せず,新しい挑戦をする彼のスタンスに,本当の「発明者」の姿を見たような気がしました。

愛されるマシンと処分費用

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 年末年始に実家に戻っていたのですが,母親から「このへんも来年の4月から,パソコンの処分費用がとうとう有料になるので,いらないものは処分したい」と言われました。
 
 実家を建て替えるときに,かなりの古いパソコンを処分したのでそれほど残ってはいませんが,それでも台数で言えば7,8台もあるでしょうか。

 弟いわく「そんなもん,最近のパソコンだけの話で昔のパソコンは関係ないだろう」というのですが,それこそパソコンの素人がどこまでを古い,どこからを新しいと判断出来るわけもなく,結局外観で判断するしかない(つまりキーボードがあってそれっぽいディスクドライブがあって,これみよがしにPersonalComputerとか,MacintoshとかNECとか書かれていたりする)ので,おおむねアウトになるはずです。

 といいますか,今までパソコンの処分費用が無償だったという自治体があったことを私は逆に驚いていて,もしこれが広くアピールできていれば,全国から自作派の人々が移り住んだのではないのかと思ったりしました。

 母親の一番の心配は,実はCRTモニタだったようです。見た目に「いかにも」ですし,すでにテレビは有料化されています。大きいし重たいし,邪魔なことこの上ないものが,これからは好き勝手に捨てられないというのは,確かに面倒な事です。

 それはもちろんのこととして,私は,これを機会に価値のなくなったもの,すでに動作しないものを処分するきっかけにしたいと考えたので,弟と母親の3人で作業を始めました。

 方針として,以下の条件に合致すれば残すこととしました。

・我々兄弟がまともに購入し,原点として特別なお思い入れがあるもの,もしくはその予備機
 -> PC-6001,X1turboIII,X68000PRO,PC-6001mk2

・今後も使用する可能性があるもの
 -> MacintoshG3DT

・歴史的価値があると判断されるもの
 -> Apple][ J-plus,MZ-80C,MacintoshSE/30

・所有権が我々にはないもの(つまり借りパクってやつです)
 -> M5jr

・ハンドヘルド機
 -> PC-8201,HC-20など(これは私が引き取りました)


 これに外れた周辺機器は原則処分,またこれに該当しても故障して動作しない場合は処分とします。

 とまあ,私の心の中でこうしたルールを密かに作って分類をしたところ,以下の機種を処分することになりました。

・PC-9801BX3,X68000compactXVI,PC-PR401,PC-9801NV,DELLのマルチシンクCRTモニタ

 ついでに,もう必要がないと思われるものも捨てることにしました。

・A-450(TEAC:カセットデッキ),DP-990SG(KENWOOD:CDプレイヤー),QX5(YAMAHA:MIDIシーケンサー),MV802(YAMAHA:8chミキサー)など

 まあ,A-450などは中学生の頃に友人からもらい,回路図を手に入れて改造や調整に心血を注ぎ,これで録音したテープが数百本もあるような,私の青春そのものですから捨てるのは忍びないと思いましたが,すでに動作せず,また修理しても音質だって今使っているAKAIのGX-Z9100EVに全然かなわない状況では,もう処分するのが妥当でしょう。

 DP-990SGも,いかにも80年代中盤らしい重厚な作りで,筐体を叩いても全く音が響かないという今時のエントリー機種には考えられない贅沢っぷりです。PCM56を使ったシンプルなDA変換とあいまって,実はこの世代のKENWOODのCDプレイヤーは,意外にゴミ扱いされてないらしいです。

 とはいえ,回転モノですしね,動くかどうかもあやしいものです。これ買った当時,まさか捨てる日が来るとは全然思いませんでした。

 当初,プリンタはPC-PR405という日本語熱転写プリンタも捨てる予定でした。しかし,一応第2水準のROMまで増設して文字の汚さを除けば現在でも一応使えること,また古いマシンで文字を印刷したい場合に使えるプリンタを1台くらいは残さないと,と捨てるのをやめました。

 さて,ずっと屋根裏の物置に置いてあったMacintoshSE/30です。

 このSE/30は,私がずっと使っていたものではありません。とあるところで1年ほど使ったものが廃棄処分されるのを見かねて,私が1台引き取ったものです。

 思えば,私が初めて買ったMacintoshは,SEでした。今時の若者はしらんやろうなあ。

 これを数万円で中古で購入,system6.0.7は不安定でしたが狭い画面でもかわいらしく動いてくれて,私はMacでの作業の比重を増やしていきました。

 無理矢理CPUを68030にするアクセラレータまで購入しましたが,処理速度の壁,メモリ搭載量の壁に限界を感じ,SE/30への買い換えを決意したのは,徹夜で飲んで泊まったカプセルホテルで迎えた朝のことでした。

 ちょうどSE/30がディスコンになって,それぞれのお店で新品の最終入荷があったころの話で,中古で20万円。メモリもHDDもなく,なんにもない本体だけのSE/30でしたが,それでも当時としては破格の安さでした。

 自動車が買えると言われた32bitのMacintoshがようやく我が手に,とわくわくしましたが,当時すでに時代遅れの性能であったことは事実で,高価だったゆえの設計のまじめさが,スペック以上の体感速度とチューニングのしやすさの理由でした。

 Xceedという24bitフルカラーボードと内蔵CRTのグレイスケール化改造という定番に始まり,DAYSTARの33MHzのアクセラレータを購入,メモリもフル実装で32MByteをMODE32で使う,という今となっては懐かしい構成まで育てた私のSE/30も就職を機に売却,メインマシンをCentris650のロジックボードをIIciの筐体に入れたオリジナルマシンに切り替えました。

 コンパクトな筐体に素性の良さから来る拡張性の高さ,そして本当の意味でOldMacintoshの完成形であったSE/30は,今考えても良いマシンだったなあと思います。

 で,数年前に無改造のSE/30を引き取った私ですが,面倒でそのままにしてあったのが悪かったのでしょうか,今回初めて電源を入れてみると,悲しいことに動きません。

 起動音もせず,画面にランダムなパターンが出ているだけです。はて,メモリがないと起動音もしないんだっけな???と当時ならすっと出てくるはずの事もすでに忘却の彼方へ。この時点で私はこのSE/30のオーナーとなる資格を持ち合わせていなかったと言えるのかも知れません。

 筐体を開けようにも,トルクスドライバなど気の利いたものが実家にあるはずもありません。よってメモリがあるのかないのか確認することすら出来ずに,もう壊れたと判断して捨てることにしました。

 日焼けも少なく,たばこのヤニも付着していないプラチナホワイトの筐体を,最後のお別れに撮影。おそらくSE/30をこの先手にすることはないでしょう。

 母親によると,実際に捨てるのは2月だそうで,まだ実家には残っているのですが,私がそれまでに実家に戻ることはありませんし,それにこのSE/30にはちょっとした嫌な思い出もあったりして,それをすっかり消去する機会と割り切りました。

 考えてみると,古いMacintoshを愛でる習慣はマニアの間でも連綿と続いているようで,我々の世代にとって愛されるマシンとはSE/30やQuadra700です。やっぱフロッグデザインですよ。

 ですが,私の後の世代では,ColorClassicIIだったりします。うーむ,あんな中途半端なマシンのどこが・・・SE/30と同じレベルで語って欲しくないなあ・・・と。

 G4Cubeに至っては,それってつい最近のマシンやんけ,と思ってしまいます。一方私の前の世代からは,やっぱ初代だろうとか,Lisaだろう,いやApple][GSだろうとか・・・参りました。

 ふと,G4Cube以降,そんな愛されるマシンが出てないことに気がつきます。まずいですね。このままではMacintoshも,ただ消費されるマシンになってしまいます。

 そんなことをつらつらと考えながら,私はSE/30にお別れをしたのでした。

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