エントリー

カテゴリー「ふと思うこと」の検索結果は以下のとおりです。

2010年の散財を振り返って

 さて,毎年年が明けると,昨年1年の散財について振り返るのですが,今回は新生活を始めるということもあって,かなりの散財をしました。

 先に書いておきますが,その大部分を占める生活家電については,確かに高価なものを買いましたが,そのおかげで快適に過ごせていることは確かで,決して無駄遣いではなかったと言えると考えています。

 無駄遣いというのは,すぐに興味を失って稼働率が下がってしまうものだと考えれば,毎日のように使ってその結果が分かりやすい生活家電こそ,自分の生活スタイルを具体的にイメージし,これにぴったりなものを選択基準として据えて,脚気として生活の質が改善されるのであれば,金額の大小は二の次にしてもよいのではと思います。

 いや,そもそも生活家電の値段は随分下がりましたよ。20年前,あるいは30年前,今のものよりもっと性能の低いものが,今の高級機種と同じかそれ以上で売られていたのですから,少々高価であっても長く使うつもりで買ってみるのもよいかも知れません。

(1)洗濯機

 パナソニックの斜めドラム式でした。20万円近くもする高級品ですが,洗濯という実に面倒臭い家事が劇的に改善される事への感激と,完璧というものはなく工夫して使いこなすことを忘れてはいけないという,2つの面で印象深い家電でした。

 さすがヒートポンプ式の乾燥機は電気代が心配になることなく使えますし,大きさの割には大容量,水の量も洗剤の量も少なくて済み,汚れ落ちも問題ありません。

 とはいえ,当たり前のことですが,洗濯と乾燥では容量が異なり,洗濯の気分で乾燥を行うとちゃんと乾きません。

 また,おまかせコースでは,入れすぎについての警告が出にくいのも問題で,特に乾燥まで行うモードでは,タオルなどに臭いが残ることもあります。ま,このあたりは使い方の問題ですね。

 なにが一番楽といって,下着やらタイルやら靴下やら,細かくて外に干すのに手間がかかるものを,乾燥まで一気にやってくれることです。シャツなんかはハンガーに引っかけるだけですので,別になんてことはないのですが,小物を干さずに済むということで,どれほど時間が節約できたかわかりません。

(2)アイロン

 パナソニックの,両端が尖っているタイプです。スチーム不足が心配で,実際少し足りないなと思うこともありますが,そもそも家庭用のアイロンに過度な期待をするのがおかしくて,向きを変えずにアイロンがけが出来ること,滑るような軽さ,そして適度な重さに,初めてのコードレスということで,アイロンがけが面倒でなくなりました。

 時間短縮への貢献はわずかで,正直これを期待すると失敗すると思う訳ですが,アイロンがけをしているときの心地よさが,面倒という間隔を和らげてくれます。ちょっと高価ですが,アイロンの買い換え時には是非検討されてはと思います。

(3)ガステーブル

 リンナイのもので,ガラストップ,両面グリルです。国産品としてはやや高価なものではありますが,価格分のメリットはあります。

 まず,ガラストップの素晴らしさ。かのSchottのガラスということで,ネタになると思って買いましたが,拭き掃除がとても楽,傷も付かず,凹むこともなく,いつまでも新品同様の美しさを保ってくれます。

 ゴトクが外せて毎回洗えることも素晴らしく,料理の後にガステーブルと綺麗に掃除することがルーチンワークになるくらい,抵抗がありません。

 そして両面グリル。魚を焼くのに,これ以上楽で上手に焼く方法は,もう必要ないのではないでしょうか。タイマーもついて,素人でも魚さえ買ってくれば,おいしい焼き魚が食べられます。煙も出ず,お手入れも楽ちん。

(4)掃除機

 シャープのサイクロン式です。サイクロン式に懐疑的な私でしたが,8ヶ月ほど使ってみて,期待以上のものがあります。

 デザインは×,重くて取り回しの悪さも×,意外に重たいハンドルも×ですが,吸引力は確かに落ちませんし,燃えるゴミを出すごとに,手を汚さずワンプッシュでゴミを捨てることが出来て,紙パック式に比べ清潔を保てます。

 タービンブラシも悪くはないのですが,エコモードの挙動がちょっと遅いことが気になります。油断してヘッドを床から浮かすとモータの回転数が落ちますが,床につけてもすぐには回転数は戻りません。少し待たねばなりませんが,これの方がよほどエコではないんじゃないかと,思ったりします。

(5)ホットカーペット(かんたん床暖)

 年末,冬休みに入ってから本格的な寒さがやってくると聞き,私が主に検討を行う部屋にもホットカーペットを入れようと考えました。数千円の小さいものをと近所の電気屋に行きましたが,一応店員さんに,椅子やテーブルを置いても大丈夫なホットカーペットがないか,聞いてみました。

 といいますのも,居間に置いてある1畳のホットカーペットが,テーブルを椅子を避けるように敷いてあったからです。誰も座っていないところが暖かく,足下は結局寒いという状況が改善できるなら,それが一番だと思いました。

 今時,こういうニーズもあるんですね,かんたん床暖という名前で,またしてもパナソニックから出ていました。お値段はプレミアムな価格で,2畳で25800円。amazonだと2万円を切っているので,軽いショックを受けました。

 これをエイホエイホと担いで帰り,早速敷いてみましたが,これがなかなかよいのです。足下から暖かいし,部屋の温度も18度くらいまで上がります。

 消費電力は意外に大きく,最大700Wとちょっとしたエアコン並みですので,電気代の削減にはならないと思いますが,エアコンよりもずっと優しい暖かさで,頭がぼーっとしないという,私にとってはありがたい暖房器具です。

 実はこれ,折りたたんで収納できません。基本的には夏でも敷きっぱなしということで,表面はフローリングっぽい印刷がなされています。

 ところがうちは,フローリングにカーペットを敷いていますから,その上に2畳のフローリングが出現します。なんか不細工です。もっと綺麗な色の床暖があったらいいのになと思います。

 それと,どうしたことか,この床暖をカーペットの上に敷くと,いつの間にやら20cmくらい,テーブルを椅子を載せたまま動いているのです。私が座っている場所がドンドン狭くなり,なにやら窮屈だなと思って気が付きます。きっとカーペットの目の向きが関係しているのだと思います。

(6)プラズマテレビ

 日立のWoooで,1世代前のものです。42型という大きさは,プラズマでプルHDなら最小サイズなので文句は言えませんが,やはり大きすぎるかなという印象です。うちはニュースやドキュメンタリーが主で,大画面である必要はもともとなかったわけですが,そのうち慣れると思って買った42型は,今もってアナウンサーに「見られている」ような気分が抜けません。

 まあそれはそれとして,画質は慣れました。液晶テレビをお店で見ると「こんな汚い画像で売れるというのはおかしくないか?」と思うほど,プラズマの画像になれてしまいました。

 LCDのテレビも,今は良くなっていると言いますが,原理的に明るいところと暗いところの差が小さく,工夫で見かけ上の差を大きくしているのが現実です。プラズマの持つポテンシャルとは根本的に違うのですが,これは画像マニアが真剣に画像を評価するときよりもむしろ,ニュースなんかを見てるときの自然/不自然として,大きな差があるように思うのです。

 ブラウン管が消えて久しいですが(私は特に10年前にブラウン管を廃止しましたからね),プラズマは明部がまぶしくなく,しかし華やかで元気があります。ブラウン管と同じ傾向は,とても満足です。

 ただ,画像の調整はなかなか難しいです。今でも調整をいじっていますが,上手い場所が見つかりません。

 ところで,プラズマテレビの将来ですが,残念ながら私は悲観的です。確かに自然な画像を表示出来る潜在能力の高いディスプレイですが,高画素化していくLCDに対し,プラズマディスプレイは原理的に高画素化が難しいため,このスペックが主戦場になってしまうと,ついて行けなくなる可能性があります。

 同じ話はフルHDになる時にも騒がれましたが,幸いプラズマディスプレイは苦心の末フルHDを実現できました。しかし,これ以上の高画素化は画期的な技術でもない限り難しいでしょうし,実現出来てもLCDにリーズナブルな画面サイズや低い価格を達成出来ないのではないかと思います。

 まあ素人の戯言ですが,私がちょっと驚いているのは4K2Kと呼ばれる高精細なテレビが今年の年末にも出てくるのではないかという予測が出ていることです。地デジはもちろん,BDでも我々が手に出来る映像ソースはフルHDが最高ですから,4K2Kなど意味がないと考えていました。しかし,SD解像度のDVDをフルHDで見るときに画素を補完する超解像技術の進歩は想像以上のものがあり,アルゴリズムとしてはかなりのところまできています。

 フルHDのソースを4K2Kにするのに壁となるのは画素数が4倍に増えることによる,処理能力の問題になるわけですが,これはすでに質ではなく量の問題ですので,半導体の進化があれば自然に(勝手に)解決してしまう話です。これが4K2Kというパネルと一緒に立ち上がってくれば,新しいテレビの登場が現実になります。

 ようやく16:9が当たり前になったところで,業界内には21:9というワイドテレビの話も出ています。4:3のテレビを無理矢理16:9にしたあの過ちを,また我々は繰り返さねばならないのかと思うと暗い気持ちになったものですが,4K2Kなら一応正常進化と言えるのではないでしょうか。

 一方,これまで日本のお家芸だったテレビ用の大型LCDパネルも,今年からは中国での生産が本格化します。日本のメーカーはさらに技術的に難しいものを作らないといけなくなるわけで,4K2Kを急激に立ち上げようとする力は,こういう事情もあって強くなるのではないでしょうか。

 こういう将来が1年くらいの間にやってくるとして,高画質が売りのプラズマディスプレイが,画素数で太刀打ち出来ないと,存在意義が薄れます。仮にプラズマディスプレイがLCDよりも低コスト(そのかわり低画質でもよい)だったら,廉価版のテレビ向けに生き残る方法もあるんでしょうが,LCDより高くついてLCDより画素数が少なければ,本当に高画質なものであっても市民権を得ないでしょう。売れないですからますますコストの差は開きます。

 プラズマディスプレイを見限って手放したメーカーが大多数,一方であれだけの投資を行ったパナソニックの,将来の見通しを聞いてみたいものです。

(7)トルネ

 遊び心で進化を続けるレコーダ,トルネです。まだ品薄だった昨年連休明けごろですが,偶然ヨドバシ.comで見つけて購入。PS3という大飯ぐらいのゲームマシンをわざわざ録画機にすることもなかろうという気持ちはあったものの,ユーザービリティについては業界中が大騒ぎになったこともあって,手に入るようになったら買おうと思っていました。

 テレビに録画機能があるのでこれをメインに使うことはないのですが,時々番組が重なったときなど使って見ると,なかなかこれが快適なのです。テレビの録画機のインターフェースがいかにユーザーに我慢を強いるものになっていたかを思い知らされます。

 最近,twitterへの投稿機能を持つようにアップデートされましたが,これもなかなか楽しい機能です。残念ながら,twitterを動作させると画面が小さくなるのでおまけ機能の印象は拭えませんが,うまくするとニコニコ動画のような面白さが出てくるようになるかも知れません。

 トルネには,まだまだ進化して欲しいところがあります。ダブルチューナーへの対応,録画予約機能の充実(フィルタやソート),EPGを定期的に取りに行く機能など,本格的に利用するにはまだ今のままでは足りません。

(8)MacBookAir

 10月に電撃的な発表があった新しいMacBookAirですが,11.6インチを発売日に手に入れた私の満足度は,抜群に高いです。

 ユニボディで作られたアルミの筐体は,ラフに扱っても傷もゆがみもなく,パタンと閉じたときの吸い付くような感じもなめらかさも購入したときのままです。

 高い剛性を持つおかげで,キーのタイピングが快適であることも特筆すべき点です。

 さて,私が購入した構成は,BTOでメモリを4GBにし,キーボードをUSにした以外は最小構成のものです。64GBのSSDはちょっと心許ないのですが,今のところ半分程度の空きがあり,これからも増える事はないと思いますので,今は心配していません。

 むしろメモリの4GBは無駄だったかなと思うくらいです。そんなに高価なオプションではなかったので安心代だと思えばいいのですが,4GBあってよかったと思うことは,とりあえず今はありません。んー,厳密に言えば,2GBだと狭いと感じたかも知れないので,最初から4GBになっているとそのありがたみが分からないだけかも知れません。

 拡張性のなさや,持ち歩くにはもう少し小さい方がいいとか,いろいろ不満もありますが,私は少なくともiPadではなくMacBookAirを選んだことは大正解だったと思っています。

(9)DP1s

 3層構造のCMOSセンサ「FOVEON X3」を使ったデジタルカメラは,いずれ手にしたいと思っていたところ,昨年春頃に処分価格が出ていて,私も4万円ほどで買いました。4万円と言えばコンパクトデジカメなら複数台が,一眼レフでも買えてしまうほどの価格ですが,DP1sにはDP1sの代え難い魅力があります。

 一眼レフはちょっと大げさだな,でもこだわって撮影したいと言うときに,DP1sは重宝します。くせもぼつぼつ分かってきましたし,反応速度も含めてだいぶ慣れてきたように思います。

 DP1sのポテンシャルの高さは,センサの素晴らしさとレンズの良さがあります。高画質を得るにはこれは外せないわけですが,正直なところ,どちらもまだまだ画質に直結させることが出来ていないように感じます。

 センサから出てくる情報を画像にするプロセスがやはり未熟だと思うことが多くて,それは発色が過ぎることが多いのと,暗部のつぶれが結構あることで,日常的に感じる不満点です。

 いずれも現像をPCで行えば済むことですが,現像ソフトも決して使いやすいわけではないし,RAWが未だにPhotoshopで扱えないのは言語道断です。

 暗部をぐっと持ち上げると,結構画像が浮かび上がってくるので,センサの力はかなりあると思うのですが,これがまだまだ技術的にこなれていないころのカメラですし,まあ使いこなしでなんとかすることになりそうです。

 ところで,自動開閉のレンズキャップにアルミ削りだしのグリップと革張り,そして外付けのファインダーまだ装備したオリジナルDP1sですが,結果としてコンパクトデジカメとはもはや言い難い大きさと面構えになりました。

 そんなこともあり,物理的精神的な気軽さから,一番稼働率の高いデジカメは,実は大昔に買ったサイバーショットのDSC-U20だったりします。

(10)各種置き時計

 新生活を始めた部屋は,いくつかに部屋が分かれており,他の部屋の時計を見ることが全く出来ない状況でしたので,それぞれに時計を置かねばならなくなりました。

 居間にはカシオの電波時計を起きました。大きな表示で,温度と湿度が表示出来ますが,LCDなので暗いと見えません。まあ居間ですからかまいません。

 寝室には,どっかのパチモンのLED時計を起きました。お値段はこの手の時計としては破格の5000円!いやー,5000円の商品の質感はみじんも感じません。

 なのになぜ買ったか。青緑色の大型LEDを持つ時計だったからです。

 普通の黄緑のLEDなら大型の7segLEDも手に入ります。しかし青緑はまだ簡単に買える訳ではありませんし,値段も高価です。自分で作ろうと思うと残念ながら5000円では作る事が出来ません。

 電波時計という事もありますし,デザインはとんでもなく格好悪いですが,買うことにしました。

 しかし,というかやはりというか,この時計には散々泣かされました。

 まず,購入直後,電源が突如切れてしまうという問題が発生。ACアダプタのジャックの付け根で断線しているようでした。購入直後ですから素直に交換してもらえばよかったのに,まあジャックだけなら交換すればよいかと自分で修理を試みたのが失敗でした。(ちっとも学習しませんね)

 これが片付いたら,今度は表示が明るすぎて眠れないという問題が発生です。明るさはHighとLowの2段切り替えですが,Lowでもまぶしいくらいです。

 そこで分解して,明るさを決める抵抗の値を大きくしました。何度か調整してかなり暗くして,現在はなんとか慣れました。

 最後に,電波時計として動かなくなってしまったことです。電波の受信が全然出来なくなりました。感度は元々低い時計でしたから,時折受信出来ないことはあったのですが,1週間も2週間も受信出来ないのは故障でしょう。つくづく最初に交換してもらえばよかったのにと反省しきりです。

 結局,また分解して修理を試みることに。時計の基板,ラジオの基板,そして電波時計関係の小さい基板の3つが,ぐちゃぐちゃに配線されて繋がっているという,大変に不細工な低信頼な製品ですが,どうも電波時計のアンテナコイルを基板にハンダ付けする部分がテンプラハンダになっていて,ちゃんと繋がっていなかったようです。

 これをハンダ付けし,一応電波が受かるようにはなったのですが,相変わらず感度が低いのは仕様の通りですから,その後も受信出来ない度に「またこわれたのか」「真の原因は別にあったのか」と一喜一憂することを続けています。

 どうも気温が高すぎても低すぎても受信し損ねるようです。夏の暑いときも冬の寒いときも失敗する確率が高いようで,温度安定性もいまいちな,どう考えてもイカチンなものを掴まされた気がします。

 なお,この電波時計の修理は,猛暑の続いた真夏に行ったのですが,この作業の後軽い脱水症状で動けなくなったことを付け足しておきます。

(11)携帯電話

 携帯電話を昨年の連休頃に着替えました。ただ,全然使いこなしていませんし,使いこなそうとも思いませんので,特にここに書くほどのことはありません。

 ・・・で終わらせてもつまらないので,ちょっとBluetoothの話をします。

 iPhoneの台頭で,通話や音楽を聴くのにBluetoothのヘッドセットを使う人が少しは増えたような気がします。日本人は,まだヘッドセットを使って通話することになれていなくて,本人も周りの人も違和感があるというのが実際ですが,実はこれ,やってみるとなかなか快適なのです。

 私はソニーエリクソンのMW600を買いましたが,もっぱら通話専用になりました。いや,普段のちょっとした通話にまでいちいちMW600を使うわけではありませんが,実家の母と長話をするときなど,特定のシーンでとても重宝しています。

 なんといっても両手が空いているのがいいです。ちょっとおなかがすいた時も,ビールを飲むときも,トイレに行くときも全然邪魔になりません。寝そべるも良し,ちょっとPCを使って調べ物をするのも良し,とにかく便利です。

 その意味では,私など片耳だけのモノラルヘッドセットを買っても幸せになった人だと思います。でも,音楽を聴きたい人には片耳はありえません。

 かようにBluetoothは,人それぞれの使い方が違っていて,かつ製品も別物になったりするので,メーカーもお店も訴求の仕方が難しいのでしょうね。

 それゆえ日本国内のBluetooth普及率は低いのだと思いますが,厳しいことを言ってしまえば,Bluetoothという規格が「なんでも出来るようにしよう」にあったことが真の原因なんじゃないかと思うのです。

 どんなニーズにも対応出来ることは一見すると正しいことですが,実はそれが何を解決してくれるものかが分かりにくくなります。わかりにくくなるから,お知らせするのも難しいし,お知らせするのが難しいから,問題が解決するという事実すら知らずにいる人が多いのでしょう。

 片手で通話ができる事がどれほどの問題と捉えられているか,問題と考えている人がどれくらいいるのか,そもそもそれが少ないんじゃねーという話も分かりますが,不便な事を解決するための売り方以外に,不便でなくとも使ってみたら良かった,と言う売れ方だってあるはずで,Bluetoothはまだまだユーザーへのアピールが出来ていないのではないかと,そんな風に思います。

 あまり注目されていないBluetoothですが,海外の普及度合いから考えると,日本は後進国もいいところです。新しい半導体の開発,新しいプロファイルの登場など,Bluetoothも進歩していますが,それは少なくとも日本人を相手にしておらず,日本にはすでにコモディティ化した状態のものが店頭に並びます。世界最先端の商品が手に入る国,日本において,Bluetoothについては数少ない例外であるとつくづく感じます。

(12)Kindle

 昨年は電子書籍元年などと言われましたが,電子書籍に火を着けたiPad-Appleと,Kindle-amazonが蚊帳の外に置かれ,それ以外の「こびと」達の話ばかりが報道される日本国内の状況は,もはや異常と言うほかありません。

 ガラパゴスであることをむしろ売り文句にした端末も鳴り物入りで登場した割には,電車の中で全く見ることはありません。SonyReaderもしかり,です。

 端末はおそらく買った人も多いと思いますが,それで読む本がないのでしょうね。自炊は一般化しつつも,他に使い道がない裁断機とドキュメントスキャナを買わねば始まりませんから,それ相応の覚悟が必要になりますし,その点で私は,2010年を「電子書籍前年」とあえていいたいと思います。

 私にとって2010年は紛れもなく電子書籍元年です。なんといってもKindleを手に入れ,紙に印刷すること以外の出力先を手に入れたからです。

 Kindleの素晴らしさは過去にも書きましたので同じ事を書くことはしませんが,あれから半年近くが経過して,もっと街中で見るかと思ったKindleでさえ,全く外で見ることはありません。

 かくいう私も,9月くらいから電車の中でKindleを読むことはしなくなりました。誤解されたくないのは,Kindleに飽きたわけでも,使い勝手が悪いわけでもなく,文庫本のハンドリングの良さを再認識したからです。

 そもそも,Kindleは,それまで文庫と新書以外の大型本を持ち歩くための解として購入しました。内容に割に大きく重いハードカバーの本を何冊も入れておけるkindleはまさに福音と言えたわけですが,これが文庫本だとあまり御利益がありません。

 ですので,文庫本で読むものがあるうちは文庫で読み,それ以外を読むときにはKindleを使うという使い分けを行っています。9月から読んでいる「蒼穹の昴」の4冊は,その後「珍姫の井戸」と「中原の虹」に進むこととなり,これらを終わらせないと,Kindleの出番は来ません。少なくともあと1冊ちょっとの間は,Kindleに出番は来そうにありません。

 ところで余談ですが,この年末年始は,実家から持ち込んだ多量の本のスキャンにも時間をかけました。ハードカバーや雑誌というのは,1冊のスキャンをすると随分と見た目にかさが減ったのでやりがいも出ましたが,文庫と新書というのは,スキャンに時間がかかる割には,あまりかさが減らず達成感がわかないものであることを発見しました。

 文庫や新書というのは,なかなか高効率なパッケージのようです。

(13)ホットプレート

 新生活をスタートさせたら,是非買おうと思っていたものの1つが,ホットプレートです。別に珍しくもない普通の家電品ですが,焼きそばやお好み焼きといったテーブルでワイワイいいながら作って食べるものには,好都合です。

 ちょっと奮発して象印の焼き肉用のプレートが付いたものを買いました。焼き肉など我々夫婦はほとんど食べないので,使う事はないかなと思ってましたが,年末においしそうなステーキ肉が特売されていたのを思わず買ってしまい,どうやって焼くとおいしいかを考えたところ,これを使うとうまくいくかと思ったわけです。

 結果は上々。余計な油は落ちて,良い火加減で焼くことが出来ました。片付けの手間はそれ程大変でないことも分かってきましたから,もっと積極的に使うのもよいかも知れません。

(14)GOPAN

 言わずと知れたGOPANですが,予想を超える大ヒットに生産が追いつかず,今年春まで販売を休止するという話になってしまいました。私は初期ロットを発売日に入手しましたが,あれ以後,おいしいパンを作って食べる習慣が出来ました。

 米パンもおいしいですが,小麦で作ったフランスパンがおいしく,何となくこちらに軸足が移ってしまいそうです。フランスパンなら別に買ってきてもいいのですが,自分で作るとカマンベールチーズをたっぷり入れて,少し赤ワインをいれて作ると,これが絶品なのです。こういうフランスパンを食べようと思ったら,自分で作るほかありません。

 あと,パウンドケーキもそれなりにおいしいですし,お餅もうまくつけました。

 米パンは,やっぱりミルの音が非常にうるさいことと,やっぱり今ひとつ香ばしさがなくて食べ飽きてしまうことが問題のように思います。また,GOPANの肝であるあの羽根も,使う度に傷が増えています。パンの中にこれが知らず知らずの間に交じっている訳ですから,あまり気持ちのいい話ではありません。春までの販売中止は,実はこの問題の改良にあるんじゃないかと私は密かに勘ぐっています・・・

 そんなGOPANですが,年末に三洋さんから登録者キャンペーン当選の景品が届きました。ちょうど1斤分に小分けされた,各地域のブランド米が10種類ほどと,グルテンのセットです。米パンの面白さは,日本人のこだわりが詰まった様々な品種のお米を選んで作る事が出来ることにもありますが,米パンに向いたお米を見つけることはそう簡単ではありません。いわば「評価キット」としての価値は極めて大きく,景品ではなく2000円くらいで販売してくれるとうれしいのですが・・・

(15)LED電球

 LED電球は,すっかり生活の中に溶け込み,それが当たり前になりました。こうやってブームというのは沈静化していくのでしょうが,明るくしていてもそれが電気代に影響しないという生活が,これほど快適とは思っていませんでした。

 階段に薄暗い照明を常に入れておくと足下がいつも同じ明るさになり安心ですが,これが実現したのもわずか3.8WのLED電球のおかげです。40Wも消費するミニクリプトン球ではこうはいきません。

 トイレも風呂も玄関も,LEDにするとこんなに快適です。初期投資はやや大きいですが,毎日「LEDにしてよかった」と思うことが出来るだけ,価値あるものだと思いました。

(16)ICレコーダ

 ZOOMのICレコーダを,FM放送の録音用に買いました。1万円ほどで十分高音質なレコーダですので持っていて損はありませんが,稼働率は非常に低く,あれから一度も使っていません。

 録音など日常では行いませんし,ましてマイクを使った生禄などこれまで数えるほどしか行ったことがありませんから仕方がないことだと思います。

 エアチェックも含めて,とにかく自分で録音するということが減りました。私に限らず,多くの方がそうでしょう。現在の記録を未来に残す,これが録音や録画の本来の意味ですが,録音をしなくなったという事は,未来の私が過去を振り返るきっかけがなくなるということを意味するわけで,仮にこれが私だけの話でないとすれば,学生時代のカセットを発掘して懐かしく感じたり,昔のVTRから古いCMをYoutubeにアップロードするという,楽しく懐かしい経験をするための「仕込み」が途切れてしまい,これまでの資産を食いつぶすことに終始することになるのです。

 そしてますます新しいコンテンツが粗製濫造され使い捨てられる世の中になるのかなと,その未来に重たい空気を感じざるを得ません。

---

 まだ他にも買ったものはありますが,このくらいにしておきましょう。価格以上の価値があったもの,価格以下の値打ちしかなかったもの,価格云々ではなく本当に必要だったのかそもそも疑問だったもの,いろいろありますが,総じて良くできているものが多かったと思います。

 1年ではさすがに小さな差でしょうが,3年,5年もすると,もう完全に別物というくらい,性能も向上していると感じるのですが,空いた時間を何に使うか,浮いたお金でなにを買うのか,本当はそこまで考えるべきなのかなーと,振り返りながら思いました。

ReaderはLeaderになれそうにない

 艦長日誌にいろいろ書きたいことがあるのですが,ちょっと忙しくて困ったものです。私のように,暇な時間を長く過ごすと,忙しい事への憧れであるとか,充足感であるとか,そういうものが脳のシワからしみ出てくるものなのですが,それも限度があり,人間の脳みそというのは,本当に不思議なものだと感じます。

 そんなことはどうでもいいのですが,電子書籍に注目してKindleを2つ買い,自炊の冊数が2000冊を超え,なおも実家から運び込んだ段ボール8箱分の書籍を日々スキャンし続けている私としては,ソニーのReaderが国内発売されるニュースを無視するわけにはいきません。

 なにせ正規の国内販売です。Kindleもamazon.comが販売しているとは言え,輸入という形で入ってきます。サポートもamazon.comが行いますから,日本語によるサポートはありません。

 ソニーという日本の会社が日本人向けに電子ペーパーを搭載した電子書籍端末を販売してくれることを心待ちにしている人も多かったと思いますが,果たしてその期待に応えてくれるものでしょうか。

 欲しいと思っている人は,自炊をしている人,そして電子書籍を購入して読みたい人,の2つあるはずです。特に後者は北米でのKindleとそのサービスに憧れがあるはずです。

 今回国内投入されるのReaderが,意欲的なものになっているなら,私もKindleを買ったことを後悔したかもしれません。しかし,それは杞憂に終わりました。大変残念なことに,ソニーはなーんにも分かっちゃいませんでした。

・パネル

 5インチと6インチの電子ペーパーを採用したところは,まあ順当なところです。eInkはPearlという世代で,Kindle3と同じですから,光学特性などは同じと見て良いでしょう。ですから,ここはKindle3と同じです。

 大きさ

 5インチモデルは文庫本と同じとのことですが,文庫本というのはポケットに入る大きさでありながら,読むときは開いて2倍の大きさになることを,ソニーは忘れています。折りたたむことの出来ない電子書籍端末は,この2つの状態を両立せねばならないのです。

 Kindle3は,ペーパーバックのサイズとほぼ同じで,持ちやすいものです。キーボードがあるから大きく見えますが,仮にキーボードを使わなくてもあのサイズは良くできています。

・質感

 私は質感の高さを重視する人ではありますが,それも機器の性格によりけりです。電子書籍端末は,あくまで電子書籍の再生装置であり,根源的には本,あるいは紙といった従来の媒体のメタファーであることが,今は望ましいと思います。

 その点で,Kindle3は,あのプラスチッキーな安物っぽさが,実に手に馴染むのです。考えてみて下さい。本が,手に取ったときヒンヤリしますか。

・タッチパネル

 Kindleがキーボードであるのに,Reraderはタッチパネルです。しかも赤外線方式で,光学特性に邪魔をしません。これは大したものだと思いますが,私個人は必要がありません。

 本にメモをすることは私はしないし,日本語を入力することも全くないからです。検索も出来ると便利かも知れませんが,むしろ英和辞書を引くにはキーボードの方が都合が良いのです。

 それに,検索は電子書籍の最大のメリットですが,自炊する人はOCRをかけておらず,キーワードの選択が出来ません。この点でReaderを自炊の人が入手しても,せいぜい英語の単語を調べる程度のKindleとあまり変わらない使い方になると思います。

 最初から電子書籍として購入したものは文字情報が入っているので問題なく検索の恩恵にあやかれますが,後述するようにReaderはこうした電子書籍の購入に対して,決定的とも言える後ろ向きな姿勢を示しているので,これも期待できません。

・通信機能

 最大の問題は,この通信機能が一切ないことです。Kindleがなぜ支持されたのか,国内でわざわざKindleを使う人がなぜ絶えないのか,そこを全然わかっていません。

 コスト的な理由もあると思います。国内でのサービスが充実していない現在,3Gを搭載することは無意味という判断もあったのでしょう。

 では,サービスが充実したとき,最初にこのReaderを買った人々は,不便を強いられたままになるのでしょうか。kindleの理想が気高いものであったのは,ここに妥協がなかったことに尽きます。

  Wi-Fiでもよかったのです。Wi-Fiだとあまり使い勝手は変わらないと言う人もいるでしょうが,Kindleは複数のKindleと,PCやその他のデバイス向けのKindleアプリに仕込まれたコンテンツの情報,例えばしおりを挟んだ位置などを,この通信機能で同期出来るのです。

 私のように,通勤時はkindle3,寝る前の布団の中でKindleDXという人は,通勤時に読んだところをいちいちメモすることなく,続きが布団の中で開けるのです。これがどれほど便利なことか。

 DRMの関係で複数の機器でコンテンツを共有出来ないかも知れませんが,私に言わせればそのことそのものが,もはや終わっています。Kindleが出来ていることを,なぜやらないのか。その段階で負けですし,やる意味などありません。

・コンテンツのハンドリング

 Kindleは通信機能を持っていますし,マスストレージでマウントするUSB接続でコンテンツをさっと流し込めます。

 Readerは,あろうことかPCでしか動かない専用アプリを入れないといけないそうです。まあなんと前時代的な。情けないですね。

 このことをこれ以上揶揄しませんが,同じ事を言います。Kindleに出来ていることがどうして後発のReaderでやらないのか,あきれてものも言えません。

・価格は比べるべくもなく,Kindle3の方が安いです。自炊の人にはKindle3で十分,Readerの機能は無駄ですから安い方がいいです。購入の人はReaderを活用できるでしょうが,通信機能もないのに,誰がPCに繋いでわざわざ購入をするのでしょう。一体,誰がどういう使い方をするのかという観点における,一貫性がこれほど欠如している商品も,近年珍しいのではないでしょうか。


・まとめ

 ということで,なにを考えて国内投入したのか,国内のどんな人をターゲットにしたのか,そのターゲットは今の,そしてこれからの電子書籍をどういう形で切り開いていく人々なのか,その辺をもう一度,頭を冷やして考えるべきです。

 今回の導入は,かつてのLIBRIeを彷彿とさせるものがあります。端末はそこそこいい,電子ペーパーも見やすい,しかし誰に売ろうと思っているのかわからない,その人がどういう使い方を望んでいるのか分かっていない,そんなユーザーを愚弄する商品だったが故に,消え去りました。この失敗を,全く糧にしていないのです。

 記者会見では,データディスクマンからの流れだと言っているそうですが,データディスクマンから電子辞書の流れというのは,もっとシンプルでもっと一貫性のある,少なくとも支持したユーザーを裏切るようなことはやっていません。同じにされて困惑するユーザーもいるのではないでしょうか。

 次に期待しましょう。次があるかどうかは,私にはわかりませんが。

文殊菩薩の怒り

 なく子も黙るじゃじゃ馬,高速増殖炉「もんじゅ」が,なにやら大変なことになっているらしいのです。

 先日NHKの9時のニュースで,重量物が落下したとかで,運転再開の目処が立たなくなったという話をしていましたが,これはウソではないにせよ,本当に大事なことを報道していないように感じている人たちが,少なからずいるようなのです。

 私も聞きかじりですし,専門家というわけではないので本当かどうかを精査するだけの力はありません。しかし,どうもただ事ではなさそうだという気がして,ここにとりあえず書いておこうと思った次第です。

 そもそも,「もんじゅ」ってなんだ,という話です。

 高速増殖炉はよく,使った燃料以上の燃料を作り出す「夢の原子炉」などと言われます。確かに高速中性子を使い,燃料であるプルトニウムを,使った以上に生成するので間違いではありませんが,これで人類は無限のエネルギーを手に入れた!などと大騒ぎする人は,さすがに最近はいなくなりました。

 高速増殖炉の狙いは,燃料であるウランの効率的な利用です。ウランという鉱物資源は無尽蔵にあるものではなく,限りがあります。その点では石油や石炭と同じですね。

 現在世界中で稼働している軽水炉はこの天然ウランの中に1%未満しか含まれていない,ウラン235でなければ,動いてくれません。大部分を占めるウラン238では燃えない,つまり連鎖反応が起こってくれないのです。

 そこで,ウラン濃縮とか遠心分離とか,なんとなくパキスターンな,実にきな臭い仕組みが必要になる上,もともと少ない資源の,そこからさらにわずかしか採れない燃料が,近年の原子力発電ブームの影響もあって,ここ最近ビックリするほど値上がりしているのです。

 枯渇の心配があるうえに,世界中で温暖化ガスを出さない「クリーンな発電所」である原子力発電所がボンボコ作られてしまえば,そりゃ値段もあがります。これで原子力発電の経済性が変わってくる可能性さえあるほどです。

 そうなると,今まで捨てていた,天然ウランの大部分を占めるウラン238を利用出来ないものか,と言う話になります。例えばこのウラン238が現在価値のあるウラン235の100倍存在していたら,一気に資源の枯渇まで100倍も時間が稼げます。ある試算では数万年とか。エネルギー問題は解決したも同然と言い切る学者がいてもおかしくありません。

 ところがそうは問屋が卸しません。連鎖反応を起こすためには,中性子をぶつけて核分裂を起こさねばなりませんが,軽水炉で使われている速度の遅い中性子では,分裂しやすいウラン235しか使えません。

 ここで発想の転換です。実は軽水炉でも,飛び出した中性子のうちいくらかは,ウラン238とぶつかってプルトニウム239に変化していて,しかもこのプルトニウム239が中性子にぶつかって連鎖反応し,核分裂してエネルギーを発生させていることが知られています。その割合は,一般的な軽水炉で30%程度といわれています。

 この,ウラン238がプルトニウム239に変化することを,転換といいます。

 なら,この転換する割合をもっと増やして,プルトニウム239を積極的に燃やしてやる(連鎖反応で核分裂させる)ような原子炉を作れば,間接的ですがウラン238を燃やせることになるのではないでしょうか。

 これが,高速増殖炉です。

 ウラン238を積極的にプルトニウム239に転換するために,速度の速い中性子を使う事にします。これが高速増殖炉の名前の由来です。核分裂によって生じた中性子は,軽水炉の場合,生じた熱を取り出すのに使う水にぶつかって速度が落ちます。また,ウラン238にぶつかっても速度が落ちます。すると核分裂の速度が落ちて暴走の危険が少なくなります。軽水炉がそれでも安全と言われるのはこのためです。

 高速増殖炉では,核分裂で生じた中性子の速度を落とさないように,ウラン238にぶつけてプルトニウム239に転換させねばなりません。だから熱を取り出すのに水では都合が悪く,別のものが必要になるのです。

 この,熱を取り出すものを,冷却剤といいます。軽水炉では水が使えた冷却剤ですが,高速増殖炉では中性子の速度を落とさないで済むような液体として,溶けた金属,なかでもナトリウムを使うと言うことが行われています。

 ナトリウム?実物を見たことがない人がほとんどだと思いますが,実は私も見たことがありません。あぶないですからね,私はどちらかというと見たいとも思いません。

 なにせ,水と強烈に反応して爆発します。空気に触れればあっという間に酸化しますし,なにせ反応性が高いので,触れたものはボロボロになります。だから保存は灯油の中に漬けてあるそうです。とても柔らかい金属で,まるでバターのように切れるのだそうですよ。融点は金属としては低く,液体は水に近い重さなので,冷却系の設備の設計が楽だという話も耳にします。

 世界中でいろいろな冷却剤が候補に挙がりましたが,どれも扱いにくく,結局一番ましなナトリウムが使われているというのが実情のようです。

 ナトリウムは中性子の速度を落とさないので,高速中性子をウラン238にぶつけて,効率よくプルトニウム239を作り出すことができます。あとはこのプルトニウム239をガンガン燃やして,ウラン238をプルトニウム239にしてやれば,打ち出の小槌ってわけです。

 プルトニウムを使う危険性の問題,核兵器製造へのリスクの問題,などなど諸問題があるのは実に深刻ではありますが,これも上手く高速増殖炉が稼働したら,の話です。残念ながら開発から60年を経た現在においても,まともに動いている高速増殖炉は1つもありません。

 しかし,その存在自体が大変に危険なものであることは,もんじゅのナトリウム漏れ事故をはじめ,イギリスやフランスの事故でも明らかです。なんという面倒な化け物を作ってしまったものよと,思わざるを得ません。

 さて,そんな物騒なもんじゅですが,今回の事故がどれほどやばいか,です。

 事故は,簡単に言うと,原子炉の上部に取り付けられた,炉心の交換を行うための設備の一部分が,原子炉の中に落ちた,と言うものです。

 原子炉は液体ナトリウムで満たされています。当然空気に触れてはいけないので,反応しないようなガス(アルゴンだそうです)を充填してあります。こんなややこしい設備ですので,当然原子炉のふたは分厚く,ここにパイプを通して,左側から腕を伸ばし,炉心をつまみ出しては,右側に待機する入れ物にいれて,これを原子炉の外に引き上げるような感じです。

 今回落下したのは,この右側で待機している,入れ物に繋がったパイプです。炉内中継装置というそうですが,これを引き上げるフックのようなものが外れて,するすると原子炉内に落ちたんだそうです。

 すぐに引っ張り上げられると思ったようですが,残念ながらパイプの長さを継ぎ足す部分が引っかかり,装置が変形し,抜けなくなったそうです。設計上の限界の力で引っ張り上げたのに,びくともしないのであきらめた,というのが先日の報道だったわけですね。

 さあ困った,どうしましょうか。

 深刻なのはここからです。結論を言うと,どうにもならない可能性があります。

 まず,この炉内中継装置とやらを抜く方法ですが,引っ張っても抜けないことはわかりました。では削るなり切るなりして抜けるかと言えば,金属のくずが出てしまい,これが炉内にパラパラと落ちてしまうため,出来ません。

 では,フタをあけて取り出しましょう。おっと,液体ナトリウムとアルゴンガスが詰まってました。これを抜かないとナトリウムが大爆発しますね。

 でも,抜いてしまうと,冷却剤がなくなってしまうので原子炉が暴走します。これは困った。先に炉心を抜かないといけません。

 あ,炉心を抜く装置が壊れたんだった・・・・

 仕方がない,このもう原子炉は廃棄しよう・・・え,炉心が抜けないので廃棄できないじゃないか!

 ・・・ということは,原子炉の運転も廃棄も出来ないのに,ナトリウムを98度に維持して循環させ,維持管理しないといけないということになるわけですか。放置するために維持管理しないといけないなんて,これって文殊菩薩の怒りを買っちゃいましたか?

 まあ,ちょっと調子に乗りすぎましたか。しかしこの問題はとても深刻なように思います。現状維持,つまり放置するために設備を維持し,運転を続けないといけない状況になっているということですから,お金も手間もかかるのは当然として,いずれやってくる設備の寿命がきたら,この原子炉は暴走するか,大爆発をするしかありません。

 そうならないために,永遠に設備を維持し,更新し,トラブル無しで動かすことが求められるのです。この負の遺産は,想像を絶するものがあります。絶望でめまいがしそうです。

 毎年国の予算で維持されるわけで,費用面でも,安全面でも,とんでもないものを,我々は次世代に押しつけてしまいました。

 そもそも論は言っても仕方がありませんが,やっぱり言いたい。そもそも,ナトリウムを使うような高速増殖炉なんて,あぶないばっかで実現不可能な代物だったんじゃないんですか?

御三家シャープの撤退

 シャープがパソコンから撤退したことが報道されました。いわく,2009年度中に生産を中止していたそうです。

 シャープなんて,まあテレビと家電の会社ですから,パソコンなんてやっててもやめてても,体勢に何ら影響はないと思われるのがおちですが,新聞でも報道されているくらいですので,それなりの大きさのニュースなのだと思います。

 1990年代以降,メビウスやMURAMASAなど,個性的なノートPCで一定のファンを掴んでいたシャープの撤退は確かに1つの事件ですが,私は,実はシャープが日本のパソコンメーカーとしては最古参であるという事実が意外に知られていないことが,残念です。

 日本のパソコンの歴史を紐解くと,1976年にNECから発売された,トレーニングキット「TK-80」が思わぬヒットとなり,個人でコンピュータを所有することが,一般の人たちにも認知されるようになりました。

 これをうけ,主に半導体メーカーが自社のCPUを使ったトレーニングキットを販売するようになりました。CPUにメモリ,テンキーとLEDによるディスプレイが基板の上にハンダ付けされただけのむき出しのものが,普通の人向けに売られていた事が不思議なくらいです。

 この程度の製品では,本当にCPUを自分で操作して終わりで,実用性はありません。ゲームやビジネスアプリなど,結果を求める作業はなにもできないわけで,なんだ,コンピュータってなんにもできないじゃないか,と言うがっかり感も漂うようになります。

 もちろん,実力あるユーザーたちは自分で部品を追加し,ソフトも自分で書いて,フルキーボード,CRTディスプレイ,高級言語の実装を行っていったのですが,彼らにとってはその作業こそが目的であり,楽しみでもありました。

 そうではなく,コンピュータを使って得られる何かが目的の人のために,最初から完成していて,すぐに使えるパソコンが登場するのは,時間の問題でした。

 人によっては,トレーニングキットと中心としたワンボードマイコンのブームを第一次マイコンブームと呼ぶのですが,このブームの中でフルキーボードとCRTディスプレイを持ち,BASICインタプリタが動いて,保守契約を必要とせず,かつ完成品としてセットで30万円までで売られていること,の4つが,次の世代のパソコンの標準という方向が生まれて来ました。

 余談ですが,海の向こうのアメリカでは,かのAppleIIが1976年に登場し,このすべての条件を満たして,新しい時代を切り開いていました。(日本国内では為替の関係で価格という条件は満たしていませんでした)

 日本でこの条件を満たしたマシンが登場するのは1978年になります。あえてこの4つの条件を満たしたものを「パソコン」と定義すると,日本で最初のパソコンはこの年の9月に発売された,日立製作所の「ベーシックマスター」です。

 この「ベーシックマスター」を,日本で最初のパソコンとする考えた方が1つの流派を作っているのですが,3ヶ月遅れた12月に,シャープから「MZ-80K」というパソコンが登場します。

 なお,1979年の9月にはNECからPC-8001が登場し,この三社をして「パソコン御三家」と呼ばれるようになるわけです。

 このうち,MZ-80Kについては,セミキットという形で販売された関係で,厳密に言うと完成品で登場したわけではありません。しかし,実際に作る部分はキーボードの部分だけで,他は既に組み立て済みでしたし,すぐに完成品も登場して数年間の製品寿命を持っていたことを考えると,パソコンに含めてよいと思います。

 インベーダーゲームやYMO,デジタル時計というような「テクノロジー」が文化や世相に影響を与えるような時代背景もあり,個人所有でかつ結果を期待できるPC-8001は大ヒットとなり,ここに第二次マイコンブームが到来します。

 NECはPCシリーズとしてホビーマシンであるPC-6001からビジネスマシンであるPC-9801までフルラインナップ,ポータブルマシンPC-2001やハンドヘルドマシンPC-8201,果てはPC-100のような異端マシンまで繰り出す余裕を見せ,豊富なソフトを武器に王座に君臨,1990年代前半のPC-9801の隆盛へと続いていきます。

 シャープはMZ-80Kから現在のPCと同じような,メモリ空間の大半をRAMとして,BASICに固定せず様々な言語を扱える「クリーン設計」を1980年代後半まで踏襲し,個性的なマシンで熱狂的な支持を得ます。また,別の事業部で作られたとはいえ,MZの遺伝子を持つX1シリーズはテレビとの融合を掲げて誕生し,Z80マシンの完成形と言われるX1turboを経て,X68000という当時最強のホビーマシンを世に問うことになります。

 日立は御三家の中では唯一の68系のパソコンを作るメーカーで,究極の8ビットと評された6809を搭載したマシンを発売したりしましたが,1980年代中頃にはその存在に陰りが出始めていました。その直系であるMB-S1というマシンは,8ビットパソコンとしては最強のパワーと高い完成度を誇っていましたが,すでにホビーマシンとしてしか売れなかった8ビットパソコンの世界において,その勝負は付いていました。もしもMB-S1が68000とACRTCを持ったマシンだったら・・・とは,当時からよく言われた「IF」です。

 残念な事に,日立はMB-S1を最後に,独自アーキテクチャのパソコンから撤退します。代わって登場した68系の盟主が富士通で,1981年に登場したFM-8を皮切りに,FM-7,FM-77といったヒットモデルを連発し,新御三家の一員として,後に明らかにX68000を意識したと思われるホビーマシン,FM-TOWNSで勝負に出ます。

 この,第二次マイコンブームに参入した国内メーカーと代表機種をざっと挙げてみると,東芝がPASOPIA,カシオがFP-1100,松下がJR-100,ソードがM5,トミーがぴゅう太,バンダイがRX-78,セガがSC-3000,エプソンがHC-20,キヤノンがX-07,ソニーがSMC-70,IBMがJX,三菱がMULTI8,と言った具合です。概ね,シリーズ化もできないくらいの短い間の出来事でした。

 そしてBASICインタプリタで圧倒的シェアを握るマイクロソフトと,日本のアスキーが仕掛けたMSXが,主にパソコン参入のきっかけを失った家電メーカーから多数登場し,1980年代の第二次マイコンブームはピークを迎えるのです。

 しかし,この時期に登場したファミコンがこれらパソコンの主用途であるゲームという分野を奪い取り,次第にパソコンは仕事の道具という性格を強めていくことになります。

 ちょっと話が長くなりましたが,最古参のパソコンメーカーであるシャープは,1978年から2009年までの31年にわたって,パソコンメーカーであり続けたのです。決して1990年代のIBM互換マシンからが,彼らの歴史ではないということを,どこか1つの新聞くらいは書いて欲しかったなあと,そんな風に思うのです。

 もうちょっと遡ってみましょう。

 シャープは今日でも電卓メーカーとして知られていて,その熾烈な生存競争の勝者であることは有名な話です。リレーやトランジスタで作られた電卓をIC化して小さく安くしたことは,電卓の進歩のみならずマイクロプロセッサ誕生にも繋がる話ですが,なぜラジオやテレビのメーカーだったシャープが計算機に手を出すことになったかというと,当時の若手社員が「次の飯の種」と考えていたからです。

 NECや日立,富士通が電子計算機を立ち上げようとしていたころから,シャープは大学の先生から教えを請い,コンピュータの分野への参入を画策していました。

 しかしコンピュータは莫大な投資が必要で,製品の価格も大きく,数を売る商売ではありません。シャープはその電子計算機の基礎検討を,電卓や小型コンピュータの開発に応用するという,実に賢い選択をしました。

 ただ,こうした経緯もあって,当時は二流といわれた家電メーカーのシャープは,かなり本格的な電子計算機の基礎技術と,自社でコンピュータに使われるような大規模な半導体の生産が可能な,ちょっと特異な会社だったのです。

 1970年代前半にはミニコンピュータHAYACを事務処理用のコンピュータとして展開していましたし,1980年代にはCPUに68000シリーズを採用し,OSにはUNIXを搭載したワークステーションOAシリーズをラインナップしていました。さらにマイナーなところでは,1986年にRISCプロセッサを用いた32ビットのスーパーミニコンIX-11まで発売しています。

 また,8ビットパソコンを席巻したZ80を始め,16ビットのZ8000など高性能なCPUや,そのファミリLSIを大量に生産する能力を有し,SRAMやマスクROMにおいても常に時代の先頭を走る製品を持っていました。さらに,今では誰も逆らえないARMというプロセッサを国内メーカーでいち早く導入したのもシャープでした。

 日本のコンピュータの黎明においては,電電グループと呼ばれたコンピュータメーカーが主役を演じますが,実はシャープのような傍流にも,それなりの存在感を示すメーカーがあったのです。

 そして,その歴史あるシャープは汎用コンピュータから2009年に撤退しました。HAYACが,OAが,MZやCZが紡いできたその糸が,ここで切れたのです。

 もちろん,シャープはコンピュータから撤退したわけではありません。電卓,電子辞書,携帯電話,ネットブックマシン,そして今回のガラパゴスと,コンピュータそのものといっていい商品群で相変わらずの存在感を示しています。ただ,なんでもできる汎用コンピュータのラインナップがなくなることに,かつてのシャープを知るものとしての,寂しさがあります。

 さて,終わりに,その後の日本のパソコンを書いていきましょう。

 1990年代中頃にPC-9801で我が世の春を謳歌したNECは,その後Windowsと海外勢との競争に巻き込まれ,独自アーキテクチャのマシンから撤退し,基本的にIBM互換機メーカーとして現在に至ります。国内でのシェアは上位だそうですが,それも事業として安泰というレベルではなく,また海外ではさっぱりダメという状態ですので,かつてのIBMがそうだったように,NECにとってのパソコンというものを,再定義する時期はそう遠くないように思います。

 新御三家の富士通は,PC-9801との勝負を幾度となく仕掛けましたが,FM-16β,FM-Rシリーズ共に惨敗。これが独自アーキテクチャのマシンからの撤退を早め,現在に続くIBM互換機のFM-Vへの全面的な切り替えを行います。

 日立は早くからIBM互換機へのスイッチを行っており,コンスーマーマシンへの撤退と再参入を繰り返しながら,2000年代初めにはパソコンからの撤退を行っています。日本で最初のパソコンメーカーは,その名誉を守ることができませんでした。

 東芝,三菱,松下といった電機メーカーはぱっとしない状態でしたが,東芝はラップトップマシンで高い評価を得てノートPCに強いメーカーとなりました。

 MSXは最終的にファミコンに始まる家庭用ゲームマシンに敗れ去り,1990年代中頃までに市場から消え去りました。

 そしてシャープ,1986年に登場したX68000はMZ,そしてX1の流れを汲むホビーマシンの最高峰として,PC-9801やMacintoshとは違う世界を作り出しますが,加速度を増す技術の流れに背を向けて性能向上を怠ったことや,PlaystationやSEGA Saturnといった次世代ゲームマシンの登場により急速に陳腐化,Windowsの時代の到来と共に消え去ります。

 よく知られた話ですが,実は最終機種であるX68030の後継として,CPUにPowerPCを搭載した次世代Xの開発はほぼ終わっており,量産するかしないかという判断まで来ていたそうです。この話,私も後日関係者から聞いた記憶があります。

 シャープとしては,ホビーマシンをこのまま継続することは得策ではなく,またこの時登場したメビウスが大変好調であったことから,パソコン事業をメビウスに一本化することとし,PowerPCを搭載したXは幻に終わりました。

 ただ,もしもこのPowerPC搭載のXが登場していたとしても,まず現在まで生き残っている可能性はないと思いますし,おそらく1年か2年で撤退することになって,何も残さず,大きな損失を出していたことでしょう。X68000シリーズの後継かどうか,PowerPCを搭載するのかどうか,が問題ではなく,時代とユーザーの質が,すでにそのコンセプトと大きく乖離していたであろうから,です。

近代デジタルライブラリーの役割

 著作権が切れてしまった書物をスキャンしてデジタル化によるアーカイブを行うことがあちこちで行われています。

 我が国でも国会図書館が「近代デジタルライブラリー」という名称で2002年から行われており,今年7月の時点で明治,大正期の約17万冊が,インターネットを経由し,WEBブラウザで誰でも自由に閲覧できます。登録なども必要ありません。

 明治や大正の書物というのは,普段の生活には全く必要ありませんし,面白いものでもありませんが,興味を持ち始めるとそれは底なしという感じがあります。私の場合,産業史や技術史が好きだったりしますので,特に無線や電気工学が急速に進歩する1920年代の書物に触れることは,とても刺激的です。

 海外の文献について,これらの時期のものを目にすることはあったりしたのですが,日本語の文献を見るには国会図書館に行くしかないなあと思っていたところ,その国会図書館がプロジェクトを進めていたことをふと思いだし,「無線」をキーワードに検索すると200件近くがヒットすると知り,喜んで閲覧を始めました。

 PDFでのダウンロードも可能なのですが,サーバー負荷を考慮して一度にダウンロード出来る数は見開きで20ページ(ということは10枚ですね)に限定されているため,1冊丸々のダウンロードには手間も時間もかかりますが,貴重な資料に誰でもアクセス出来るという魅力の前には,大した壁にはなりません。

 考えてみると,資料や情報というのは,囲ってしまった人が勝者です。これらは全ての活動の源泉ともいえ,これらに自由にアクセス出来ないから,そこに差が作られます。

 文字を読む,文章を綴るという事を教育の根幹とするのはそのためですし,これらの「道具」を使って,先人達の知恵に触れるチャンスを持つことは,その人自身の可能性を広げるという意味においても,大変民主的なことだと私は思います。

 ある人が,3000円の本を書いたとしましょう。これが1000冊売れると,300万円の価値があったことになります。この人は,世の中に300万円の価値を生み出した訳ですね。

 この本はがすぐに絶版になってしまったとすると,著作権が存在するために,新たにこの本を読む機会がなくなります。全く存在すら知られず,消えてしまうこともあるでしょう。しかし,もしこの本が「誰でもアクセス出来る」ような状態だったなら,新しい読者が新しい価値を生み出してくれる可能性が出てきます。

 例えば,ですが,1960年代に一斉を風靡した,世界で最初のスーパーコンピュータとされるCDC6600というコンピュータの,アーキテクチャを説明した本が出版されたことがあります。

 CDC6600は現在のコンピュータに至る過程で生まれた,多くのアイデアが盛り込まれていて,現在も使われているものもあれば,現在は別の方法で解決された問題もあります。

 しかし,CDC6600はすでに過去のもので,この本も絶版になって久しい技術書です。

 著作権は消えていませんので,当然コピーも出回りませんし,そんなことをしたら犯罪です。

 ところが,この本の価値を知るある人が,スキャンして配布したいと考え,版元に連絡をしました。版元はちゃんと受け付けて,著者の連絡先を紹介しました。

 残念な事に,著者はすでになくなっており,奥さんが権利の保有者になっていました。この本をこのまま眠らせるのは惜しいという熱意に,奥さんはこの本をスキャンして配布することを,快諾しました。

 それからしばらくして,私は偶然そのデータを入手しました。大変に面白く,数々のアイデアに脱帽しました。1960年代は現在に通じる数々の機構が開発された時期で,それが出た当時にどれくらい画期的であったのかを知ることは,とても興味深いことです。

 私はそのことで,直接の価値を生み出していないかも知れません。しかし,こうして絶版となった名著が志あるものの目に触れ,彼が新しい価値を生み出したら,それは社会全体に,もっというと人類全体にとってプラスになることだと思えないでしょうか。

 知恵の継承というのは,こうして行われて来ましたし,そこで新しい技術が生まれて,人はさらに進化していくわけです。著作権という権利はとても重要な概念ですが,諸刃の剣であることを痛感した出来事でした。

 日本語は全世界で1億数千万人しか使わないローカルな言語です。しかしその長い歴史を考慮すると,蓄積された情報量というのは膨大なものになることでしょう。それが特別なものではなく,広く希望する人に行き渡ることで,新しい価値が生み出されるはずです。

 国会図書館が,こうしたプロジェクトを地道に行っていることは,一見無駄に見えるかも知れませんし,マニアックで,一部の人の利益にしか鳴っていないように見えるかも知れませんが,直接閲覧して面白いと思うならそれはそれでよいし,直接ではなくても間接的に,必ず社会全体の利益になると,私は信じています。

 注意しないといけないのは,昔の本ですから,ウソも書いてあるという事です。電波は「エーテル」を媒質に伝わると,これだけ豪快に言い切ってしまう文献を,歴史的なものとして見るだけのゆとりがないと,恥をかきますのでご注意あれ。

ページ移動

ユーティリティ

2026年03月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

過去ログ

Feed