エントリー

カテゴリー「ふと思うこと」の検索結果は以下のとおりです。

4004から40年

 1971年11月,世界で最初のマイクロプロセッサ「4004」が世に出ました。2011年の今年は,なんと4004が登場して40年という節目の年になります。

 4004はすでに歴史の中の半導体で,電子部品としての詳細を知る人も少なくなりました。コンピュータである以上は機械語もニーモニックもあるし,周辺チップとの接続方法や,もっと根本的に電源電圧や消費電流,クロックなどの電気的スペックも当然存在します。

 これらは,4004を使うために必要な情報であって,理解には専門知識を擁する技術者でなければ難しいわけですが,4004はすでに歴史的役割が語られるだけの存在になっているので,専門家である必要はありません。

 面白いなあと思うのは,4004の果たした役割に対して勝るとも劣らない8080や8086,80386というCPUを語るには,4004のように役割だけではまだまだ足りず,そこに必ず技術的な話が必要になるということです。

 これはつまり,技術的な話が理解出来る人にしか,その功績を理解出来ないということを意味します。だから,4004に比べて8080や8086,80386の凄さというものが,一般の人々の間にまだまだ知られていないのだと思うのです。

 4004は世界初のマイクロプロセッサであり,ここからの説明は文系の人でも「世の中を変えた」だの「コンピュータが家庭に入った」だのと,まあありがちな話を適当に垂れていればそれで様になります。

 また,実際のところ,技術的側面において4004の凄さを語るのはなかなか難しいのも事実です。

 よく知られているように,4004は電卓ごとに作っていた専用の電卓LSIでは埒があかないので,1つのLSIで様々な電卓を作る事が出来るように,汎用性の高い電卓LSIを目指した中で誕生しました。

 キーボードとディスプレイと電源,場合によってはプリンタを繋げば電卓が完成する専用の電卓LSIは,全てハードウェアで電卓の機能を実現しています。それら機能の追加や変更があったら,いちいちLSIを作り直さねばなりません。

 これではとても大変なので,それらの機能をバラバラに分解し,それらをソフトウェアで動かすように考えたのが,当時のビジコンの開発陣です。足し算には足し算の命令を,かけ算にはかけ算の命令を,平方根には平方根の命令を,プリンタ駆動にはプリンタ駆動の命令を用意し,ハードウェアで作られたそれぞれの機能を呼び出すのに使うわけです。こうすれば,1つのLSIで様々な電卓を作る事ができます。

 ここまでの話を考えたのが,かの嶋正利さんです。このアイデアを実現してくれる半導体メーカーを探し回って,ようやく受けてくれたのはインテルだったのですが,当時のインテルにとって,彼らのアイデアを実現するには回路規模が大きすぎて,とても作る事ができませんでした。

 ここからがとても素晴らしいのですが,インテルのテッド・ホフさんは,この汎用電卓LSIの回路をもっと簡略化し,難しい動作や高い機能はソフトウェアで実現するというアイデアを提案します。テッド・ホフさんも嶋正利さんも,ミニコンピュータや汎用機をそれなりに知っている人ですので,それがコンピュータそのものであることを知らないわけはありませんが,発想はコンピュータのダウンサイジングではなく,電卓LSIの汎用化からです。

 0から9までの数字と,その数字の属性を考えると,一桁の表現力としては4ビットもあれば十分です。桁数の多い計算は何度も繰り返せばいいわけで,桁数分の回路を搭載するのは無駄だという話です。

 こうして,4004は4ビットCPUとして誕生しました。

 発注元のビジコンにとって,4004は彼らの要望を満たすための汎用電卓LSIに過ぎませんでしたが,言うまでもなく4004は超小型のコンピュータそのものでした。インテルはこれに気が付き,カスタムLSIであった4004を一般に販売できるように権利をビジコンから買い取り,MicroComputerSystem-4,略してMCS-4と名付けて販売をします。こうして,世界最初のマイクロプロセッサが登場したわけです。

 ところが,8080の素晴らしさというのはわかりにくいのです。8080の前には8008という8ビットCPUがありましたから,世界初とかインテル初という話にはなりません。しかし8008と8080は天と地ほど差があって,8086が8080の直系とするならば,現在のインテルのCPUの起点であると言って良いものです。

 16ビットのアドレス持ったこと,スタックをRAMに置いてネスティングレベルを事実上無限にしたこと,自由度の高い割り込みを持ったことなどが,明らかにそれまでの世代のCPUとは一線を画しており,下位のミニコンピュータに列ぶ機能を実現していたのです。8ビットCPUとしては,すでに完成形であったといって良いでしょう。

 8086は現在のIA32の元祖ですが,実はこれもわかりにくい存在です。世界初の16ビットCPUではありませんし,インテルにとって8086は当時主流ではなく,膨大な開発費をかけた別の本命CPUまでのつなぎとして考えられていましたし,主役に抜擢されたのも,その本命CPUが大失敗したからに過ぎません。

 8086が16ビットCPUとして優れていたのは,リニアではないにせよ1Mバイトまでアクセス出来るメモリ空間を持っていたこと,8080との互換性はなかったものの,8080を使った人がすんなり移行できるような継続性のあるアーキテクチャを持っていたこと,そして専用の浮動小数点演算プロセッサ8087が用意され,これと組み合わせれば,あたかも最初から浮動小数点演算命令が備わっていたかのように振る舞ってくれたことでしょうか。

 80386に至ってはさらにわかりにくい存在です。32ビットCPUとしてはいくつも先行した他社製品があり,インテル自身にとってですら初めての32ビットCPUではありません。ですが,80386こそ本当の意味で現在に続くIA32のスタートだと言えるものです。

 アドレス空間も32ビットで完全にリニア,ページング方式の仮想記憶をサポートし,メモリ保護機能とリングプロテクションを持っていました。また32ビットの汎用レジスタは機能に差がなくなっており,近代的なコンピュータとして最低限欲しい機能が全て入った,32ビットのコンピュータとして欠点のない,まさに全部入りのCPUだったのです。

 実は,8086もその後継である80286も,ちゃんとしたコンピュータを知る技術者からは散々な言われようをした,欠点だらけのCPUでした。同時期に出ていたモトローラの6800や68000との比較が常に行われ,「電卓あがり」だの「詰めが甘い」だのと,随分揶揄されたものでした。しかし,80386が登場してからそうした悪口を叩く人はすっかり消え,ライバル達もいつの間にかいなくなってしまったのです。

 機能として完成の域に達した80386はのちにIA32と呼ばれるアーキテクチャの起源とされ,以後登場する80486やPentiumは,基本的の80386の高速版として生まれました。のみならず,後継となるはずだった64ビットCPUのItaniumさえも蹴散らし,64ビット拡張まで行われて,まさに王者として君臨しています。

 インテルのCPUとてコンピュータですから,当然技術的に複雑で,加えてコンピュータ自身が急激に進歩した時期に開発が続いたものですから,その進化の意味や後に与えた影響を考察するには,相応の専門的な知識が必要です。

 問題は,そこまで深く理解して考察するべきかどうかで,現在のPCや家電品の高性能化を,果たして4004にまで遡るべきか,あるいは8080,8086,80386まで遡れば済むと考えるかは,それぞれの立場や理解力にかかってくるように思うのです。

 もしかすると,4004がなければ,コンピュータは小型化しなかった,つまりマイクロコンピュータは誕生しなかったという人がいるかもしれません。しかし,4004から数ヶ月遅れで,当時のNECから4ビットのマイクロプロセッサが発表されています。インテルがやらなくても,どこかの会社がコンピュータを半導体に作り込むことは,そんなに時間を置かずに実現していたことでしょう。

 いろいろ書きましたが,それでも世界最初のマイクロプロセッサが登場して40年。冷蔵庫ほどもある「設備」だったコンピュータ本体がシリコンの板に焼き込まれて,印刷物のように大量生産されたことでやってきた世界は,確実に我々の生活を変えたはずです。

 むしろ,インテルにしてもNECにしても,当初なかなか売れなかったマイクロコンピュータに見切りを付け,さっさと撤退してしまっていたらどうなっていたかを考える方が面白いでしょう。今時はどの会社でも,儲からないとわかればさっさと撤退しますから,もしかすると過去に撤退したものの中には,世の中を大きく変えたものがあったかもしれないですね。

GALAPAGOSは撤退か転進か

 シャープの電子書籍端末,GALAPAGOSの2機種が生産終了に伴い,販売終了とという発表がありました。後継機種が出ていませんので,事実上の撤退ということになります。

 GALAPAGOSはなにも端末の名前でもなく,電子書籍端末のサブブランドでもなく,電子書籍ビジネス全般の名称ですので,端末を出さないことが直ちに撤退,ということになるというのはやや勇み足でしょう。

 しかし,1年で100万台売る事を前提にして始めたビジネスが,10万台未満の数字で維持できるというのはあまりに甘く,また端末がAndroidマシンになった段階で,もうGALAPAGOSというエコシステムは実質「消えた」と見るべきでしょう。

 思えばその自虐的な名前で話題になって1年。発売からわずか10ヶ月で姿を消すまでの間に,これほど迷走したプロダクトも珍しいのではないかと思います。

 当初の直販のみという販売方法を実現するには,気が遠くなるほどの反対意見を説き伏せないといけなかったはずですし,それ以前にチーム内での議論にも随分時間をかけたのではないかと思います。

 それだけのことをやっておきながら,あっさりと店頭販売を認めたことが,私にはとても不自然に思えました。これがまず1つ。

 次に先にも触れた,Androidタブレットにするというアップデートです。もともとLiunxベースと発表されていたGALAPAGOSは,実のところAndroidベースと言っても差し支えがない物でしたが,Androidと名乗るにはいくつかの条件があって,それを満たしていなかった,あるいは時間的に間に合わなかったために名乗れなかったのだと思います。だから私は,戦略の変更というよりも,最初からAndroidで出すつもりだった,と考えていました。

 このアップデート自身は歓迎されるものだったと思いますが,これだって相当の議論があったはず。内部だけではなく外部の反論と闘わねばならなかったことは,直販専用にしたことと同じくらい大変だったはずです。これは,iPadと直接比較されるのか,されないのか,というメーカーに取ってもユーザーにとっても,とても大きな違いです。

 それがあっさり,iPadと同じカテゴリに入ってしまいます。ユーザーが欲しかったのは,電子書籍端末であり,なんちゃってiPadではなかったはずです。

 こういう,ユーザーの裏切り方というのは,近年大変珍しいと思います。そのハードウェア,そのビジネスモデル,その将来性,そのコンセプト,その「何か」に共感されて,製品というのはユーザーに買われるわけですが,ユーザーの支持を受けた「何か」が変わってしまうことは,新しいユーザーの獲得に繋がる一方で最もありがたい初期のユーザーを裏切ることに他ならないからです。

 どんなことでもそうですが,変化に追従することを歓迎する人でも,ぶれてコロコロ変わってしまうことを肯定する事は少なく,初期のコンセプトが突飛なもの(直販しかり専用端末しかり)であればあるほど,初期のユーザーの失望は大きくなるものです。

 まして,GALAPAGOSの場合,ぶれるというより,やめてしまうわけですから,もう失敗だったと言ってるに等しく,これを越える支持者への裏切りというのはもはや存在しません。ユーザーに対する罪と言ってもいいくらいです。

 しかし,このこと以上にGALAPAGOSの問題は,もっと本質的な部分,つまり「電子書籍端末」として機能したかしなかったか,にあります。

 この際コンテンツの数が少ない,ということをあげつらうつもりはありませんが,その数少ないコンテンツが面白いものだったか,欲しいと思う物だったか,わざわざ電子書籍で読みたいと思う物であったか,そしてこれが一番大事なのですが,今はなくとも待てばそれら優良コンテンツが出てくる事を期待出来たのか,今読んでいる本の次があるのかどうか,それを継続的に努力して行かなければ,結果は厳しいものになります。

 つまり,今GALAPAGOSをはじめとする電子書籍端末に投資する人というのは,今すぐに利便性を享受したい人以上に,未来への期待とそれに対する投資という観点が多いはずなのです。
 
 シャープはGALAPAGOSを発表するときに,なんといいましたか。

 一方,電子書籍に逆風が思った以上に吹いているということも,無視できません。

 現在,電子書籍を手に入れる方法(これはつまり電子書籍端末を使う方法と同義)には2つあり,1つは電子書籍を買うという方法,もう1つは自分で電子書籍を作るという方法です。

 後者の「作る」と言うのも,自分で書いてしまう自作もあれば,紙の本をスキャンする「自炊」と言われている方法もありまずが,どちらにしても前者の購入という手段があまりに手薄な現在,後者に頼らざるを得ません。

 自分で書いた物を自分で読むなんて普通はしませんから,実質紙の本をスキャンすることしか入手方法がありません。スキャナは進歩し,安くもなりました。なによりニュースなどでも採り上げられて,多くの人の知るところとなりました。

 しかしこのことが,私の想像以上に「負のイメージ」を持つ事に,驚いています。

 つまり,自炊はコピーだという認識です。もっと積極的にいうなら,違法コピーだ,どろぼうだ,ということです。

 私は,自分で買った紙の本を裁断し,スキャンし,捨てています。実体として価値のある物はスキャンせず本棚に入れておきますが,私にとって実体に価値のないものは,電子化しても価値は目減りしません。

 これはごくごく当たり前のことなので,私は自分の凝り性を自嘲気味に,自炊した冊数やスキャンしたページ数で自慢することがまれにあります。

 しかし,周囲の受け取り方がここ最近大きく変化したと感じています。それは,自炊=犯罪者,という見方です。自炊した本が何千冊ある,という言い方は,何千冊も本を買うはずがない,従って電子化された本をどこかからコピーしてきたのだ,という論法です。さらにたちが悪いのは何千冊の本を読むはずもなく,それをただ集めたいからでコピーしているだけ,と言う蔑まれ方です。

 冗談じゃありません。私は2000冊以上の本を自炊しPDFとして持っていますが,そのほとんどを読了しています。また,その本はほとんど全部,これまでに自分で購入した本です。

 まさか,本をデータという形で盗む人がいるなど考えつきませんでした。

 私が自炊をする最大の動機は,せっかく買った本を捨てずに,手元に残すという方法として唯一だからです。そして昨年,ようやくそのデータを紙ではない媒体で読む事が可能になりました。Kindleの購入です。

 買ってきた紙の本を裁断機で分解し,それをScanSnapでPDFにした後,Kindleに流し込んで読むというフローは,私にとってはすでに特別な事ではなく,日常となっています。毎日寝る前に読む本はすべてKindleになっていて,すでにこれが使えないという状況,例えば電池が切れているなどがあると,寂しくて仕方がありません。

 私は,結果として電子書籍端末で電子書籍を読むという行為そのものは,抵抗なく受け入れられるものだと考えています。しかし,その肝心な電子書籍が数冊程度では,たんなるガジェットに過ぎません。

 電子書籍端末は,電子書籍が増えれば増える程その価値が増大します。自炊しか供給元が現実的にない日本の電子書籍において,5冊のPDFと2000冊のPDFでは,自ずと電子書籍端末の価値も変わってきます。

 その自炊という行為が,およそ手軽に出来る物ではないため,ごく一部のマニアだけが電子書籍と電子書籍端末を便利に使っているというのが,詰まるところ今の日本の状態です。

 では,自炊の代行は正しい行為でしょうか。代行そのものは,問題ないと思います。ただし,入力は裁断前の本であり,出力は裁断後の本と電子ファイルのセットである必要があると思います。要するに代行者が勝手に紙を処分するとか,裁断後の紙をスキャンするとか,こういう事は禁止され,あくまで「代行」に徹することと,その責任は代行を依頼した人が全て負うことが必要でしょう。

 だから,裁断済みの本を貸す業者や,裁断済みの本を置くマンガ喫茶にスキャナが常備されるとか,代行業者が本を買ってくるとか,そういう行為はアウトです。

 しかし,この代行という仕事は,とにかく違法行為と隣り合わせです。現実的に犯罪行為を行っていると見られることも不可避でしょうし,代行業者にその気がなくても知らず知らずのうちに犯罪の片棒を担ぐことになることも大いに考えられるわけで,このことを織り込み済みで商売をしない限り,うまくいかないと思います。つまり,手間とリスクと代金の相場を考えると,割の合わない儲からない仕事なのです。

 健全な形は,出版の1形態としての電子書籍が販売されることに他なりません。紙の本と電子書籍を選ぶことが出来ればなお良いし,どちらかだけでも良いのですが,いずれにせよ個人の所有物を加工するという「自炊」は,あくまで個人の所有物だから許されているのであり,これが個人の枠から離れるようなことがあると,その段階で問題となります。

 電子書籍の世界に古本はありませんから,電子書籍の出所は,出版社か個人所有の加工物か,いずれかしか存在しません。

 こう考えた時,GALAPAGOSは,いったいそれを支持したありがたいアーリーアダプタに対し,一体何を与えたでしょうか。電子書籍の整備が出来ないので汎用のAndroid搭載マシンとして使って下さい,というのは,あまりに彼らをバカにしていると思いませんか。

 なかには,こうなることは薄々分かっていたとか,うまくいくはずがないと思っていたので驚かないとか,そういう覚めた意見が出ているようです。ですが,GALAPAGOSを信じて買ったユーザーのためを考えたら,ここまであっさりと「あきらめる」ことがよくも出来たものだと,震えが来るような気分の悪さを感じませんか?

 ここまでの完全撤退だと,かすかな希望も見えません。

 はしごを外されてしまったユーザーが,シャープという会社の責任についてどんな風に考えているのか,知りたい所です。

 もし,amazonがKindleをやめたら?ええ,私は別に構いませんよ。だって,KindleはPDFビューワですから。

 GALAPAGOSだってそういう考え方で使っている人がいるかも知れません。

 1つだけ思い出して下さい。

 GALAPAGOSを始めるとき,シャープはパソコン事業から撤退して,GALAPAGOSに集中すると言っていました。MZ-80に始まるシャープのパソコンの歴史は,日本のパソコンの歴史と言える時期もありましたが,それを生け贄にしてまで始めたGALAPAGOSがこの有様ということは,もうシャープには新しい事業を育てる力はないということを露呈したのだと思います。

Steve Jobsが去るとき

 テレビのニュースでも相当の時間を割いて報道された,米AppleのCEOであるSteve Jobs氏の突然の辞任。私が今さら書くことなどなにもないので,この話には触れないでおこうと思いましたが,Apple][と「二人のスティーブ」を知って30年,Macintoshを愛機として使うようになって20年,そのころから常にAppleとJobsを意識していたことを思い起こすと,やはり1つの時代が終わったと感じざるを得ず,簡単でも書いておかねばならないと思うようになりました。


 昨夜のニュースをいくつか見ていて思ったのですが,どうもJobsを「カリスマ経営者」としてまとめてしまい,変革者としての偉大な功績をたたえることに終始したが故に,その多面性を伝え切れていないように思うのです。

 彼だって人間です。特に若いときの傍若無人ぶりから,多くの敵がいたし,多くの失敗を重ねてきました。今の彼のありようは,当たり前のことですが,それら全てを包含しているのです。

 私とて,彼と友人でもなんでもなく,会ったことすらありませんから,普通の人が触れることの出来る本や映像などの情報から得られる物からの想像によるわけですが,これらに加えて30年近く前からASCIIやI/O,Oh!PCやOh!MZなどの雑誌に目を通し,そこに掲載されていた海外ニュースを通じて,経営者としてよりはむしろ,コンピュータ業界の「お騒がせ屋さん」として彼を「リアルタイム」に知っていた事実は,当時の彼がどんな評判だったかという記憶も加味して,「iPhoneの人」「プレゼンの達人」という程度の知識の今時の人々を凌駕していると自負します。

 まず,Macintoshが生まれるまでのエピソードは,バトルオブシリコンバレーというTVドラマが大変良くできていると思います。元ネタはあれだな,と思う映像がたくさん出てきますが,複数の本を読みこなすより,このドラマを2時間見た方がよほど正確で,楽しく当時の状況を知ることが出来るでしょう。ドラマの放送時点で話題になった登場人物が大変似ている,という話は本当で,「ふつう知らんぞ」と思うような一瞬しか出番のない登場人物でさえも,そっくりです。これだけでも見る価値があると思います。(アデル・ゴールドバーグはちょっと美化されてますが)

 そして,自らが口説いたScullyに追われる身になってからのJobsです。ScullyはJobsを追い出し,その割に彼が大した功績を残せなかったこともあって,評価されてはいませんが,当時のJobsは確かにAppleにとって有害であり,誰かが決断しなければならなかったことを考えると,Scullyは少なくとも自らの野心だけでJobsを追い出したのではないと思います。

 ということで,彼の「失敗」を列挙してみましょう。

(1)Apple///
 Jobsがイニシアチブを取ったApple///は,IBM-PCをに怯えてか,ビジネスよりのマシンとして企画されたが,Apple][との互換性が軽視されたこと,放熱ファンの搭載をJobsが「絶対」に許さなかったことで故障が頻発したこと,そして独自仕様のフロッピードライブの自社生産にこだわりここでも故障を連発したことで大失敗し,Appleに相当の損害を与えた。
 当時Appleを支えたApple][がなぜ売れていたのかを冷静に考えず,また裏付けのないまま直感に頼った方針決定が失敗の原因。

(2)Lisa
 XeroxのPARCで見たGUIに衝撃を受けてLisaを作ったところはさすが,であるが,そのLisaが向いていた方向が,またもやビジネスだった。ビジネスマンが当時マウスとビットマップディスプレイを必要としていたのかどうか,まずそこが疑わしい。
 日本円で100万円を越えるマシンを重役以上がデスクにおくことを狙ったそうだが,それで何台売れると考えたのか。
 またソフトは全てAppleが開発してバンドルするという方針も,ソフト会社を締め出すことに繋がっている。ハードウェアの信頼性も低く,しかも高価な別売りのハードディスクがなければ実質動作しなかった。
 ちなみにMacintoshXLに改修されなかったLisaは,砂漠に埋められたらしい。

(3)初代Macintosh
 Lisaを安くしようという流れは正しく,そのために開発された技術(QuickDrawやToolBox)も確かに素晴らしかった。しかし,相変わらず放熱ファンを許さなかった事による信頼性の低下や,拡張性を認めず,ユーザーが筐体を開くことすら許さなかったことは,Macintoshというマシンを「過信」していた事の現れである。
 この勘違いは,結果として膨大な在庫としてAppleを圧迫し,レイオフまで余儀なくされるほど深刻な事態を引き起こした。
 Jobsが許さなかった放熱ファンの採用と拡張性は,Jobsが追放されてからのマシンには搭載されるようになり,コンピュータとして評価されるようになった。

(4)NeXT Computer
 JobsがAppleを追われて作ったNeXTというマシンは,その先進性が今日伝説になるほどの素晴らしさを誇っていたが,ストレージがハードディスクの何倍も遅い光磁気ディスクであったり,処理能力が不足していたりと,ハードウェアの能力が不足していたのが現実であった。
 また非常に高価なマシンで,納入されたのは大幅なディスカウントがある大学など教育機関がほとんどであったため,利益を生み出すことはなかった。
 後にNeXTはハードウェア部門をキヤノンに売却,AT互換機で動作するNEXT STEPを商売にしようと試みるが失敗。

(5)PowerMacG4 Cube
 Apple復帰後のマシンだが,放熱ファンを搭載しないことでまたもや信頼性を落とした。タッチセンサ式の電源スイッチは誤動作を連発し,ウェルドラインが目立つようなデザインにこだわりすぎたためクレームも連発。短命に終わる。


 (4)と(5)はちょっと置いておいても,(1)から(3)はどれか1つだけでも,創業社長の大失敗としては破格の物があり,普通なら速攻会社を潰したか,緊急動議で社長解任てなことになったと思います。そうならなかったのは,Apple][が利益の源泉として機能し続けたことと,やはり「怖い人」であったJobsに対する遠慮があったのだと思うのです。なんといっても創業者です。やりたい放題で,気に入らない奴には容赦ない罵声を浴びせ,クビにする。

 そんな厳しさの中で,良識ある人は彼の元を去ったし,残った人は彼の機嫌を損ねないようにしていました。彼と対等に話が出来るメンバー,例えばMike MarkkulaやWozniakは,彼を何度もたしなめ,ブレーキを踏み,時に尻ぬぐいまでやるわけです。そして,彼らでさえ「手に負えない」とさじを投げたとき,貧乏くじを引いて彼に最後通告したのが,John Scullyだったというわけです。

 JobsはNext Computerを設立して,自分の作りたかったコンピュータを作ることにしますが,それが必ずしも他の人が欲しいと思うとは限らない事実を思い知ったはずです。しかし,当時の彼には,Appleに一泡吹かせてやりたいという,ある意味で不順な動機が強かったように思います。

 決してうまくいっていない会社の社長が,傍若無人とも言える横柄な態度であったことも問題で,私に言わせればNeXTが失敗したのは必然です。


 そして彼は,ふとした縁からPixarを買うことになります。Pixarは技術的には素晴らしく,これに私財をなげうったJobsの先見性には脱帽で,本当に一文無しになる寸前まで相手を信じてPixarを支え続けて,ギリギリの所で大成功を収めるというドラマチックな話は,Jobsという人の転換点を示しているように思います。

 PixarではAppleやNeXTの時とは違って,お金は出すけども口は出さず,彼らにやりたいようにやらせていました。これは映画,とりわけCGという,Jobsにとっても口出しできない分野だったこともあるでしょうし,そうした素人の口出しが失敗に繋がることを確信していたからだとも言われています。

 なかなか成果が出ないPixarでしたが,それでも,Jobsは信じてお金をつぎ込みます。彼らを信じて成功に導き,Jobsは現在ディズニーの取締役です。

 Jobsはここで,自分以外はバカだ,と言う考えを捨て,相手を信じ,お金を持っている人間が何を成すべきかを考えて,その役割を忠実に遂行することを体得したように思うのです。Jobsが人の上に立ち,成功に導く経営者として飛躍するのは,この時からだというのが,私の考えです。

 Appleに戻ってからのJobsは,専門家として口を出す経営者として数々の成功を収めてきました。iPodは音楽の持ち歩き方を変え,iTunesStoreは音楽の売り方と買い方,そして作られ方をも変えてしまいました。iPhoneは一部のマニアのオモチャだったPDAとスマートフォンを一般に広めて人々の知的能力を平均的に底上げしましたし,MacOSXは常にパソコンOSの先頭を走っています。

 全てがJobsの成果物ではないと思いますが,Jobsは自分が口を出すべきところと,出さざるべき所をちゃんと区別するようになったのではないかと思います。そして,成功によってのみ,自分のいう事を人が聞いてくれるようになるのだという真理も,実感しているのではと思います。

 Jobsという人が人間的に豊かになり,彼の話に涙を流す人が現れて,人間としても尊敬を集める存在になったとき,彼は病魔に襲われます。ニュースで見た,やせこけたJobsの姿は実に痛々しい物ではありましたが,その表情からはつかみかかるような厳しさや傲慢さ,その裏に潜む劣等感が消え,まるで聖人のような気高さのようなものを,持っているように感じました。

 Jobsという人の魅力に,改めて気付かされた,昨日のニュースでした。

Break away from the past

 Googleが老舗のモトローラを買収したニュースは,お盆でぼやけていた日本人の頭をたたき起こすようなニュースでした。Androidが1兆円近いお金をかけてもらえる子供に育ったことを,関係者はどんな風に見ているのでしょうか。

 私個人は,携帯電話メーカーとしてのモトローラにはそれほどの思い入れはありませんが,三角波と正弦波をうまく組み合わせて「M」という頭文字をデザインしたあのロゴは,小学生の時に眼にして以来「いいなあ」と思っていました。

 モトローラは1928年(昭和3年)にシカゴで創業,当時は創業者の名前を冠してガルビン製造会社と名乗っていました。ラジオの部品(という補助パーツ)を作っていた経緯から,1930年代の自動車ブームに乗って,カーラジオの製造に乗り出します。

 当時のラジオは大きく重く,さらに自動車という劣悪な環境で動かすにはとても難しいものでした。電源だって,初期は大きな蓄電池やAC電源を使うもので,およそ「モビリティ」とは相容れないものでした。

 ガルビンのカーラジオは,自動車を表すMOTORとラジオを表すOLA(これはピンとこないでしょうね,でも戦前のなんとかオラというラジオの名前はよく見られたのです)を組み合わせたMOTOROLAをブランド名にします。公式には動きを表すMOTOと,ラジオを表すROLAを組み合わせたものとなっていますが,まあ意味するところは同じようなものでしょう。

 なんと1928年の創業です。ラジオを手がけ,軍用を含み通信機を手がけ,戦後は半導体を手がけ,コンピュータを手がけて,モトローラは通信とコンピュータという20世紀の特徴的な技術で巨大な会社となりました。

 私くらいの世代にとってのモトローラは, C-MOSロジックの14000シリーズと,MPUであるMC6809やMC68000,そしてPowerPCでしょうか。モトローラは戦前から続く大企業ですし,意志決定や品質維持のためのプロセスはすでに確立しており,話を聞くととても官僚的だし,出世のための派閥抗争も並の民間企業程度にはあったそうです。

 半導体はいわばベンチャービジネスで,ライバル達はインテルやナショナルセミコンダクタなどの若い会社ばかりです。TIやレイセオンがようやく相手になる会社かなと思っていたのではないでしょうか。

 ですが,モトローラの半導体は,日本市場を重視してくれていたこともあり,とても入手しやすかったのです。私が子供の頃,部品屋さんで4000シリーズを買うと,日本製よりもモトローラ製の方が多かったこともしばしばです。価格も安く,性能も良く,品種も揃っているので,子供だった私はあのMマークを見て,アメリカというエレクトロニクスの本家本元に胸を焦がしていたものでした。

 そして1980年代,マイクロプロセッサは若くて元気のあるインテルの80系と,大量の資金と優秀な技術者を抱えた巨大な老舗モトローラの68系という,何もかも対照的な2つで覇権争いが本格化します。

 これだけ違うものですから,棲み分けだって出来たと思うのに,彼らは闘うことを選びました。後に巨大企業のIBMと組みPowerPCを手がけることを,この頃誰が想像したでしょうか。

 モトローラが顧客としていた企業に,アップルがあります。初期のMacintoshはMC68000を用いていました。アップルはインテル以上にくだけた会社でしたが,ヒッピーの集合体のような会社を,1970年代にモトローラがまともに相手をしていたとは思えません。

 Macintoshが登場したときには,すでにアップルは大きな会社になっており,アメリカンドリームを具現化した夢の会社として有名でしたから,さすがにその頃にバカにされることはなかったでしょうけども,それでもモトローラが彼らの文化や思想を理解出来ずにいたことは,想像に難くありません。

 そのモトローラは,次第に儲からないビジネスを切り売りしていきました。

 半導体は大規模なLSIをフリースケール,トランジスタや小型の半導体をオンセミコンダクターとして分社化,すでにMマークの半導体を手に入れることは出来なくなっています。ICの型番にMCがついているところに,その名残を見ることが出来ます。

 モトローラはテレビ工場を1980年代にパナソニックに売却してテレビ事業から撤退していますし,軍事関係はジェネラルダイナミクスに売却,衛星電話もイリジウムの破綻で撤退しています。世界で最初の携帯電話を開発した会社らしく,携帯電話メーカーとしての生き残りをかけていましたが,それも携帯電話部門とソリューション部門で会社を分割し,これをGoogleが買ったことにより,モトローラは我々から非常に遠い会社になってしまいました。寂しいものです。

 かつて,MC68000が登場した時,そのユーザーズマニュアルの表紙には,「Break away from the past」と書かれていました。

 インテルが8ビットを引きずった8086を出していたことに対し,MC68000は未来を見据えた気高い思想と引き替えに,究極の8ビットと呼ばれたMC6809との互換性を捨てました。

 MC68000は高い評価を受け,絶賛されたわけですが,勝負は結果としてインテルに軍配が上がり,モトローラは切り売りされてしまったのです。

 なにがモトローラをそうさせたのか,その理由を知りたいものです。

春が来る

 春になりました。

 4月だというのに,東北の被災地では雪もちらつき,首都圏でも朝と夜には冷たい風が吹きますが,それでも注ぐ太陽の光は,明らかに春先のそれです。

 桜の花もまるで暦を数えていたかのように咲き始めました。我々の周囲で起こっていることなど,気にもかけないたくましさを感じ,やや複雑な気分になります。

 私は春という季節が嫌いです。花粉症はありませんから身体的な都合は皆無ですが,冬の寒さが好きな私は暖かくなる気配を感じることがそもそも鬱陶しいのです。

 6月の梅雨,7月と8月の猛暑,9月の残暑と,湿気と暑さに弱い私にとってはこれから始まる数ヶ月の厳しさに,まさにめまいがしそうです。

 私にとって,新年度のスタートはもはや夢も希望もなく,3月の次の月が4月というだけの話に過ぎません。

 春だから,と言う単純な理由で浮かれる人たちが多くいることをも,気に入りません。もっと積極的にいうと,春が嫌いな事以上に,浮かれた人を見るのが大嫌いです。

 寒いのにおしゃれをしたいという理由で震えながら丈の短いスカートをはく女の人。寒いのに桜の木の下で震えながら冷たい弁当を騒ぎながら食べる人。それは本当に自分の意志でやってますか。誰かに何かに踊らされていませんか。

 まるで虫が這い出してくるようにそこらかしこに人が増え,わざわざ通勤の電車を混雑させ,しかも彼らは一様に土埃を引き入れてきます。一体どこに行くのですか。

 どうして春でないといけないのか。

 変わらぬ日常を楽しみ,繰り返される連続の中で平穏を生きることの落ち着きを,春という季節の訪れと環境の激変が,完全に吹き飛ばして壊してしまいます。

 ・・・壊す,そう,1年に一度,この季節は,凝り固まった体を伸ばし,活動のためのトリガをひく,そんな時期です。もし,この季節がなかったら,日々の平穏と引き替えに,新しい発想も,新鮮な気分も,1年に一度必ず手に入れていたはずのものを,失っていたかも知れません。

ページ移動

ユーティリティ

2026年01月

- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

過去ログ

Feed