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自宅サーバはもう限界かも

 昨年末に自宅のインターネット回線を光ファイバにし,IPoEで接続するようになってから,自宅のサーバーに設置したこのブログに繋がらなくなるケースが頻繁に起きるようになってきました。

 出来るだけ固定費をかけないようにする(趣味ですからね)目的で無料にこだわってきましたが,IPoEにした時点でIPv4によるアクセスはあきらめざるを得なくなりましたし,IPv6によってほぼ実質的に固定されたIPアドレスを持つサーバーを外部に公開し続ける事に対するセキュリティ上の不安もあり,今後どうするかを真面目に考えることになりそうです。

 IPv4によるアクセスが出来なくなることについては,携帯電話事業者がIPv6でのアクセスに対応していることから,スマートフォンからのアクセスに支障がないという判断から,もうこの際IPv4しか対応しないケースはあきらめて頂こうと考えて,割り切りました。

 ところが,どうもIPv6でもアクセス出来たり出来なかったりするのです。いろいろ調べてみましたが,サーバーを置いているNASのメーカーが提供するDynamicDNSであるmyqnapcloud.comから,IPv6のアドレスが返っていない場合があるようなのです。

 アドレスを直接打てばアクセスが出来ているので,ルータやサーバの設定はとりあえず大丈夫のようなのですが,ある時はIPv6のアドレスが返ってきてブログにもアクセス出来たかと思えば,その5分後にはアドレスが返ってこずアクセス出来なくなっていたりするので,困ってしまいました。

 これまではこんなことはなく,IPv6が扱えるマシンからなら必ずブログに届いていました。ただ,他の人からしばしばアクセス出来ないとか,もう死んだのかとか,そういうクレームを受ける事もあり,手元で再現しない限り対策も出来ないと結局あきらめてしまったのでした。

 実はこのブログ,少数ながら見て下さっていた方もいたようで,ごく希に引用されたりしています。うれしいことではありますし,僅かとは言え自分もインターネットに情報を提供する立場になっているのだなと感慨深いものもあるわけですが,調べてみるとここ1年ほど誰もアクセスをしていないようです。

 検索エンジンで引っかからなくなったことも大きいと思いますが,それはそれでさみしいもの。ちょっとお金はかかるけども,レンタルサーバを使ってきちんとブログを公開するようにしようと,そんな風に考えています。

 レンタルサーバを使えば,これまでの問題や妥協が一気に解消されます。IPv4もサポート出来ますし,検索エンジンにもひっかかるようになるでしょう。ローカルネットワーク内からアクセスするために内向きのDNSをわざわざ立ち上げていますが,それも必要なくなります。それに,自宅のルータのポートを塞ぐことも出来ますから,安全性を高めることにも繋がります。

 このブログはWordpressを使っていませんし,軽いスクリプトですので,安いサービスでも十分でしょう。あとは移行のための手間ですね。この夏休みの課題としましょうか・・・・

 

AMラジオの役割

 先日,民放ラジオ各社がAM放送をFM放送に転換するという発表を行いました。
テレビのニュースでも報道されていたくらいなので,impressなどのインターネットメディアでも詳しく報道してくれるかと思っていたのですが,案外静かなもので,注目度の少ないニュースとして流れていってしまいそうな感じです。

 AM放送の設備はFM放送に比べて大規模で,設置も維持もお金がかかるというのは本当の話ですが,その代わりサービスエリアは広く,受信機が簡単で済み安いですから,多くの人に聞いてもらえます。つまり,全国共通の内容が中心になるということです。

 それに,なんといっても,とても貴重な中波という周波数帯です。ここは国際的にも放送波に割り当てられていて,簡単に手放すというのはもったいないかもなあと思ってしまいます。

 FM放送はVHF対を使いますので,見通し距離しか電波は届きませんからサービスエリアは小さくなりますし,だから出力も小さく,設備も小さく済みます。だから,FM放送は地域ごとに放送局や番組内容が異なっていて,地域色が豊かなのです。

 ただ,そういう特徴をもってしても,昨今のラジオ放送の経営環境は厳しくなっていて,公共性の高いラジオ放送であっても,経営判断が必要になっているということなんだと思います。

 すでにFM補完放送というわかったようなわからんような名前で,AM放送と同じ内容をFMでサイマル放送する仕組みが続いているわけですが,これもAM放送の設備の重さに耐えられないという放送側の都合の結果始まったものと記憶しています。

 そういう背景がありつつ,結局2028年にどうなるかというと,全国の民放各局はFM放送に移行します。ただ,直ちにAM放送を停波するということではなく,当面は同時放送という形を取るようです。

 ただし,秋田県と北海道についてはサービスエリアが広いためFM放送への移行はせず,現状のままとなりそうです。また,NHKについても2023年にAM放送を1波に集約してからは当分AM放送を維持するという事になっています。(NHKはつい最近放送設備を更新したので,停波する理由もありません)

 厳しいのは在京大手の3社で,ここは免許の更新年にあたる2028年にAMも停波することを目指しています。ただ,その段階でFM補完放送に対応したラジオ(90MHzから108MHzまでが受信出来るラジオ)が今のAMラジオなみに普及しているかどうかが問題になるはずで,停波した結果リスナーが減ったとあればスポンサーも離れていってしまうでしょうから,慎重に判断することになるでしょう。

 ただ,VHFは遠くに飛ばなくても,インターネットは遠くに声を運びます。FM放送の中継局に音声を配信する仕組みがある現在,FM放送のサービスエリアは十分に広いと考えるのも,正しいかも知れません。


 ここでちょっと考察してみます。

 なんでこのタイミングでこんな話が出てくるのか。もちろん2028年に免許の更新時期を迎えることや,設備の老朽化の問題が避けて通れないこと,リスナーの減少で経営環境が厳しい事もあると思いますが,それにしても「今」浮上する話としては今ひとつ説得力がありません。

 思い出されるのは,VHF-Lowと呼ばれる周波数帯の,総務省の失策です。もともとここはアナログテレビの1chから3chに割り当てられていたのですが,地デジへの移行によって空き地になりました。

 非常に貴重な周波数帯なのでいろいろな活用法が考えられたのですが,きっといろいろあって結局東京FMの子会社が「デジタルラジオ」放送を行う事になりました。これが大コケにコケて会社は清算,周波数帯は返上という話になったのでした。

 このまま一等地を空き地にするわけにもいかず,総務省もはやくなかったことにしたいということで,新しい技術開発の必要な用途ではなく,手っ取り早く有効活用できる(したように見える)FM放送の拡張を行い,ここにAM放送を移籍させることにしたんじゃないかなあと思っています。

 なんだか,AM放送各社が自分たちの都合でFM放送にするという話になっているようですが,実のところ総務省の強い意向があったんじゃないかと,まあそういうわけです。

 考えてみると,AM放送とFM放送では,なにからなにまで違います。もし総務省がそれぞれの放送局に「同じ事が安く出来る」などといってそそのかしているのだとするなら,総務省はどれだけラジオ放送を軽視しているのかと思います。ああ,かつて頼もしい(かつ怖い)存在だった郵政省はどこにいったのでしょう。

 当然,教育テレビは無駄とかAMを2つも持つのは無駄とか,FMなんかやめてしまえといっている識者といわれる人々の声に推されて,当然NHKにも同じような圧力をかけているのだろうと想像出来ますけど,それでも当初の予定通りAMは1波にして続けますと言い切るんですから,NHKよくやったといってやりたいです。

 それから,これは私が一番懸念することなのですが,ラジオの自作がもう出来なくなるなあということです。FM放送では,電池を必要としないゲルマラジオを作る事が現実的に出来ません。

 本来電波を受信して復調することに電源を持つ事は必要なく,電波それ自身がエネルギーを持っていることを,ゲルマラジオは教えてくれます。グルグルと巻いたコイルにバリコンとダイオードと抵抗,そしてイヤホンがあれば電池もいらないラジオが出来上がるというのは,電気がないと動かない家電製品に囲まれた子どもたちを驚かせるのに十分なのです。

 それほど簡単な仕組みでラジオが完成するのは,これはいってみれば放送局側が負担してくれているからでもあって,FMラジオが安くなかった時代においては,この受信機の簡便性というのはとても大きなメリットでした。

 AMラジオは実用的な回路でも規模が小さく,自作にもってこいです。いまさらラジオを作る子どもがどれほどいるのかわかりませんが,自分で作ったラジオが市販品と同じ放送を受信して音声を出すその瞬間を目の当たりにすれば,そこに感動が生まれることは間違いないと思います。

 前述のゲルマラジオの始まり,トランジスタを減らしたレフレックスラジオ,かつての定番6石スーパー,ICを使ったストレートラジオ,果ては真空管を使って作る事も出来ます。でも,AMラジオに比べて回路の複雑なFMラジオを作るには,現実的にIC以外の選択肢はありません。

 殊更ラジオや無線の対するノスタルジーを協調したいわけではありません。ただ,FM放送に移行し,AMラジオが「ゴミ」になってしまうような時代になると,ラジオの自作はもう行われなくなってしまい,過去の文化になってしまいます。

 電子工学がとかモノづくりがとか,決して大げさな(かつありがちな)話では無く,夏休みの工作の選択肢がまた1つ減ってしまうという小さなレベルでも,私はとても残念な事に思えてならないのです。

 FMラジオにもキットはあるよ,という方の声も聞こえてきますが,それらは残念ながら,主要な回路は組み立てと調整まで済んでいる事がほとんどです。はじめてハンダゴテを使う人に,FMラジオの回路の組み立ては難しく,調整に至っては手も足も出ないものです。

 基板をネジ留めしてFMラジオを作ったことに出来るなら,どんなものでも手作り可能と強弁できます。ですが,それはAMラジオの自作とは根本的に異なる世界である事に,我々は気が付かねばなりません。

 そしてもっとも大切な事として,なぜ自作したラジオから音が出るのか,というラジオの仕組みを考える際,はるかに複雑なFMラジオの仕組みはAMラジオのように簡単に理解出来ないのです。

 作っておしまいなら,プラモデルと同じです。作る事をきっかけに学ぶことは,FMラジオでは難しいといわざるを得ません。だからAMラジオなのです。

 NHKだけでも残ってくれて良かったと思います。全国で放送が行われますので,地域によってAMラジオを自作する意味があったりなかったりするという差がなくなります。私はこの1点でNHKに受信料を払う理由があると思うほどです。

 AMラジオを維持するにはそれなり体力が必要であることは承知しているので,民放各局に期待はしません。ただ,NHKともう1社,どこか大手がしっかりとAM放送を続けてくれることを,望みたいと思います。

 総務省がまたスケベ心を出して中波帯で新サービスを考えついて,また哀れな民間会社が天下り先という使命を帯びて作られては消えてを繰り返すのは,もうみたくありません。

 

ARMへ移行するmac

 M1?

 BMWが紆余曲折の末に発売したスポーツカー?
 オリンパスが数々の画期的なアイデアで小型化した一眼レフ?
 (あるいはミラーレス一眼のフラッグシップモデル?)
 コルグが満を持して発売し世界を席巻したデジタルシンセサイザー?

 私が思いついた「M1}には偏りがありますが,googleで「M1」を検索すると,まあ出るわ出るわ。漫才グランプリからラジコンヘリ,果ては粉ミルクに至るまで,みんなこの語呂が好きなんだなあと思います。

 先日発表された新しい3つのmacは,AppleM1というCPUに持ち,インテルのCPUからの置き換えの口火を切りました。これは,macの長い歴史に大きなトピックとして書き加えられることでしょう。

 皮肉にもAppleM1のアーキテクチャであるARMにも,Cortex-M1という「M1」があるのですが,これは組み込み用途のローエンドをカバーするプロセッサであり,PC向けのものではありません。

 さすがに混同されないのは,それぞれに関係する人間に重なることがないからなんだろうと思いますが,M1という言葉の響きには頭にすっと入ってくる自然さと将来への期待が感じられて,なかなかよいんではないでしょうか。

 前置きはともかく,パソコンの黎明期に多感な時期を過ごした私にとって,PCの個性の最たるものであるCPUが変わってしまうことには,未だに大きな驚きがあります。

 CPUを交換するというのは,いわば「脳みそ」を交換するようなものであり,そこを変えたらもはや別人なわけで,同じ名前を名乗ってよいのか,同じ商品として売って良いのかと,首をかしげてしまいます。

 OSが同じでもそれは別人が同じ服を着て「変装」しているに過ぎないと見え,うがった見方をすれば消費者を騙す戦略と言えるかも知れません。だって,同じ見た目なのに,話す言葉が違うんですよ?

 ただ,現実はどうかというと,CPUが変わったことに誰も気が付かず,気が付いても実害がないので問題にしません。そして最も大事なことは,これが初めての事ではないということです。

 最初の驚きは,68kからの移行でした。当時のMacはモトローラの68000を起点に拡張を続けていましたが,今からは信じられないほどCPUのアーキテクチャにベッタリと依存したシステム構成で作られていました。

 だから,単純なコードの変換では済まず,ソフトの作り方から学び直さないといけないといっても良いほどの大事件だったのです。

 それでも当時のAppleには,重装備なCISCチップが性能向上をリーズナブルな形でモトローラが実現出来るとは思えず,MacのCPUにRISCチップからPowerPCを選択して将来を託します。

 インテルはx86をその強力な技術力で成長させたので,CISCが最高性能のコンピュータの構成要素にならないとは,理論的に言えません。しかし,そのために必要な条件やリソースは並大抵なものではなく,それはもはやインテルしか解決出来ないものであったと言えると思います。

 インテルはそのために,CPU以外のものを捨てて集中しました。儲けたお金をどんどん開発につぎ込み最高性能のCPUを作り続けてきたのですが,これも今にして思えばx86を捨てて新しいアーキテクチャにしていれば,もっと安上がりに作れたか,もっと高い性能のものが作れたのではないかと思ったりします。

 モトローラは巨大な企業でしたが,68000をインテルほどに強化することは技術的にも経営的にも出来なかったと思います。だから88000というRISCを用意するのですが,それも失敗におわります。

 焦ったのは顧客であるAppleです。当初88000で作ろうとしていた次世代のMacの見通しが立たなくなってしまったところに,あのIBMが秋波を送って来ました。かくしてAppleは,かつて挑発をして破れた世界最大のコンピュータメーカーでRISCチップの生みの親でもあるIBMのCPUを使うことに決めるのです。

 あわてたモトローラはこの連携になんとか食い込むことを画策し,かくてPowerPCの最初の製品であるPowerPC601は88000のインターフェースを持つ異端として生まれ,88000で動いていたMacの頭脳として動き出すのです。

 こうして誕生したPowerMacintoshは,68kの呪縛から解き放たれて性能向上や製品ラインの強化に成功します。ソフトの互換は長い時間をかけてネイティブ化を進めますが,当座は68kのエミュレーションでしのぐことになります。

 なにもかも異なるコードをエミュレーションで動かすのですから,「動くように作れば動く」というレベルだったように思えるくらい,動かないものが多かったと記憶しています。速度の低下も大きく,FPUのサポートは結局なされなかったと思います。

 68kのままでも将来はなく,PowerPCでも見通しは暗い,その上x86の性能向上はめざましく,Windows95はバカ売れです。ここでAppleはもう死ぬんだと多くの人が思ったでしょう。

 なんとか苦しい時期をしのぎ,PowerPCがその本領を発揮するようになると,デスクトップのハイエンドはともかく,今後主流になると彼らが考えていたノートPCを,彼らの思うように作る事が出来ないという現実に直面します。

 Appleは早くからノートPCが個人用コンピュータの主流を占めると考えていた節があり,それはWindowsの世界よりも明確だったと思うのですが,残念な事にPowerPCがそのビジョンを邪魔するようになっていました。

 当時のIBMの半導体の開発力は凄まじく,彼らが本気になればなんでも出来たはずですが,残念ながらPowerPCやPOWERはハイエンドの性能重視の製品に搭載されていて,ノートPCなどはインテルのCPUでいいじゃないかという判断がありました。

 「いずれノートPCが最高性能を求められるようになるんだ」というAppleの未来予測をIBMが理解してくれず,そのために絶対に必要だった低電力・低発熱・高性能なPowerPCへの理解がないことに,袂を分かちます。

 そして,IBMに匹敵する唯一のメーカーである,インテルのCPUを使うのです。

 この頃になると,CPUのアーキテクチャに依存するようなソフトを書くことは少なくなっており,すでにApple社内ではすでにMacOSXがインテルCPUで動作しているとも言われていました。

 少なくともCPUのアーキテクチャとは分離した形でOSやライブラリは整備されており,これに当時実用化されたダイナミックトランスレーションを用いたことで,PowerPCからインテルへの移行は,それほどの混乱もなく完了したのです。

 もちろん,PowerPCとx86では数字の並び順が違うという根本的なところに違いもあり,簡単なことではなかったはずです。しかし,ダイナミックトランスレータであるRosettaの出来が良く,またインテルのCPUの性能が高かったこともあって,インテル搭載のMacに買い換えることは,速度的なメリットを生むことになりました。

 そしてAppleは,クリエイター向けのハイエンドマシンとしてノートPCを提供出来るようになり,彼らのビジョンをあきらめなくてもよくなったのです。

 Appleはその後iPhoneの大ヒットで自社に半導体設計能力を抱えるようになります。最も重く大変な開発環境がすでに用意されているARMを使えば,自分に都合のいいCPUを開発することも難しい事ではありません。

 一方のインテルはCPUの覇者であることに変わりはないものの,その勢いや技術力に陰りが見えてきました。最先端のプロセスの導入には何度も失敗しているし,同じx86でもAMDの性能面で差が開いてきつつあります。消費電力も下がりません。同じような性能を持つCPUを自社で作り,それが遙かに小さな電力で動作することを目のあたりにすると,もうインテルのCPUを使う理由がなくなります。

 なのでAppleは,自社製のCPUに切り替える決断をします。それがApple siliconです。

 今のAppleにはお金も技術も人材もあります。不満のあるCPUを使い続けるような貧しい我慢をしなくてもよく,世界最高の半導体を使うという贅沢を迷わず選ぶくらい,豊かになったということでしょう。

 とはいえ,そこは技術の世界です。ARMに切り替えたmacが,バイナリ変換をしながら実行する速度が,インテルCPUのmacにかなうはずもないと私は思っていましたし,OSもRosetta2も不完全で,互換性に難ありだと思っていましたから,私は買わないつもりでいました。

 実は,私の生活マシンである11インチのMacBookAirがかなり厳しい事になっていて,どこかで買い換えないとまずい状態になっています。2011に購入した古参のMacですが,11インチという手頃なサイズとキーボードの心地よさから,買い換えるチャンスを逃してしまいました。

 すでに最新OSが動かなくなって久しく,自己責任でなんとかcatalinaを動かして延命している状態です。しかし,それもいよいよ怪しくなってきましたし,すでに実用レベルの速度で動かなくなっており,メールを見るのもwebを見るのも苦痛で仕方がなくなっています。

 生活マシンですので特殊なソフトも周辺機器も必要なく,Apple siliconへの切り替え(と新しいOSへの移行)にはうってつけな条件だったのですが,やはり初物は怖いという事と,結局11インチは出なかったということもあって,見送りの予定でいました。

 ですが,評判を聞くとすでにインテルのCPUのmacより高速で快適だというじゃありませんか。

 悩んだ末,私は13インチの最も安いmacbook airを注文したのでした。英語キーボードを注文したので,入手はまだまだ先ですが,仕方がありません。

 ということで,少しだけ今回のApple siliconへの移行を考えてみます。

 まず,移行の理由はインテルのCPUでは自分たちの目指すノートPCが作れなくなるだろうと考えたからだと思います。それでもインテルはAppleの要望をIBMよりもずっと聞き入れていたと思いますが,それもインテルに実現するだけの世界一の技術力があってのことです。

 話を聞いてくれても実現出来ないなら意味はない,インテルが今回見限られたというのはこれに尽きると思います。

 そして,インテルがどうしても聞き入れてくれなかった,CPUの性能差による製品ラインナップ構築を,自社CPUにすることでようやく撤廃できると考えたからでしょう。

 よく言われるように,インテルはCPUをクロック周波数やコアの数,キャッシュの大きさなどで細かくグレードに分けて,価格を変えています。昔からそれが当たり前のことだったので違和感を感じずに来ましたが,とはいえ実際に購入する時になると,さずか数百MHzの近いに数万円の差があることを許すか許さないかで葛藤する「面倒臭さ」がありました。

 これを楽しいと思う人でも,iPhoneで同じ事をされたら困るでしょう。そう,iPhoneもiPadも,CPUの性能で製品ラインナップが構築されているわけではないのです。

 考えて見るとこれはすごく自然な事で,製品の構成部品の1つに過ぎないCPUの性能で選ぶコンスーマー製品などPC以外に存在しません。ゲーム機だってそうですよね,PS5がCPUの性能で3つのグレードに分かれていたら,大きな違和感を感じるはずです。

 またしてもAppleは不自然な当たり前を自然なものに書き換えようとしています。それは多くのお金と力を持つ者しか許されていないことで,私は蓄えた財をこうしたことに投下できるAppleを好意的に感じています。

 かくしてmacBookAirとmacBookProはCPUの性能差ではなく,それ以外の特徴によって分類されることになったのです。なんと自然な事か。

 私が感心したのは,まさにこれでした。ようやく半導体技術者の勝手な都合からPCを取り戻すことが出来たのです。長い道のりでした。

 Appleはインテルと違って,CPUが商品ではなく,製品を作る部品の1つに過ぎません。インテルのCPUを選んでいるのでは私ではなくAppleでしたから,結局CPUの性能を私に選ばせていることに,責任回避のような,ある種のモヤモヤが拭えなかったのです。

 ようやく望ましい未来がやってきたと感じます。うれしいですよね。

 性能面では,M1というチップにはまだまだ物足りない者があります。クロックは3GHz程度のようですが,CPUの8つのコアのうちハイパフォーマンスのコアは4つしかありません。処理が重くなったときにググッと引っ張るトルクは,やはりインテルに分があるように思います。

 マルチチップで搭載されるメインメモリも足かせでしょう。メモリの不足だけはどうにも深刻で,CPUコアと密に繋がって性能を高めることは,当時にメモリを拡張できないという不自由さに直結しますから,製品寿命は短いとみるべきです。

 電力の低減にも効き目はありますし,部品点数を削減することにも効果はあります。しかし,長く使おうというユーザーには厳しいものがあり,そこもmacがスマートフォン化していくのだと見るべきかも知れません。

 すでにAppleはGPUについてはアーキテクチャに依存しないMetalに移行できている関係で,種類やコアの数にそんなに制限を受けることはありません。エミュレーションではなくダイナミックトランスレーションで十分な速度が得られる理由はここにもあり,上手い設計をしていると感心します。

 それでもこれらデメリットが霞んで見えるのは,その消費電力の低さです。電力が小さいと冷却も簡単で済みますし,電池も小さく出来ます。製品自体を小さくすることも出来ますし,安くすることもできます。消費電力が大きいことは誰の得にもならないことなのです。

 もしかすると,AppleはiPhoneとiPadのようにハードウェアの大部分は共通化し,OSの違いで製品を作り分けることを考えているのかも知れません。以前macがiPhoneとOSを共通化するのではないかという噂が出ていましたが,共通化するのはむしろハードウェアであって,OSを変えることで製品とターゲットユーザーを変えるのではないでしょうか。

 そうなると,必要なのはCPUのスケーラビリティでしょう。クロック周波数を上げるのか,コアの数を増やすのか,もっと簡単に搭載するCPUの数で調整出来るのか,それはわかりませんが,今のmacproを越える性能を出すのは,そう簡単なことではないはずです。

 ただ,性能の向上はCPUを増やすことと,それらを上手く繋ぐことにあるというのは,数々の成功例を見てももはや常識です。かの「富岳」のような構成のバケモノマシンがmacproとして登場することも,あるいはあり得るかもとワクワクしてきます。

 今回のOSのアップデートで,macosはバージョン10から11へと,ようやくメジャーアップデートを果たしました。ARMへの移行というより,CPUのスケーラビリティと性能の調整の仕組みがきっと重視された設計になっているに違いありません。

 私にMacBookProは,ソフトの互換性の問題で今だにMojaveのままです。MacBookAirは瀕死の状態ですし,こういう苦しい状況を新しいMacBookAirが一気に解決してくれると期待しているだけに,届くのが楽しみです。

 

MacBookProのキーボード修理とユーザー体験


 2016年の秋に購入したMacBookProは,もうすぐ購入後4年になります。

 新しいアーキテクチャに切り替わるタイミングを今か今かと待ちわびて,予約までして購入したマシンですが,この4年間は十分に活躍してくれています。

 この世代のキーボードにはあれこれと難癖がついていて,1つはバタフライ式キーボードの問題と,もう1つはESCキーがない事への不満です。

 いずれの問題も後にユーザーの意見が通って変更されているので,Appleの設計者は悔しい想いをしていると思いますが,数の少ない高級機のユーザーの意見を,それまでにかけた開発費用を捨ててでも取り入れる誠実さ(とお金持ちっぷり)には,アップルらしさを感じます。

 そのキーボードですが,使い心地は別にして,壊れやすいというのが深刻です。構造的にホコリを噛み込みやすく,その結果押し心地が大きく変わってしまう,何度も入力される,入力されない,というトラブルが高確率で発生します。

 この問題はプロの道具としては致命的で,先にアメリカで問題になった後,リコールがかかっています。日本でも同様の対応が取られており,購入後4年を期限とし,減少が見られた場合には修理が無償で行われることになりました。

 私のマシンは幸いにして深刻なキーボードの問題はなかったのですが,カーソルキーのdownキーが,半分くらいの割合で入力されないという問題が出るようになってきました。

 以前から入力されないことはあったのですが,これほど確率で入力されないようになってきたのは最近のことで,作業効率が大きく低下して困っていました。

 改めて調べてみるとそろそろ期限が切れるではありませんか。そこでアップルのサポートに問い合わせることにしました。

 とりあえず電話しようと調べてみると,申し込みをすると先方から折り返してくれる仕組みです。すいていたようですぐに折り返しがありました。

 話をするとあっけないくらいに修理の手続きが進みます。あれこれと疑われたり,ストレージの初期化からOSの再インストールをやれと言われたり,無償にならない場合があるという細かい説明を繰り返されたりといううんざりする定番のやりとりは全くなく,すぐに修理受付に進みました。

 近くにアップルストアがあるのですが,コロナ禍という事もありますし,その場で修理が出来るわけでもないので,引き取りをお願いしました。

 とても丁寧で気持ちの良い対応を頂き,こちらが恐縮したわけですが,最速でお願いした引き取りは翌日土曜日の午前中に,付属品も書類もなし,ただ本体だけをそのまま梱包もせず,ヤマト運輸の担当者に手渡して完了しました。

 まあ,土曜日の午前中に渡しましたから,日曜日に到着しても作業は行われないだろうし,最短で火曜日受け取りかなあと思っていたら,なんと月曜日の9時過ぎに私の手元に戻ってきました。

 まさか修理されていないじゃなかろうなという心配は杞憂に終わり,めでたく私のMacBookProのキーボードは完調になっておりました。

 よく知られているように,このリペアはキーボードの交換だけでは済まず,トップケースとバッテリーも交換が必要になります。万が一有償になると6万円近くかかる大修理なわけですが,これがすべて無償です。4年も前に購入したマシンですからね,なんだか申し訳ない気がしてなりません。

 もちろん気分良く使えていますし,見た目も新品に生まれ変わったみたいでうれしいのですが,それにしてもこのアップルの対応,すべてがこちらの期待を越えるもので,これまで受けたいろいろな会社のサービスやサポートのなかで,最高のものであったと思います。

 きちんと修理されていることはもちろん,高額な修理費用が無償になったこと,電話の対応,迅速な手続き,土日に関係のない修理作業,,発送から返却までわずか50時間という驚異的な短さは,すべてがユーザーの不安を解消し,実害の発生を最低限にとどめ,それらに対する覚悟が肩すかしに終わるような,素晴らしい体験だったと思います。

 日本はおもてなしの国だとかなんだとか言う人もいますが,日本のメーカー,それも日本を代表するような名だたるメーカーのサービス対応はとてもさみしい物で,ユーザーを疑うことから始まり,なかなか非を認めず,ごねた人には「特別対応」をして逃げ切るかと思えば,修理そのものも適当で直っていない,他を壊して戻すなども頻発しています。

 購入後すぐに修理が必要になることも問題でしたし,修理期間が最低でも10日,私のケースでは3ヶ月もかかり,その間全く使えないことも当たり前だと開き直ります。

 工業製品ですから完全を求めるわけにはいかないものですし,その結果安価に製品が買えているわけですから納得もするのですが,それでも結局誰が一番損をしているかといえばユーザーです。

 さすがにUX先進国のアメリカだけに,製品を売って終わりということではなく,買う前からその商品を手放すまでの間のユーザー体験を最大化しようという発想が根底にあるんだなと,今回の事で本当に感心しました。

 同時に,そうしたユーザー体験を提供するために,莫大な費用を用意出来るアップルという巨大企業の,お金の使いどころに恐ろしささえ感じました。

 製品にお金を支払うというのではなく,その製品と共に過ごす時間を買うのだという意識は,日本のメーカーとだけ付き合っていては見えてきません。

 amazonもここ最近,急激に使い心地が良くなっていると感じます。私はヨドバシの方が断然いいと思っていましたが,最近のヨドバシの劣化も相まって,amazonが本当に気に入ってきました。

 かつてはサポートの電話番号も非公開ですぐに連絡をする方法がありませんでしたし,運送業者に渡してしまえばあとは知らんというスタンスでしたが,それも今では信じられません。

 買うときのワクワクだけではなく,買うときの心配を取り除く工夫,買った後の後始末まで,マニュアル通りの対応ではなくそれぞれのケースで最善を尽くそうという方針に,これもユーザー体験を買っているのかも知れないなあと思うようになってきました。

 アップルもamazonも北米の会社です。日本での対応は本国の許可が必要なはずですし,日本市場を重視するとは言え日本のメーカーや小売店を越える必要はありませんから,彼らのワールドワイドの方針に従っているのだろうと思います。

 とすれば,それはグローバル化の1つ,ということになります。

 日本の持っている物が良い場合(多くの場合その通りでした)において,グローバル化というのは後退を意味するケースもあったでしょう。しかし日本の持っている物は良くないものになっていたり,海外の方がもっと良いものだったりすることも増えていて,いつの間にやらそれらが「標準化」された結果,非常に良いものに改善されることが,日常的に起こっていると気が付きました。

 もともと私は日本だ海外だと区別してものを考える事を不自然に感じる人でしたが,国内の状況が少しずつ悪くなって行くことは肌で感じていて,海外において行かれているなあという焦りのような物を感じる事も増えてきました。

 それは発展の著しい国々の猛追だけではなく,もともと日本の先を走っていたアメリカやヨーロッパとの間が,また少しずつ開いてきているという実感です。

 しかしながら,私は心配していません。日本国内の会社がだめでも,これまで通りアップルとamazonに頼めば済むだけの話なのですから。
 

キッチンの水栓を交換することで考えた

 コロナですっかりカタツムリになってしまった私ですが,毎日の夕食を担当するなかで劣化がひどくなってきたものに,キッチンの水栓があります。

 そりゃもう7年も使っているんですから,悪くもなるでしょう。

 一番ひどいのは,シャワーとストレート,そして浄水の3つを切り替えるレバーが,ギーギーと鳴くようになり,気持ちよく切り替える事が出来なくなってしまったことです。

 切り替えそのものは出来ているので実用上はなにも問題はないのですが,レバーが重くなったことに加え,クリック感がなくなりきちんと回しきるのが大変になったこともありますし,気分的にもよくありません。

 この部分の分解清掃をやってはみたものの,効果は数日で薄れてしまいます。

 ならばと,子部分の部品交換を考えたのですが,シャワーの付いたヘッドを丸ごと交換しないといけないらしく,あろうことか24000円もするというんですよ。

 高いなあと思いつつ,ちらっとamazonがお奨めする物を見ていると,水栓丸ごとでも2万円まで買えるようです。もともと6万円ほどする物ですからね,パチモンかも訳ありかも知れないですし,取り付けをどうするんだという話もあるので,あまり真面目に見ることはしません。

 しかし,このヘッドの交換を検討する時に,TOTOのWEBで後悔されている部品構成図などを見ていると,この製品の後継機種をたどっていけるようになっており,まさにこの機種が18000円ほどで買えることが分かりました。

 水栓は10年くらいでもう使えなくなるものと考えても良いので,交換出来ればそれは歓迎すべき事なのですが,古い物が製造中止で安く出ているかと思って探してみると,それはむしろ高価なくらいです。

 どちらかというと,現行商品が安く出ているようなので,思い切って交換してみることにしました。後継品種ですから,基本的にはリプレース可能でしょう。

 交換前の機種名は「TKHG38P」,後継の現行品は「TKS05308J」らしいです。

 取り付け穴も同じ,配管の長さはちょっと違うのですが,まあどうにかなるでしょう。

 デザインは大きく変わっているので慣れるのに時間はかかるでしょうが,悪い物ではなさそうです。

 TOTOのWEBサイトに取説など一式アップされているので到着までの時間で予習しておきます。

 ということで,土曜日の午前中に,新しい水栓が届きました。欠品がないかを確認し,揃っていることを確認出来たら作業開始です。

 まず古い水栓を取り外します。いやー,綺麗に使っているつもりでも汚いですね,水回りは触るのが嫌になります。

 先に配管を外します。この時代の水栓はワンタッチカプラーなる物で配管されているので,これを流用出来れば簡単だったのですが,現行品には採用されず,ナットで接続するタイプに戻っていますから,カプラーごと外してしまいます。

 シャワーの接続も外してしまい,その後水栓の下部にあるネジをアレンキーで外して,慎重に引き抜きます。おお,なんだかイカの解体みたいです。

 取り付け用の台座も流用出来そうにないので外して,新しい物に交換です。これは簡単簡単。

 続けて新しい水栓を取り付けてしまいます。配管を穴に通し,台座にネジ留めします。配管を通すのがちょっと面倒ですが,別に問題はありません。

 次からはもうシンクの下側の作業で,座りっぱなしです。配管を上手く取り回し,ナットで接続していきます。実は過去の水栓がシンクの裏側の面から370mmの位置に接続点があったのですが,新しい物は400mmを指定しています。3cmの違いならどうにかなるだろうと思っていたのですが,あまった配管を取り回すにはちょっと中途半端な長さで,冷水側の配管を少し急に曲げてしまい,折り曲げ跡を作ってしまいました。

 問題なさそうなので気にせず先に進めます。シャワーの接続も終わると,後はもう開栓しても問題はありません。きちんと水が出てきて,漏れないことを確認したら,あとはもうお片付けです。

 ここまで1時間ほど。さすがに予習をしただけあって,スムーズに作業が進みました。

 使い勝手は大きく変わりましたが,あっという間になれてしまいますし,快適な操作性なのでなにも文句はありません。通常,6万円の定価に工事費用が数万円で合計10万円コースだろうと思うのですが,最終的に2万円以下で済んでいます。

 「安く上がって良かったですよ」という話をしたいわけではなく,私が考えたのは,一体何が適正な価格なんだろうか,と言う疑問です。2万円なら私のように壊れる前に交換しようと思う人がいるでしょう。5万円なら壊れてからの交換になるでしょうが,納得して出せる価格ではないでしょうか。

 しかし,10万円の出費というのは,ちょっと抵抗がありませんか?いや,積み上げれば仕方がない金額になるんだろうし,工務店の方々がぼっているっていう話をしたいわけではなく,あくまで私の金銭感覚で10万円は簡単に出ないよという話です。

 10万円が納得出来ないからやめときます,という話にならないのが住宅設備関連です。水道が壊れてしまえばそりゃ生活が出来ませんから,30万円ですと言われても出さざるを得ませんよね。

 こういうことを悪用する人々がいても,不思議じゃないかも知れないと私は思ったのです。

 私の推測はこうです。工務店は本来,工事を2万円くらいで引き受けていたら赤字です。そこで,品物の利益でそれを補填します。2万円くらいで仕入れるが出来る水栓を,メーカーの標準小売価格である6万円で売るのです。

 これになにも問題はありません。かつての水道工事というのは現物合わせが主体となる大変な作業ですので,以前なら納得する人も多かっただろうと思います。

 しかし,2つの変化が訪れます。1つは工事を簡素化するために,メーカーの製品が標準化を進めていき,取り付けに際する現物合わせを極力排除したことです。このことで作業時間は短縮され,交換品の在庫も流用も持てるようになり,しかも作業スキルによって仕上がりが変わったり,スキルの低い人でも工事が出来るようになりました。

 しかし一方で,誰でも出来るようになったことから,素人でも簡単にできてしまうようになりました。

 2つ目の変化は,製品の購入です。かつては工務店しか買うことが出来なかった住宅設備関連品ですが,どういうルートか楽天でもamazonでも買うことが簡単になりました。

 買うことが出来るようになったと言うだけではなく,とても安いのです。おそらく,工務店への卸値に近い価格ではないかと思います。工務店の中には,amazonから仕入れる人もいるんだとか。

 こうして,独占されていた製品の購入が開放されたこと,そして工事も素人に出来るくらいに簡素化されたことで,一気にDIYに敷居が下がったのです。

 私は水栓の交換に1時間ほどかかっていますが,交換しようと決めてからわずか24時間です。工事の決定から支払い,そして工事完了まで1日ですからね,プロの頼むよりも早いというメリットも大きいのです。

 こうして環境が整ったことで,消費者としては選択肢が一気に増えました。安いけど手間がかかる,高いけど楽ちん,様々な選択肢がある事は,消費者にもメリットがありますし,選んでもらうための競争が起きますから,業界全体が良くなる方向に向かうことは疑いようがありません。

 そう考えると,これまでがおかしかったんだなあと気が付きます。そしてそれらが変化し,現在の地点に来ることが出来た要因に,製品のメーカーが進めた工事の簡略化と独占販売をやらなくなったことがあり,結局メーカーなどの大きな会社が作った道筋に流れていくんだなあと思いました。

 今年でなんと20周年を迎えたamazonがあけた風穴には多種多様なものがあり,誰かがそれをまとめるだろうと私は期待しているのですが,絶版の本さえ注文を受けては後になってごめんなさいをするいい加減さに辟易したサービス開始直後のamazonが懐かしく思い出されます。

 必要不可欠なインフラとして定着したamazonですが,実はもっともっと根深いところで,それまでの商習慣を数多く壊していることに改めて驚くと共に,その多くが直接には消費者のメリットになっていることを思うと,amazonというプラットフォーマーが消費者の見方でいてくれて良かったなあと,思わざるを得ません。

 そう,高度経済成長期ではなくとも,明日は今日よりも良くなっている,は,ちゃんと実践されていたということです。

 さて,ここでもう1つ見えにくい問題を議論せねばなりません。

 そう,ゴミの問題です。工務店に対して支払う費用には,廃棄物の処理費用も含まれます。今回の水栓も,工務店に工事を依頼すれば古い物は当然引き取ってもらえます。

 しかし,amazonへの支払いは当然品物の代金だけであり,ゴミの処理費用は含まれません。素人のDIYではこのゴミの処理が問題です。

 個人が出すゴミで,事業者が仕事で出すものではありませんから,余程の事がなければ個人のゴミとして処理できるので心配ないのですが,本来事業用ゴミとして処理されるものが個人のゴミとして出てくるようになるのが当たり前になると,ゴミを処理する地方公共団体の処理能力が想定を越えることもあるだろうなと思ったりします。

 また,大きい,重いなどで粗大ゴミになれば当然有償ですし,そこに化学物質や有害な物,あるいはリサイクルが義務づけられているような物が含まれれば,個人で出すゴミとはいえ,産業廃棄物として処理しないといけないケースも出てきます。これらの処理費用は安くはありません。

 ここまで考えると,実は工務店に頼むことが割高になるとは言えないケースも出てくることに気が付きます。さらにいうと正規の方法で処理されることで,環境負荷を下げることにもなる場合があるでしょう。

 さて,どうします?

 

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