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図書館と理系の本の関係

 先日,地元の図書館に初めていってきました。ここに引っ越してきてから結構な時間が経っているのですが,なかなかきっかけがなかったのです。

 私は子供の頃,毎週のように図書館で本を借りていました。当時は3冊までという制限があり,返すときにまた3冊借りて,しかも同時に市内の2箇所の図書館をはしごしていました。

 小学校の4年生ぐらいの時だったと思うのですが,初めて出かけた市内の図書館で見つけた奥澤清吉さんの電気の本(書名は失念)を借りて以来,結局中学生の時ぐらいまでずっと自転車で通い続けたと記憶しています。

 当時は子供向けの電気電子関連の本がたくさんあり,いくら借りてもきりがないほどでした。今にして思うのは,ほとんど絶版になってしまっているこれらの本を買って手元に置いておくべきだったということですが,マンガが350円の時代に1500円の本はあまりに高価で,最終的に購入出来たのは4つほどでした。そして4つとも,私の宝物です。

 初歩のラジオや子供の科学で知られる誠文堂新光社と,ラジオの製作で知られる電波新聞社が双璧でしたが,子供向けの本,とりわけ図書館の定番となっていた本は誠文堂新光社のものが多く,内容も非常にしっかりとした物が揃っていました。

 初歩の製作技術,初歩のラジオ技術などの「初歩の」シリーズ,デジタルICを使ったゲームを作る本,奥澤清吉さんの「はじめて」シリーズ,泉弘志さんの簡単な電子工作のシリーズなど,今でも読んでいて楽しい本を,何度も何度も借りてむさぼり読んだことが懐かしいです。

 子供向けの本を読み尽くすと,今度は「電子展望」の別冊といった難しい内容の本や,コンピュータの本にも手を出しましたが,内容はさっぱりわかりませんでした。でも,当時の私は,トランジスタやOPアンプが出てくる回路図があれば,それで満足でした。

 働くようになり,ある程度のお金が自由になると,そのころの本を買いたくなって探してみましたが,電子工作のブームは過去の物となって,初歩のラジオも絶版になり,技術家庭科や図画工作の延長にあると考えられていたこの分野の凋落にあわせて,どの本も入手が難しくなっていました。

 古本を探してみましたが,図書館ではどこにでもあった本が,なかなか見つかりません。個人で買う人は少なかったのでしょうか。

 最近,またかつて読んだそれらの本を見てみたくなって,今住んでいる場所の図書館を探してみました。すると幸いなことに,自宅の近所にちゃんとあります。

 今時の図書館はすごいですね,インターネットで在庫の確認が出来たり,予約も出来るんですね。早速懐かしい署名を検索してみると,ちゃんと出てきます。発売から30年近く経っているこれらの本は,一体どれだけの人たちに読まれたことでしょう。

 それで,先日言ってみました。

 古い施設で,いかにも市の図書館という雰囲気です。低いカウンターも,張り紙に難しい漢字が使われていないのも,係の人がエプロン姿なのも,子供が走り回っているのも,においも,なんだか懐かしいです。

 大人のくせに児童書のコーナーに向かい,そこで電子工作の本を探してみます。少しだけ見つかりました。私が買った数少ない本も列んでいます。中を開くと,昭和58年からの日付印が連なっています。

 開架になっていない本を書庫から出してもらって全部で7冊借りてきました。昔は3冊だったのに,今は10冊までokなんですね。

 変わっていない図書館も,実は変わっていることがわかりました。まず,係の人が市の職員ではありませんでした。合理化のためだと思いますが,委託されていました。市内の別の図書館では大手書店に委託されていたりするんですね。

 それに本の検索。昔はそれをお願いできる図書館司書という方がいらっしゃったものですが,今は基本的に端末で調べられます。確かに署名や出版社が分かれば便利でしょうが,こんな感じの本が欲しい,というリクエストに応えられてるんでしょうかね。

 予約も端末で出来ます。他の図書館にある本を移動してもらうのも端末です。気軽ですが,顔を合わせてお願いするのも,子供だった私には楽しみの一つだったことを思い出し,便利になるのは結構だけど,今の子供は大人と話をするという機会がどんどん失われているんだなあと感じました。

 現在,本はたくさん売れるベストセラーか,全く売れない本の二極分化が起こっています。本屋さんも,大規模書店は元気でも,中小の書店は厳しい状態です。

 図書館もこれに関連して,ベストセラーに人気が集中し,私の街では1000人もの人が順番待ちをしているんだそうです。

 原則として,図書館は人気のある本は複数の購入を行って待ち時間を減らそうと努力するのですが,さすがに1000人ということになると,10冊も20冊も買わないといけなくなってしまいます。

 しかし,図書館の予算は限られていて,同じ本ばかりに使われてしまうことは,幅広い本を蔵書として持つことを難しくしてしまいます。

 高価であったり,特殊であったりするような本でも,図書館に入ることを計算に入れると3000部や5000部は作れます。しかし,本の購入予算が,どこでも買えるベストセラーに多くあてがわれると,こうした本は図書館にすら入らなくなります。

 短期的には買うことが難しい本を見る事が出来なくなりますし,長期的にはそもそもこうした本が出版されなくなってしまうでしょう。

 だから,最近の図書館の運営に対して,専門家からは問題提起もなされているようです。考えてみると,いわゆる大量消費の現在のベストセラーに,30年後に残しておく必要のある本がどれくらいあるのか,しかもそれを20冊も30冊も残しておくべきなのか,確かに疑問です。買おうと思えばどこでも買えるという手軽さもベストセラーの良いところでもあるわけですし。

 一方で,本の種類に限らず,読みたいと思う人に平等に読む機会を提供することも図書館の大事な使命の一つです。たくさんの蔵書があっても,利用してくれくれない図書館はそもそも存在意義を問われかねません。

 図書館という範囲ではなく,出版や流通,果ては文化という点にまで根ざした,難しい問題だなと思います。

 とりあえず私の街では,市で購入する最大数量を決めて,それ以上は買わないということにしたようです。

 ところで,懐かしい気分の私は,インターネットで古書を探すことが簡単にできるようになった事を知って,片っ端から調べてみることにしました。

 そのうちいくつかは購入することが出来たのですが,ちょっとした感動があります。気になったのは,図書館払い下げのものが見つかったり,図書券向けに特別に用意される上装版が売られていたりすることです。

 確かに,図書館も蔵書を処分することがあると聞いていましたが,資料性の高いこれらの本でも処分されてしまうというのは,ちょっとした寂しさを感じたものです。

 理工系の本が売れなくなっています。出版社も数を減らしたり,そもそも点数を増やそうとしません。CQ出版社のような大手でも初版3000部で絶版という本も珍しくありません。3000部といえば,全国の書店の数よりも遙かに少ない訳ですから,手軽にどこでも手に入るということは,すでに期待できないのが現状です。

 こうした本の引受先として,図書館の存在が大きかったといいます。その図書館も,予算の削減やベストセラーへの集中から,購入しないケースが増えているらしく,結局理工系の本は,ますます手に入りにくくなってしまうわけです。

 ですから,もし気になる本があったなら,その場で買っておかないと,次に目にする可能性はほとんどない,といっても良いわけです。

 つらつらと書いてみましたが,ベストセラーや雑誌を見ないで,わざわざ書庫から昔の本を出してもらうような人間がいた方が,図書館としても面白いでしょう。今借りた本を返すついでに,新しい本を借りてこようと思います。休日の散歩も兼ねて。

パンドラの箱

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 昨年のクリスマスに,友人からプレゼントされた一冊の分厚い本が,「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」です。

 発売以来,大変に話題になっていた本だということですが,恥ずかしながら私はノーマークでした。

 まず最初に,この本は大変に分厚く,読む前に圧倒されるのですが,読み始めても圧倒されっぱなしであることを覚悟しておく必要があります。

 時は1960年代後半から70年代前半,場所はロンドンはEMIのアビイロードスタジオ,封建的で旧態然とした組織の一員として働く主人公ジェフ・エメリックの目の前には,自由奔放で個性的,そして世界で最も有名で最もお金を稼ぐ4人がやりたい放題。

 ビートルズには有名税とも言える,様々な噂や風説があるわけですが,人づてであったり推測であったりで,信憑性に疑問符がつくことも多いです。それもそのはずで,彼らは仲間意識も強く,容易に外部に対し自分たちの本音を見せることはしませんでした。

 冷静に考えると,彼らは自伝らしい自伝を自ら記していません。彼らの作品や発言,当時の記事から間接的に構成された彼らの偶像を,我々は実物として語るほかなかったということでしょうか。

 それゆえ,解散前後のゴタゴタでは一様に悪い印象を与えたわけですし,その後に起こるジョンの暗殺にある種の神格化が行われたことも,不可避であったわけです。

 これは,プロデューサーであるジョージ・マーティンにも言えます。もっとも,彼は自伝を書いていますし,発言も多く,また多くのビートルズのベストアルバムを作っています。ビートルズのメンバー以外で,最もビートルズを知る人として広く知られることは,これもまた当たり前のことです。

 しかし,残念ながら,彼の言葉をそのまま鵜呑みする人はそう多くなかったようで,彼がビートルズと対極にいる(もしくはいることを周りが強要する)「英国紳士」であったこと(もしくはあろうとしたこと),そして彼がロックバンドとしてのビートルズの息の根を止めてしまったかも知れないという考え方も,その理由にあるように思います。

 私自身は,ジョージ・マーティンの存在には肯定的ですが,だからといって彼がリボルバーやサージェントペパーズを作ることに直接の貢献したかと問えば,やはり素直に首を縦に振ることは出来ません。

 では,本当の仕掛け人は誰なのか・・・

 ビートルズにとって,幸か不幸か,意外なところに「スパイ」がいました。あれほど正体を明かさなかった彼らの前に,彼らの活動をほぼ完璧に見ていた人がいたのです。

 それがこの作品の著者である,ジェフ・エメリックです。

 彼は,おそらく世界で最初に,録音技術者として創作活動に貢献したことを評価された人ではないかと思います。

 ただ,彼はあくまで技術者であり,クリエイターでもなければ,当然ビートルズのメンバーでもありません。だから,あくまで4人の注文に対し,満額の回答を用意することに徹底します。このスタンスこそ,プロ根性の最たるものです。常に相手の要望に応えること,このスタンスは古今東西,あらゆる技術者に求められる第一のことではないかと思います。

 ビートルズのあふれる創造性を阻害しないことと,一方で制約だらけの自分の立場とどう対峙するのかを,若いジェフはもがきながら,でも楽しみながら,進んでいきます。ネクタイの着用が義務づけられているEMI社員のジェフは,そのネクタイでビートルズの自由さを表現してみせる,といったささやかな反発から,高価な機材を非常識な方法で使いこなすといった無茶まで,その行動は創意工夫と反骨心,そして微笑ましさで,読む我々をまるで現場にいるような臨場感に包み込むのです。

 そして読み進むうち,タイトルの通りビートルズの真実は,音楽的にも,またそれ以外の所でも,かなりの部分で明らかになります。非常に興味深いのは,アルバムの制作方法だけではなく,その人間性や互いの関係という実に微妙な部分においてでさえ,鮮やかに見ることが出来るということにあります。

 録音技術に多少覚えのある人やミュージシャンが読んで面白いのは当然として,ビートルズに興味のある一般の人々が読んでも最高に面白いと思えるのは,まさにこの点であり,いわば下僕に過ぎない(しかし最強のスパイ)であるジェフが,ビートルズのメンバーを「暗い」だの「気分屋」だのばっさりと言い切ってしまうあたり,実に痛快です。そして同時に大いなる共感が生まれます。

 ジェフ自身の言葉も痛快ですが,ビートルズが互いに対して取った態度や言動も,推測によるものではないだけに,実にリアルです。意味ではなく,言葉1つ1つが歪曲されたり装飾されたものではないことが,この本の価値の1つではないでしょうか。

 物語はジェフが子供の頃から始まり,録音という行為と技術に魅せられていく過程が描かれます。大変な幸運を手にして夢が叶ったジェフは,EMIの社員としてその第一歩を踏み出します。

 そしてさらに幸運なことに,ビートルズの仕事を担当することになり,良くも悪くも彼らの流儀に飲み込まれて過ごします。この間,彼はエンジニアとしてその後の世界を変えることになる,画期的な技術を連発することになるのです。

 やんちゃな子供であるビートルズとジェフ,そして父親代わりであるジョージ・マーティンが織りなすドラマは,良質のホームコメディにあるような暖かさがあります。

 急な上り坂であるリボルバーを駆け上がり,頂点を極めたサージェントペパーズでタフな仕事をこなして,そこから急激に変わっていくビートルズを,やがてジェフは目の当たりにします。

 屈託のないロックバンドだったビートルズが,ポップミュージックを革新するクリエイター集団となる瞬間に立ち会ったことに,ジェフはある種の寂しさを隠しません。

 同時に,その革新が,ジョンとポールという巨星によってなされていく様を見せつけられて,むしろ畏敬の念さえ抱くようになります。

 そして2つの巨星の衝突,2つの巨星に押さえつけられたもう1つの才能の勃興,彼らを取り巻く容赦のない環境の変化が,とうとうその宇宙を崩壊へ導きます。

 ジェフの目を通して我々が見ることになるのは,自ら招いたその崩壊が,決して自身の望んだことではないのだという事実です。昔のままの屈託のない表情でセッションを繰り広げる彼らの顔に,深刻な対立を見る事は出来ません。

 しかし,自分のピザをヨーコに黙って食べられてしまうという,実に些細なことに激高するジョージの姿を見たジェフの目には,本当の意味でのビートルズの崩壊が映っていたことでしょう。

 自らの理想とかけ離れた現実をどうすることも出来ずに,もがけばもがくほど事態が悪化する焦燥感に飲み込まれていくアビイロード・スタジオ。「かつて見たことのある光景だな」と感じた我々は,直ちに既視感に飲み込まれていることに気が付き,はっとします。

 そして我々はこの時,後に訪れることになるジョンの死とジョージの死に直面したビートルが,その時どんな気分でいたのかに思い至ります。それは,「私ならこう思うだろうな」と考えていた事が,まさに彼らもそうだったのだと確信し安堵する瞬間でもあります。

 かくてビートルズは終わってしまいます。

 ジェフはポールのアルバム制作に関わるようになり,そこでも大きな仕事を何度もやり遂げます。バンド・オン・ザ・ランという大ヒットアルバムがどうやって生まれたかを知ることは,実はビートルズのアルバムがどのように生まれたかを知ることと同じくらいに,エキサイティングなものだと知ります。

 そしてジョンの死。落胆するポール。一つの時代が終わりを告げます。

 初期のビートルズは,いわばジョンのバンドでした。ビートルズがかつてないものを求めるに従い,ポールの実力と音楽と向かい合う姿勢が不可欠なものとなり,自然にその主導権はポールに移っていきます。

 ジョンはひょっとしたら寂しかったのかも知れません。同時にポールはジョンに対する尊敬の念を忘れません。そしてジョンは突然いなくなります。

 ポールは実にストイックな姿勢を貫く人ですが,一方でとても人間的に豊かな人でもあります。ジェフはポール寄りの人ではありますが,その立場がかえってビートルズの主導権の交代劇や,かつてのリーダーの死を鮮明にしていると感じます。

 時は流れ,ジョンが残した「フリー・アズ・ア・バード」を取り囲む3人とジェフは,ジョンが仕上げを任せてどこか休暇に出かけたと思うことにしようと,話し合います。彼らの痛みが我々にも伝わり,胸を締め付けます。

 アンソロジーの発売に至り,この長い物語はいよいよ幕が引かれます。ジェフがアンソロジーについてどう考えたか,そしてその考えがどう変わったか,おそらく多くの方が共感するのではないでしょうか。

 作る側にいたジェフの感情の動きが,なぜ与えられる側の我々にかくも合致するのか,彼の視点と我々の視点は根本的に異なるはずなのに,自分の経験と錯覚するほどになぜリアルで鮮やかなのか,本当に不思議としかいいようがありません。

 読み終えて感じるのは,一見すると極めてスキャンダラスな香りのするこの本が,実はイギリスのとある若者達が成長する過程を,等身大の目線で見つめた人間ドラマであったことに気付く点です。

 そこには「仲間」に対する信頼と「仲間」を失う悲しさという,人間性に根ざす普遍的なテーマによって,共感や感動という形で我々の経験や人生に重なって,ビートルズの真実に迫るという「パンドラの箱」を開ける行為が間違いではなかったと,しみじみと思わせる力があります。

 文章のうまさにも優れたものがあり,長い物語を一気に読ませる技があります。ジェフ自身が文章を書き起こしたのではなく,彼が口述したものを記述する形で作られたものなのですが,日本語版においてはその訳が秀逸で,テンポの良さと技術的な誤りの少なさについても素晴らしいの一言に尽きます。

 おそらくですが,この本を超える本は,もう出てこないでしょう。ジェフは最強のスパイでしたが,その目的がくだらないゴシップでもなく,私恨による暴露でもなく,ただ純粋に技術者として客観的に,この学び多き歴史を記録に残そうとしたことにあるからです。

 一部に「墓場まで持っていくべきだ」と批判的な意見もあるようですが,それも一理あると前置きした上で,私は,その「墓場まで持っていくべき話」が本当に伝えたかった話ではないのだ,という観点でこの本を読みました。これまでに書いた感想は,その結果です。

 最後に私個人の願いを1つ。ぜひ,BBCで,この本をドラマ化して下さい。映画化ではありません。あくまでBBCによるドラマ化です。ビートルズのそっくりさんを使って,この本を忠実にドラマ化して下さい。「愛こそはすべて」の世界同時中継のスリリングなやりとりなど,ぜひ見てみたいものです。

 いやなに,それはさほど大変なことではないはずです。なぜなら,この本は,読めば目の前に鮮やかな映像が飛び出してきますから,ただそれを実体化すれば良いだけの話です。

 いや,あるいは大変なことなのかも知れません。あまりに長すぎるこの物語は,どの部分をカットすることも出来ないからです。

年賀状と木版画

 今年の年賀状は既報の通り3年連続の減少となり,その重要度を下げ続けています。とある機関による調査では,年賀状を出さない人は全体の11%ほど,このうち20代では4人に一人,30代では8人に一人が出さない,と答えているそうです。

 私は30代ですが,年賀状は「きちんと」出す人です。12月中旬にはすでに出し終えています。今年など,ポストに年賀状用の投入口が用意される前に用意が出来てしまい,出せずに困っていたほどです。

 ただ,誰にでも出すわけではないし,個人ですから当然年賀状に「下心」など加えることもありません。本来,裏側には気の利いたコメントを一言添えるものなのでしょうが,私の場合,年賀状に個人的な差を意図的に付けることをよしとしないので,殺風景なままで失礼をさせていただいています。

 年賀状というのは,そもそも年始まわりに代わる略式のご挨拶だったわけですが,子供の頃のやりとりに始まり,自分の社会的な位置付けが変わるごとに,出す人や枚数に変化が生じて,自分と周りを見直す年末の恒例行事として機能してきました。

 私は子供の頃からパソコンや電子工作に勤しんできた人間でしたので,年賀状も省力化を目指して毎年奮闘していたわけですが,当時のことですからまともな印刷が出来るわけでもなく,まさか自宅で1枚から,写真屋さんにお願いするほど美しい年賀状が作れる時代がやってくるとは,努々思っていませんでした。

 当時はそれでも,「パソコンで年賀状」というだけで話題になったような時代ですし,事実そのためには労力と試行錯誤,それなりの費用と時間と忍耐と工夫が求められ,余程手書きをした方が効率的でかつ美しいものでした。にもかかわらず意地になってパソコンで作ろうとしたのは,パソコンを使いました,という事そのものに価値認めたから,といえるかも知れません。

 私の場合もう1つ,文字が汚い上に誤字も多く,書き損じで無駄にするはがきも毎年半端ではなかったため,その実用化を急いだという理由もあります。ですので宛名書きについてだけは,昔も今も物珍しさというより,その実用性で毎年パソコンを使っています。

 一方,裏側の図案ですが,これは毎年「木版画」を作っています。宛名書きをパソコンでやっているという後ろめたさへの贖罪というネガティブな側面もありますが,木版画を作ることが好きだという個人的な意味合いが大半です。

 ですが,趣味でやってます,とさえおよそいえない,年に一度「せっかくだから」と彫刻刀を握る程度の稚拙なもので,出来上がった版画もあくまで年賀状の域を出ないほのぼのしたものです。

 当然,木版画を学んだこともなく,完全に我流です。ですから,見る人が見れば「なんじゃこりゃw」と言われるに違いなく,毎年冷や冷やしています。

 道具もそこら辺で売ってるものを使っているだけですし,板も堅い桜など到底使いこなせません。ホオか桂がいいところです。失敗しても安いですし。(でも合板は使いません,これは逆に失敗しやすいのです。)

 私は,いわゆる絵心が全くなく,自分でも信じられないくらいイラストを描くことが出来ません。立体の特徴をつかむ能力がスポッと抜け落ちているとでもいうのでしょうか,みんなが見えるという図形が,私には見えないということがこれまでに度々ありました。

 よって原画は,私とは正反対で絵心のある弟にお願いしています。彼はシンプルなイラストが得意で,対象をデフォルメする力にも長けており,楽をしたいという理由で線の少なさを第一とする私の木版画にはまさにうってつけの原画師なのです。

 そもそも木版画を始めた理由は,版画のリユースでした。

 我が家は父が営業マンだった関係で,数百枚の年賀状が必要だったのですが,これを母は芋版やゴム版という,手軽な版画を作って毎年しのいでいました。

 ところがこの版画,作るのに結構な手間がかかるため,面倒な労働として位置づけていた母にはとても苦痛な作業だったらしく,12年は我慢して毎年作るが,13年目からは12年前のものを使い回そうと考えたのです。

 芋版はその目的にそぐわないので自ずとゴム版画になりますが,12年経って版を見てみると,加水分解によってボロボロになっており,とても使える代物ではありませんでした。

 ひどく落胆した我々は結局,毎年毎年,版画を作りなおすることにしたのでした。

 この流れに立ち向かったのが私です。木版画にすれば,ずっと使えるに違いない。中国のえらい坊さんが作った教典の木版画も今に伝わっているじゃないか,12年後の楽のために,今積み立てるときがきた,と木版画を弟とのペアで作ることにしました。

 年末何かと忙しい母の仕事を減らすという非常に大きな効果もあったのですが,やってみるとこれがなかなか面白い。手間も時間もかかるし,肩凝りもひどくなるのですが,年々作業にかかる時間も短くなり,細い線を作ることが少しずつ出来るようになってきて,これはこれで面白いかも知れないと思うようになりました。

 絵心のない私が,図画の授業で唯一褒められたのが,木版画だったこともあるのかも知れません。でも,不思議なことに,木版画を作ろうと思うのは年に一度,年賀状のためだけであり,それ以外で木版画を作ろうと思ったことは一度もありません。

 年賀状を木版画にしてもう15年にもなると思いますが,結局当初の「使い回し」というコンセプトは完全になりを潜め,毎年新しい版木を作ることが,11月下旬の連休の私の密かな行事となっています。

 さて,私は年賀状をたくさん作りません。版画のメリットがまるで生きない枚数なのですが,逆に今時珍しい木版画ですので,もらった人は多少なりとも「おっ」という意外な印象を持っていただけることでしょう。

 そもそも毎年出し続けている人ばかりですので,「毎年毎年よくやるなあ」と思ってくれればしめたものなのですが,年賀状1枚あたりの手間と時間と,そして同じものは1つとない,というオリジナリティにまで思いをはせて下さるとすれば,受け取った方にある種の優越感を味わってもらえるのではないかと,そんな風に期待していたりします。まあなんと奢った考えであることよ。

 ところで最近,年末の年賀状シーズンにおいても,版画材料の入手が難しくなってきました。昔はスーパーでも買えたものが,今では画材屋さんに行かないと買えなくなりつつあります。

 年賀状シーズンでも特設の売り場にはなく,常設の小さなスペースにこちょこちょと置かれているだけです。絵の具も数が少なく,版木も木目を選べるほどの枚数がありません。彫刻刀も小学生が使うセットものはあるにしても,ばら売りのものは随分少なくなりました。

 温故知新やら団塊世代の第二の人生やら,難しい理由を付けてはいろいろなホビーが復権を遂げる中で,木版画だけは全く光が当たっていないことにふと気が付きます。このままでは本当に,木版画は大衆文化から完全に消え去る時がやってくるかも知れません。

 柔らかい版木は,彫りやすいというメリットがあるものの,細い線を出すことが難しく,表現力に限界があります。桜を使いこなせるようになると表現の幅も広がるのですが,実際の所年賀状を出した方々からのフィードバックが悲しいことに全くないため,完全に自己満足の世界に終始していて,改善やら改良やらを行うきっかけを逸しています。

 それでも,私は可能な限り,木版画を続けるでしょう。

 年賀状は,つながりを保っていたい人に,連絡を付ける最も自然な理由です。突然のメールはspamかも知れないと警戒心を抱かせるかも知れませんが,木版画のある年賀状をダイレクトメールと訝しがる人はいないでしょう。

 一年に一度,もう何年も会っていない人へ,お互いに自発的に年賀状を出し合える面白さ。年賀状には年賀状の,とってもありがたい楽しみがあるものです。

 今年の年賀状は,暦の関係もあってか,遅配があまりにも多かったように思います。三が日を過ぎて届いた年賀状は全体の6割以上,10日を過ぎて届いた年賀状もちらほらです。

 暖冬で交通機関の乱れはなかったと思いますし,発行枚数が少なくなっている現状では,遅配の理由は郵政公社の怠慢以外に思いあたりません。

 年賀状の発行枚数の低下を憂う前に,毎年それをささやかな楽しみにしている人々にこそ視点を移し,改めて猛省を促したいと思います。

skipサービスと東海道新幹線

 昨年の秋から,全日空(以下ANA)がskipサービスなるものを始めました。

 実家への帰省を新幹線から飛行機に切り替えてから数年,運賃の問題よりもWEBで決済まで済ませることの出来る便利さがすばらしく,もう新幹線に戻る気がしません。

 しかもシステムの変更行われる度に便利になっていきます。そしてとうとう,チェックインまで省略されるようになったチケットレスの完成形が,このskipサービスです。サービス改善にどん欲な会社というのは,全体に活気があるものです。

 ANAはskipサービスを導入するにあたり,持っていると便利なEdy内蔵のマイレージカードを会員全員に無償で郵送する徹底ぶりで,チケットなしでいきなり手荷物検査場に直行という「失敗したときの損害の大きさ」という不安を乗り越え,ぜひ使ってみようという気持ちになっていました。

 私にとって今回の帰省は,skipサービス開始後初めて飛行機を利用する機会だったのですが,年末年始の混雑の中にも関わらず,あえて挑戦する覚悟を決めて羽田に向かうことにしました。

 skipサービスというのは,チェックインを必要としない「究極のチケットレス」で,

(1)WEBで空席状況を調べる
(2)便を予約する
(3)クレジットカードで運賃を決済
(4)座席の予約も済ませる
(5)当日いきなり手荷物検査場に直行
(6)検査官にチケットを見せる代わりにマイレージカードをカードリーダにかざす
(7)そのまま搭乗口まで進む
(8)登場時にゲートのカードリーダに同じマイレージカードをかざして乗り込む

 と,これだけの話です。

 以前ですと,自動チェックインを使っても,空港でチケットを決済したクレジットカードを使って受け取る必要があって(それでもチェックインに列ぶ必要がなく楽ちんだった),行きの時点で復路のチケットを受け取っている場合には,自動チェックイン機を使うか,窓口に列んでチェックインを行う必要がありました。

 Edyを内蔵したマイレージカードや携帯電話を使えばこの自動チェックインもかなり楽になるよう,後に改良されるわけですが,結局チケットを受け取ったり,チェックインが必要になったりするわけなので,手間は一緒です。

 これがskipサービスだと,マイレージカード1枚持っていけば,行きも帰りも,チケット受け取りもチェックインも,全然行列しなくて済むわけですので,帰省客でごった返す時期には大変ありがたいサービスです。

 ただ,いきなり手荷物検査場に直行と言われても,もしなんらかの手違いがあって認証が出来なかったりすると,私はせっかく列んだ手荷物検査の行列から,いきなりチェックインの行列に列び直す羽目に陥ります。

 私は,いつもチケットを受け取ったり,チェックインを済ませたりしてから空港内のレストランなどで見送りに来てくれた友人と食事をしていました。チケットの受け取りで一度トラブルがあったときは,食事の時間を削って事なきを得たことがあります。

 ですが,skipサービスでは,トラブルの有無が判明するのは手荷物検査場です。当然すでに食事のために時間を使ってしまった後だけに,何かあったら時間不足に陥ってしまいます。これはゆゆしき問題です。

 つまり,トラブルが絶対にない,ということを前提にしたシステムだという事になります。余程の自信があるんでしょう,このシステムに。いくらでも問題など出てきそうなものですが・・・もしコンピュータの問題かなにかでskipサービスが完全に停止したら,全部窓口で処理しないといけませんが,大勢の人が出発ギリギリに窓口に殺到する状況を,一体どう処理するつもりなのでしょうか。

 今回は都合により友人の見送りもなく,食事もしないで済む時間だったので,空港についたらいきなり手荷物検査場に向かいます。

 結論から言うと,この心配は杞憂でした。いや,なにかトラブルがあった場合のリカバーが完璧だったということではなく,何も問題が起きなかっただけですので,果たして杞憂と言っていいのか,私には分かりません。

 それ程待つことなしに手荷物検査の行列に列びますが,自分の順番に予想以上に早く到達すると,いつものように係の方から「チケットを拝見します」と促されます。

 「skipサービスなんですが」と私が恐る恐るいうと,「ではカードをこちらに」と指示されるので言われたとおりにかざすと,あっという間に認証が終わり,何度ともなかったように手荷物検査を済ませる事が出来ました。

 あまりにさくっと済んだ私の手続きを私の後の人が思わず「すげー」と声を上げたとき,同時に私も心の中で「すげー」とつぶやいておりました。

 この時受け取るぺらぺらのレシートには,登場予定の便,座席,搭乗口の案内が記載されていいます。このように,本来ならチケットに記載されたであろう情報を,現場で始めて目にするのは,検査の後になってしまうのです。やっぱり不安・・・

 さて,いよいよ機内への案内が始まりました。行列に列んで,改札機に用意されたカードリーダーに,先程のマイレージカードをかざします。

 これまたあっという間に認証が終わり,出てきたレシートを受け取って座席を確認します。

 はい,これでおしまい。

 帰りも全く同じです。

 面白いのは,手荷物検査を済ませると,その予約はskipサービスを済ませた扱いになる(つまりチェックインが済んだ事になる)んですね。だから,携帯電話でskipサービスの利用方法のサイトへ飛ぼうと思っても,skipサービスは使えませんときちんと案内が出てくるのです。

 マイレージカードを忘れてしまえばオシマイかというとそうでもありません。事前に携帯電話にQRコードを取り込んでおくか,印刷しておけば,これをカードリーダーにかざすことで同じ結果を期待できるそうです。マイレージカードを持っていない人やたまにしか飛行機を利用しない人でも利用できるというのは,素晴らしいことです。こういうことは,確固たる信念がなければ真っ先に削られてしまう仕様の1つでしょう。

 また,自動チェックイン機もまだ設置されているので,これを利用することも可能です。

 それで冷静に考えてみたのですが,私は今回の帰省に際して,結局行きも帰りも切符の手配に列んだりどこかに出向くことを一度もしませんでした。すべてがネットで自宅にいながらに手続きが完了し,本人であるかどうかの確認は非接触のICカードで一瞬のうちに完了,です。

 果たしてこの手軽さ,東海道新幹線では可能でしょうか。数年前に調べて雲泥の差があった新幹線のシステムが,ひょっとしたら改良されているかも知れないと期待して調べなおしましたが,結果は全く変化なし。ANAが同じ時間で幾度の改良を重ねてきたのに比べて,あまりにもやる気がないなあと感じます。

 勝手に比較してみます。

・WEB予約と決済
 東海道新幹線でも可能ですが,会員になる必要があります。クレジットカードの機能を持つカードを持っていなければならず,これは年会費として1050円がかかります。飛行機の場合,予約までなら誰でも可能,決済は手持ちのクレジットカードでokですし,決済が済めば座席の予約も,多くの場合skipサービスも受けられます。
 年会費が必要な会員限定という段階で,本来新幹線が持っている手軽さを損なっています。一方,手続きが面倒で新幹線のように自由席に飛び乗る手軽さがないと言われた飛行機がここまで便利になっていることを,JR東海は知らないのでしょうか。

・予約の可能時期
 予約は,飛行機では2ヶ月前,新幹線では1ヶ月前からです。2ヶ月前からだとさすがに予定も立たないものかも知れませんが,実は毎年同じ時期に帰省ラッシュがあることを考えると,予定が立たないからではなく,立てようとしないだけの人がたくさんいるということだと思います。
 2ヶ月前に予約が可能な飛行機では,もし予定が早くに立つ場合,その特典として割引と好きな便を利用できるわけです。これが新幹線だと1ヶ月前からですので,結局発売と同時に予約が殺到してしまいます。つまり早くに予定を立てた人に対して,何の還元もないわけです。公平といえば公平ですが,その割にWEBからの予約が会員限定なわけですから,矛盾しています。

・切符
 前述の通り飛行機はskipサービスやチケットレス,自動チェックインによってチケットの存在はもはや形式的なものになっています。これを持っていることだけがすべてではない,ということです。
 一方の新幹線は,結局会員でない人はいつもの通りみどりの窓口で列んで買うしかありません。一見さんお断り,ってやつですね。
 それに,新幹線では,結局最終的には切符を手に入れなければなりません。会員カードで改札をパスし,検察を受けることが出来て初めて,飛行機に列んだと言えるのでしょうが,そんな未来は当分来そうにありません。

・運賃
 基本的には飛行機の方がはるかに高価です。ですが,ご存じの通り,特に私の利用する東京-大阪間はドル箱路線で,格安料金の設定があります。これを上手に使えば東海道新幹線より安くなることもしばしばです。
 さすがに年末年始はそうはいきませんが,新幹線に対してとんとんくらいの料金には出来ます。燃料費の高騰から運賃が値上げされて飛行機の方がやや高めになりましたが,便利さと速さはわずかばかりの差額を十分に補って余りあります。
 ただ,この春にもう一度値上げがあります。これで差が開くとちょっと考えるかも知れません。
 新幹線には割引は基本的にはありません。むしろ繁盛期には価格が割高になります。会員限定のサービスでは割引があるそうですが,これは私には現時点で無関係なので考慮しません。

・空港もしくは駅までのアクセス
 羽田までは京急を使えば早くて便利。大阪伊丹からはシャトルバスを使えばこれまた楽ちんです。シャトルバスは高速道路の事故などで簡単に遅れますし,定員になると定刻前でも発車するので,信用に足る存在ではありませんが,伊丹空港と大阪南部を結ぶ経路は実質これだけですので,文句は言えません。
 一方新幹線はアクセスになんの問題もありません。これは当然ですね。

・所要時間
 のぞみで2時間30分,飛行機は1時間ですので,差の1時間30分で空港までのアクセスや手荷物検査にかかる余計な時間を帳消しにして,まだ十分なおつりが来ます。同じ時刻に到着するように設定しても,朝ゆっくりできる飛行機は非常に楽です。

・手続き
 新幹線には手続きはなにもなく,改札と車内の検札くらいのものでしょう。飛行機はskipサービスを使っても手荷物検査を避けるわけにはいきません。持ち込める手荷物もバッグ1つですので,これも新幹線と違って預けることになります。これもまた列ぶんですね。
 そんなわけで,やっぱり時間的なゆとりはないといけません。ただ,危険なものの持ち込みを防げているのは手荷物検査のおかげであって,新幹線だって本当は実施されてもおかしくないと,私は思っています。時速300kmで走行する密閉された空間に,刃物を振り回したり毒ガスをまいたりする人がいたり,まして爆弾などが持ち込まれたりすると,受ける被害は飛行機のそれと大差はないのではないでしょうか。

・急用への対応力
 予約も何もないけどとにかく行こう,ではすまされないが飛行機で,新幹線なら自由席がありますから,どうにかなります。この「万が一」の対応は心強いものがあります。

・旅の気分
 これはもう新幹線の圧勝。新横浜を過ぎて,名古屋までの時間で駅弁を広げ,大きな窓越しに刻々と変化する景色を眺めながらの食事には,飛行機にはない魅力があります。
 実は2時間半という時間もなかなか絶妙といえて,食事して一眠りすれば,大体新大阪に到着しています。
 喫煙者にとって,たばこが(いろいろ制約があるにしても)吸えることは,これはもうそれだけで十分なメリットでしょうね。

・安全性
 これはもう,なんともいえません。気分次第,運次第でしょう。ダメなときはダメ,そういうものだと思います。
 ただ,潜在的な乗客の心理の差にはなっているようで,私の見るところ,飛行機の乗客には,それがたかだか1時間の搭乗であっても,みんなある種の覚悟があるのか,それとも運命共同体としての連快感がそうさせるのか,とにかく非日常の世界という空気ゆえ,あまり横柄な人もいないし,お行儀の悪い人も目にしません。
 しかし新幹線ではこうはいきません。見るに堪えない行儀の悪い人を散見するのは,それが陸上交通だから,日常の延長に見えるから,でしょうか。その点で新幹線というシステムは偉大であると思います。


 いろいろ比べてみましたが,新幹線は,それでも鉄道という交通機関が持つ「旅のプロセス」を楽しむきっかけがたくさん残っています。その点飛行機は結果だけを求めるものだと言えて,うまく使い分けるのがよろしいと,それが私のたどり着いた結論です。

 新大阪駅から大阪環状線や地下鉄御堂筋線を使って移動する際の,もっとも大阪らしい街と人を堪能するのもまた楽しいもので,こうした魅力は鉄道という庶民の足がまだその機能を失っていないことを十分に感じさせてくれるものです。

 残念なのは,そうした魅力にあぐらをかいて,努力を怠るJR東海の存在でしょう。ちっとも便利にならない東海道新幹線は,国鉄時代のそれと同じです。JR東日本管内の新幹線はそこそこ便利になっていますが,これにすら及ばないのは,JR東海が東海道新幹線を独占しているからに他ならず,「国民の財産」を利益を生む打ち出の小槌としてしか見ていない,なによりの証でしょう。

 私が東海道新幹線を使わないのは,これが気に入らないからなのですが,どうにかならないものなのでしょうかね。その意味でも,航空会社には頑張ってもらいたいものです。

2006年を趣味の領域からまとめると

 今年もあと10日ほどでおしまい。年々時間の経つのが加速されていくように感じるのですが,今年一年の私の趣味の中心であった,カメラについて総括したいと思います。

・趣味の軸足

 一昨年の夏にD2Hを買い,中古レンズを探しに行ったついでに見つけたペンタックスのESIIから再燃した趣味としてのカメラですが,今や完全に生活の一部となっています。

 いわゆるジャンクカメラ(狭義では故障しているがメーカー修理を受けられないもの)の修理を楽しみとする方はかなり増えているように感じるのですが,80年代以降の,それまでの高級な精密機機としてのカメラとは違う「大量生産品」としてのカメラがジャンクとして安価に出回るようになり,チャレンジされる方が(私も含め)多くなったということでしょう。

 コンパクトカメラの修理がそれまでの趣味としての修理の最前線だったと思うのですが,私はコンパクトカメラは修理をしたことはありませんし,また基本的にあまり興味を持っていません。

 また,なんでもかんでも手当たり次第に修理するというのではなく,また誰かに頼まれたりするわけでもなく,ただそのカメラを修理して使ってみたいと思った,それに尽きる純粋な趣味の領域でした。

 実績としては,少々不安のあったESIIが現在絶好調ですし,ニコマートELも完全復活,NikonFEもまったく問題はない様子です。

 MZ-10は,先日の修理のままではあまりに不安なので,程度の完動品と中身をそっくりそのまま入れ替えました。当然実用品です。

 ミノルタXEは大変良くしていただいている方から故障品を頂いたのですが,これも今のところ非常に調子がよいようで,毎日空シャッターを切って,感触の良さを堪能しています。

 修理に必要な工具も今年最低限のものを揃えました。モルトプレーンなどの消耗品も用意しましたし,油を落とすのに無水エタノール一辺倒だった私が,ライターオイルを使うことを覚えた事で,一通りの体制は整ったと思います。

 サービスマニュアルの需要性を認識したことや,それ以上にサービスマニュアルを読めるようになったことも大きいです。カメラのように部品の多いものは,ばらしてしまえば元通り組み立てられなくなってしまうものですが,やはり1つ1つの部品には理由があるはずで,きちんと収まるべき所に収まることは精神衛生的にも大変好ましいのです。

 それで,こうやって我が家にはいくつかのマウントのレンズが増えることになってしまったわけですが,これもカビ玉や難ありのレンズを1000円とか2000円とか,そんな値段で手に入れてこれるからです。レンズの修理は基本的には得意ではありませんが,分解と清掃くらいはなんとかなるようになってきました。

 意外に役に立っているのが模型の知識と技術です。ここ数年模型にかなりはまりましたが,鉄道模型で使われる精密なギアはカメラにも通ずるものがあり,ここで使われるオイルやグリスは,カメラにも十分使えます。

 真鍮に綺麗に塗装をする技術,欠けたプラスチックを修復する技術,スミ入れを行う技術など,模型では必修になる事柄が,工具や用具も揃っている関係で全く苦痛になりません。こうしてSMCtakumar28mmやAiAF-Nikkor28mmを,かなり綺麗に仕上げることが出来ました。

 時間をかけて修理を行っても,調整がきちんと出来ないと意味がありません。他の人に頼まれた修理であればダメであっても,自分だけが使うものであれば,納得の上であまり厳密な調整をせずに済みます。

 大事なことは厳密な調整より,現在の状態がどの程度の傾向を持っているかを知ることであって,その程度の測定が出来るかどうかが,実用品かどうかの境界面であるように思います。

 シャッター速度はオシロスコープを使っています。幕速は幕速の簡易測定器を作って対応していますし,露出計はグレイカードを使って済ませています。

 無限遠を出すために必要なオートコリメータの代用品は一眼レフに望遠レンズを使っているのですが,この程度の用意であっても,実用レベルの仕上がりが期待できるものです。

 測定器の製作や工夫,実際の測定作業というのは,何を測定するのか,なぜ測定が必要なのか,測定の原理はどうなっているのか,結果をどうやって評価すればいいのかと考えながら進めないといけないものです。結果としてカメラの基礎や原理を熟知する最高の機会になります。

 つくづく思うのですが,趣味としてのカメラの修理というのは,非常におおらかな気持ちで行うことで楽しめるということでしょう。

 もしこれが,他の方からの預かりものだったとしたら,修理中に壊してしまえば責任問題ですし,簡単に修理を諦めることも許されません。オリジナルを維持できない修理は修理として認めてもらえませんし,修理に対する保証もしなければなりません。そのためにはあり合わせの材料で適当に済ませることは絶対に出来ません。

 調整もそうですね。正確な測定と客観的な調整を行わなければ,万人の使えるカメラにはなりません。使う人の歩み寄りを期待できないから,そこにはメーカーと同じだけの高い技術水準と品質管理体制が求められます。

 そうなるともう趣味ではなくなりますね。

 私のように,ネガしか使わないし,多少のズレや誤差は気にしない,というおおらかな気持ちを持つこと,「どうせ私の目には違いなどわからんはずだし」と最初から厳密に追い込まないこと,この2つが修理を楽しむには必要だと感じました。

 このために,1つ絶対的に信用できる「基準カメラ」を持つ必要があります。私の場合,それはF3です。

 オーバーホール済みなので不具合がないことも分かっています。これを基準に調整を行えば,私の手元にあるカメラは全部調整が揃ってくれます。それに,やっぱり失敗の許されない撮影にF3を持ち出せるという気持ちがあるから,「また壊れるかもしれない」という素人の修理を許容できるのです。

 そう考えると,ちょうど10年前に手に入れたF3が,こんな形で貢献することになるとは,ちょっと考えていませんでした。


・CLEという名前を持つ別のカメラ

 そんな修理の中で,最も難易度が高かったのは,やはりCLEだったと思います。

 詳しい経緯は省きますが,これはもう修理などというものではなく,一部作り直しというレベルです。

 ですから,オリジナルには戻っていませんし,オリジナルと同等の機能も有していません。納得済みの私だけが使うという前提で,始めて許された復活劇だったと思います。

 カメラというのは,結局の所,レンズを通ってきた光を,フィルムの面に一定時間照射する機械です。私の見たところ,電気系のうち,タイミング生成とシャッター幕の駆動が出来なくなっていたCLEを,やはり良くしてくださった知り合いの方に譲っていただいたのが今年の4月のことでした。

 最初は頑張って元の回路を修理しようとしたのですが,ICの破損がわかって一度は諦めました。この段階でオリジナルへの復帰は完全になくなってしまったわけですが,新しい挑戦として「カメラの基本機能」を自分で作り上げれば良いという発想の転換で,CLEはどうにか,フィルムに光を染みこませることが出来るようになりました。

 しかし,果たしてそれはCLEと呼んで良いのか,また愛着のあるCLEが壊れて私に託して下さった方の気持ちを踏みにじってしまっていないか,と最近そんな風に考えることがしばしばです。

 そんなおり,CLEの基板を交換できる修理業者さんが登場し,お金はかかるかもしれないけれども,オリジナルに戻せるチャンスが訪れました。時期が半年ずれていたら,CLEを下さった方は,ひょっとしたらこの業者さんに修理を依頼したかも知れません。そう考えると,私のしたことは自己満足ではあったかも知れませんが,決して褒められたことではないということがわかってきます。

 もちろん,自分の考えが正しかったことを体現してくれたこのCLEにはとても愛着がありますし,CLE用に揃えたレンズにもとても思い入れがあります。その点で私自身は後悔などしていませんが,他の方との関わりの中でなし得たこのCLEの復活は,私にある一定の示唆を与えてくれました。


・フィルム現像の敷居

 モノクロフィルムの現像はずっとやっていましたが,カラーフィルムの方がモノクロフィルムよりも安いため,なんとかカラーフィルムの現像を安価に自家現像できないものかと考えていました。

 カラーの現像キットが手に入ることを知り,またそれがなかなか低コストで気楽に取り組めることを体験するに至って,もはやカラーフィルムを写真屋さんに出すことはなくなりました。

 プリントはどうするの?と思われると思いますが,これはとりあえずフィルムスキャナで対応します。過去の資産の活用と,新しいネガの低コスト運用のために導入したニコンのフィルムスキャナは,実に役に立ってくれています。

 こんな塩梅ですから,私にはフィルムだけが持つ優位性や,気分的な利点を語る資格はありません。手間ばかりかかって出てくる結果はデジカメと同じか,それ以下です。

 こんなことをして何が面白いのかと自分でも思うのですが,その答えは1つ。修理したカメラで写真を取るには,フィルムしかないからです。

 そんなフィルムも,もう風前の灯火という感じです。コニカミノルタの安売りフィルムはすでに市場から消え去り,100円ショップのかつての定番商品は,ごく一部の店舗にひっそりと置かれるようになりました。

 コダクロームの国内販売中止が決定し,長尺フィルムやモノクロの現像,定着剤の入手も来年には難しくなり,,大手量販店のフィルムコーナーの寂しさは現時点でも相当なものです。

 まさかこれほどまでに急速にフィルムの文化がなくなるとは,夢にも思っていませんでした。しかし本来,化学反応を使うフィルムの扱いはかなり難しいもので,それをここまで庶民的にしたシステムが成り立っていたこと自身,驚異的な事だったと言えるのかも知れません。

 単なる懐古主義ではなく,前向きな楽しみ方というのがあるのではないかと,私は思っています。


・それでどうするの

 そんなわけで,今年一年は新しいことにチャレンジし,それなりの経験値を積み重ねることが出来ました。ただ,来年はフィルムの入手の問題もあるし,カメラの修理そのものに飽きてしまっているかも知れません。

 ただ,一度知ってしまった面白さを,そんなに簡単に忘れることはないでしょう。飽きてしまうと言うより,別のことに取り組みたくなったというのが正しい表現で,だとすればそれが出てくるまで,このままなんじゃないかと思います。

 フィルムのカメラは,今しか楽しめません。今しっかり楽しんでおこうと思います。

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