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パーツランド,よく頑張ったよ

 日本橋のパーツ店は,どういう訳だかここ数年で数も増え,充実したものになっています。シリコンハウス共立は大きなビルに移転,関東からは千石電商がなぜか進出,福井に本拠を置くマルツ電波が日本橋にも店を設けています。

 小さな部品屋が閉店し,ジョーシンがパーツ販売から手を引いて,ニノミヤが廃業して,すっかり寂しくなった日本橋の自作環境が,なぜこんなに盛り上がってきたのか,アキバと遜色ないレベルになってきたんじゃないかと,そんな風にさえ思います。

 そして,そのノニミヤから独立した部品屋が,パーツランドでした。

 過去形なのは,パーツランドが10月14日の営業を持って,破産したからです。

 パーツランドは私にも,思い入れのあるお店でした。ニノミヤのパーツ売り場は,大昔は郊外のお店にもあったそうですが,私が部品を買うようになってからは,日本橋のお店になっていました。それでも,本店,エレホビー店,そしてパーツ店と3つで扱いがあったほどです。

 パーツ店は規模も小さく,私も1度行ったくらいで閉店しましたが,本店とエレホビー店は長く残っていました。バブルがやってきて,本店からはパーツ売り場が消えてしまいましたが,エレランドと名前を変えた日本橋の北の端にあったお店は,価格も安く,非常に充実した品揃えで,私は部品を買うときには必ず立ち寄っていました。

 そのうち,ノニミヤ自身が怪しくなりました。買収,破綻と続いてニノミヤは消えてなくなりましたが,法人需要がしっかりあったパーツ部門の業績は良く,いわば巻き添えを食ったような感じになったようです。

 しかし,凄いのはここからです。パーツ売り場の有志が,その資産を譲り受け,パーツランドを立ち上げました。ニノミヤ時代から顔をよく知っている人が,パーツランドにいた時には,ほっとしたような気分になりました。

 2007年に日本橋にオープンしたパーツランドですが,当初は什器も在庫もニノミヤ時代のままでした。随分落ちぶれたとはいえ,大阪のど真ん中の賃貸料は安くないはずで,とてもたいへんだったろうなと,思います。

 すると,ジャンク専門店が2つ目の店としてオープン,儲かっているんかい,と思っていたら,このお店を統合して大きな店舗に移転,2010年から営業を続けていました。

 店のカラーは相変わらずニノミヤ時代の赤。品揃えは相変わらず,ナショナルブランドのケースや測定器,機構部品に強く,キットも豊富にありました。

 日本橋という地域の凋落が進む中で,もともと専門性が高く需要が限られている電子部品販売において,新規のお店がいくつも開店したり,より大きなお店に改装があったりと,競争は厳しくなっていったように思います。

 パーツランドは,堺筋に面した良い場所に店がありましたが,それでも厳しいものがあったのではないでしょうか。

 ネット通販がここまで進化し,部品の値段に比べて送料が高くて割が合わないと,最後までリアル店舗での買い物が主流になっていた電子部品も,最近は通販が普通になってきました。

 こうなると,もう全国区のお店が圧倒的に強く,知っている人だけ知っているというお店は,淘汰されていまいます。パーツランドのように,リアル店舗が日本橋のど真ん中にあって,そこそこの規模を誇っていても,通販を利用する人がここを使うかどうかは,純粋に知名度の問題だと言えるからです

 かくして,パーツランドは資金繰りに行き詰まり,破産しました。

 9月頃からセールをやってたそうですので,そのころからすでにやばかったのでしょう。最後まで店舗移転のためのセールと言っていたので,最初は小さいお店に移転するか,通販に特化するかの対応を考えていたように思いますが,10月に入ってからはセールの割引率が大きくなり,最終日には7割引とか,そんな状態だったそうです。

 そして今はシャッターに破産したと張り紙が貼られていますので,途中から破産することが決まっていたんじゃないかと思います。

 私は内部事情を全く知りませんが,パーツランドはもっと堅実にやっていく方法があったんじゃないかと思います。せっかく立ち上げ時には資産を継承することでうまく離陸できたのに,その後調子に乗ってお店を増やしたり,大きな所に移転したりしたのは,無駄遣いだったように思います。ここは,存続を第一に考えて,最初の狭いお店から動かず,通販と法人を開拓すべきだったのではないでしょうか。

 少なくとも,私はパーツランドに特有に個性をちゃんと感じていました。そこをアピールすることは,マニアックな顧客を惹きつける力になったように思えてなりません。


 自作PCのパーツ店がアキバでも閉店することが珍しくなくなりましたし,電子部品についてもアキバの原風景たる,ガード下のラジオストアが閉店します。それぞれ理由は異なりますが,自作のための部品を売る店がなかなか成り立たなくなっているということは,事実でしょう。

 シリコンハウス共立が大きくなり,マルツが全国にパーツ店を展開するという,私にはちょっと首をかしげるような動きがあったこの10年ですが,日本橋の名門ニノミヤを源流に持つ貴重なパーツ店が,奮闘むなしく終焉を迎えたことが,寂しく,残念でなりません。

 大阪を離れて,私も日本橋で買い物をする機会は激減しました。帰省すれば必ず立ち寄った日本橋ですが,どんどん枯れていってしまうような気がしてなりません。

K-3は実は一昔前のプロ機レベル

 K-3はペンタックスのフラッグシップ機ですが,価格はボディのみで15万円程度と,明らかにプロフェッショナルを対象としたモデルではありません。ペンタックス自身もハイアマチュア用と位置づけていますし,「プロ機じゃないのね」という第一印象から,ちょっと軽く見られがちです。

 一言で言えば,現段階でAPS-C世界最強のカメラです。ペンタックスはそういうことは言わないけれども,一番後で出てきた機種で,しかも2大メーカーがAPS-Cから少し力を抜いている今,当然と言えばそうかも知れません。

 スペックをぱっと見ると,これって私が長く愛用したD2Hを軽く越えているんです。意味のない比較のように思うかも知れませんが,個人的にD2Hは,手に入れてみて,さすがプロ機と感激したモデルですので,これを越えるかどうかが気になるのです。

 APS-Cで2400万画素はD2Hの400万画素をはるかに超えていますが,連写速度はなんと8.3コマ/秒で,連写数はRAWでも23コマ,JPEGでは60コマです。

 私は常々,連写速度というのは単なる速度ではなく,システム全体のバランスを示すものだと考えていますが,K-3があのボディに,どうやって8コマ/秒を越える速度で連写出来るだけのエネルギーを囲い込むことが出来るのか,不思議なくらいです。

 そのくせ,シャッター耐久は20万回です。D2Hが15万回ですから,もうプロが使っても構わないレベルに来たと言えるのではないでしょうか。

 大事な事は,8.3コマ/秒で1/8000秒,シンクロ速度1/180秒で耐久20万回,最低動作温度-10℃というシャッターは,そう簡単に作る事の出来ないもので,中級機レベルのシャッターとはもう別次元だということです。ペンタックスもとうとうここまで来たか,と私は非常に感慨深いものを感じています。

 画素数や感度は,純粋に搭載するセンサの性能で決まる世界ですので,低価格機でもD2Hを越えるものはざらにあります。しかし,メカの性能や信頼性,あるいはお金をかけないと達成出来ないスペックなどで,低価格機とプロ機は別物になります。K-3が凄いのは,この価格でプロ用に匹敵してると,感じることです。

 唯一公開されていない数字が,レリーズタイムラグです。D2Hは0.037秒でしたが,K-3はどうなっているでしょうか。この時代の数値と現在の数値は,計測方法が変わっているの直接の比較は出来ないのですが,今のところD2HやD800が最高レベルであることは変わりなく,これくらいの速度を実現してくれていれば,ほとんど感覚的な遅れは感じずに済むでしょう。

 AFポイントは27点,AEセンサは8.6万画素のRGBセンサです。D2Hがそれぞれ11点,1005画素のRGBセンサだったので,その差は歴然です。

 そしてK-3はマグネシウム合金を使ったボディを,防塵防滴にしてあります。D2Hも同じような強靱な骨格を持っていて,そこはプロ機ならではの堅牢性を誇っていますが,残念ながら防塵防滴まではありません。

 そして,D2Hは約1kg。K-3は800gと2割も軽いのです。プロ機は重いのが当たり前になっていますが,これはプロ機にふさわしい装備を入れれば重くなると言う話であり,プロだってそりゃ軽い方がいいに決まってます。冷静に考えてみて下さい。スピグラからライカに変わった事実は重いです。


・ローパスレス

 最近のカメラは,ローパスレスが流行しています。これは,高画素化が進んでいて,もはやローパスフィルタが必要ないくらいになってきたことに加えて,ローパスフィルタが高価であり出来れば削除した方がメーカーもうれしいし,レンズ性能が上がってきた昨今では,ローパスフィルタが足を引っ張っているという現状もあります。それに,ローパスレスといえば,市場の評判も良いですしね。

 しかし,本来モアレというのは,アンチエイリアシングノイズですから,一度発生すればもう取り除く術はありません。モアレ除去が画像処理で出来ると言っている方もいますけど,モアレ以外の画像に影響を与えないように除去することは,どんな画像処理を行っても不可能です。

 モアレは入ってしまえば除去不可能,しかしローパスフィルタは解像度を落とす原因になるので外したい,ということで,メーカーもユーザーもジレンマを抱えていました。

 ここでペンタックスはK-3で目からウロコの仕組みを搭載します。光学的なローパスフィルタは搭載しないのですが,センサをサブピクセル単位で振動させて,ローパスフィルタを作るのです。

 1画素より小さい振動の手ぶれを作るわけですね。

 なるほど,これをやれば,1画素以下で解像した画像は,全部ぼけてしまいます。モアレというのは,この1画素以下の周波数で起こりますから,それをなくせばモアレは発生しないですね。

 これは,もともとペンタックスが昔から搭載していた,センサ駆動式の手ぶれ補正を応用したものです。この発想も素晴らしいと思いますが,このアイデアを実現出来るほどセンサをリニアモーターで動かすことが出来るようになっていたことも,驚きです。これはもう他社にはない,ペンタックス独自の技術です。

 もともと,手ぶれの補正はせいぜい数Hzの振動を打ち消すもので,APS-Cという大きく,質量もあるものをリニアモーターで正確に打ち消すことが出来ているのは,周波数が遅いからだったのです。

 しかし,今度のローパスフィルタは,1画素の半分の大きさで振動をさせ続ける必要があります。しかも手ぶれ補正をしつつ,です。

 ペンタックスの資料をみると,1/1000秒のシャッター速度以下で効果が出ると言っています。ということは,最低でも振動周波数は2kHzと言うことになるのでしょう。ただ,これでは1/8000秒では問題を起こすと思うので,実際には16kHz以上でしょうか。

 APS-Cで2400万画素という事は,単純計算で画素ピッチが3.92μmとなります。この半分を振動させるわけですから,約2μmですね。これを1秒間に16000回以上振動させることになるわけです。あれだけの質量を16kHzで,しかも正確に振動させるなんて,ちょっと大変そうに思うんですが,大丈夫なんでしょうか。

 まあ,最悪,振動を停止してローパスレスで使えば問題ないんですが,長く使う高価なカメラですし,ここが壊れる可能性がどれくらいあるのか,気になります。消費電力も大きいでしょうし,万が一壊れた場合には致命傷になります。そもそも実績がなくて,本当にこれでモアレが消えるのか,副作用はないのか,調整ズレや故障で撮影した画像がことごとく使い物にならないものになってしまうことはないのか,など,やっぱり私はこれを積極的に歓迎できません。プロも同じ気持ちかも知れませんね。

 
・処理速度

 連写速度と同じ事なのですが,2400万画素のデータを8.3コマ/秒で記録出来るというのは,これはなかなか凄い画像処理能力を持っていると思います。画像処理エンジンが新しくなったということですが,噂では富士通のMilbeautの最新型を採用しているそうです。

 この新しいMilbeautは9月に富士通から発表になっているのですが,CPUコアにはARMのCortex-A5,2400万画素で最大12fpsの処理能力,光学補正を含む各種画像処理のに新アルゴリズムを搭載,従来に比べて2倍の処理能力を実現とあります。

 特に,この2400万画素で12fpsというスペックは注目すべきで,これが出来たから8.3コマ/秒が可能になったのでしょう。そして時期的に,最新のMilbeautを使ったのはK-3が最初と考えられますから,他の一眼レフよりも頭1つ飛び抜けた性能を持っていることも,納得です。

 
 ということで,ペンタックスは,2大メーカーがフルサイズに軸足を置いてしまって手薄になったAPS-Cを重点的に責めてきました。2大メーカーにAPS-Cのフラッグシップモデルを望む声は相変わらずあるのですが,特にニコンはそんな気配も見せず,キヤノンはニコンの様子を見て,と言う感じで,一定の需要があると思われるAPS-Cのハイエンドモデルは,EOS7Dからでもすでに2年以上の時間が経過しているのです。

 D400やEOS7DMarkIIなどを期待する声を放置し,フルサイズ競争に入ったことは間違いではありませんが,知らないうちにまさのペンタックスが,APS-Cで覇者になったことを,きっと2大メーカーにはどう見えたのでしょうね。

 案外,APS-Cで存在感を示し,生き残るという戦略は,ペンタックスにはちょうどいいのかも知れないなと思います。ペンタックスのフルサイズを求める声も大きく,私もそうだったのですが,レンズラインナップがあまりに貧弱ですし,これをてこ入れするのはあまりに果てしない作業なので,私は非現実と思うようになっています。

 古いレンズを使いたいという話もわかりますが,D800を使ってわかったのは,古いレンズはやはり3600万画素ではあまりに悪いところばかりが見えてしまうと言う現実です。

 だから,もしペンタックスがフルサイズモデルを作るなら,長く放置されていたフルサイズのレンズラインナップを,最初から作り直すくらいの覚悟で拡充しないと行けないのです。これは,とてもお金も時間もかかります。

 それなら,優秀なレンズをすでに持っているAPS-Cに絞るというのは,悪くないでしょう。幸い,ペンタックスには,645DやQという,他のフォーマットのカメラもあるわけですし。

 そう考えると,もうフルサイズを待つことはないし,待っても出ないんじゃないかと思えます。K-3が良く出来たカメラであるなら,これで5年戦うことは,十分意味があるんじゃないでしょうか。

2012年の散財を振り返る

 今年は冷静に考えると,毎年年初にやっている「昨年の散財」をまとめてませんでした。

 遅ればせながら,自戒の念を込めて,昨年の散財を振り返っておこうと思います。


(1)ネットワークオーディオプレイヤーN-30

 まずは,ネットワークオーディオプレイヤーです。パイオニアのN-30です。

 購入してから11ヶ月経過していますが,すっかり我々の生活に定着しています。DLNAによるFLAC再生,AirPlayによるiPadからの再生,そしてインターネットラジオと,大変便利に使っています。

 価格も安く,比較的大きなカラーディスプレイも装備されていて,基本性能も十分な物があります。ちょうど先日アップデートがあり,さらに完成度が上がったわけですが,音質云々ではなく仕様については,個人的にこの機種を越える物はないんじゃないかと思うほど,そつなくまとまっています。

 価格を考えると大変良く出来た製品だと思います。買って良かったです。人が集まる部屋には1台欲しいので,もう1台買おうかと思うくらいです。


(2)食洗機

 これも大変よい買い物をしたと思います。ただし,プチ食洗機は小さすぎて,使いこなしはなかなか苦労します。

 プチ食洗機は2人から3人くらいの家族を対象にした小型モデルなわけですが,通常サイズの食洗機との差分が対象とする人数,つまり格納できる食器の数だけだと思ったら大間違いで,特に奥行きが狭いことによる影響は大きなお皿が入らないという,数以上の形で表面化します。

 カゴの形状や食器の入れ方は大変工夫されていて,よくこのサイズにこれだけ入る物だと感心しますが,余裕のないギリギリの設計になっているので,ちょっと変わった形の食器や,少し深いお皿をいれると,途端に数が入らなくなります。

 ですから,経験的に格納しやすい食器ばかりを使うようになってしまいます。あれこれとお皿を使い分けるという楽しみが食洗機の導入以後なくなってしまい,食事が殺風景になったことは否めません。

 
(3)HP15cLE

 復刻版のHP15cLEも昨年の買い物です。買った時は全然使うこともなく,なんだか使いにくい電卓だなあくらいの感じだったのですが,HP20bを改造して作ったWS34Pのあまりの使い心地の良さに,HP15cLEも難なく使えるようになってしまい,単なるコレクターズアイテムから,実用マシンへの昇格を果たしました。

 とはいえ,もったいないので普段は箱にしまってあります。それでも目立つ傷がついているのはなんでだろうと,ちょっと凹みます。


(4)D800とレンズ

 なんといっても昨年の散財の筆頭は,D800とレンズでしょう。D800が27万円,AF-S24-70mmF2.8が15万円,AF-S300mmF4Dが10万円,そのほかなんだかんだで・・・いやー,すごい買い物ですね。いくら下取りを使ったとはいえ・・・

 しかし,D800は価格以上の価値がありました。36Mピクセルという超弩級の画素数を誇るフルサイズ機ですが,ボディの作りも高レベルで,今のところこれ以外に欲しいカメラが見当たりません。間違いなく一眼レフの頂点の1つです。

 高画素,高画質であることは,それ自身も重要なことですが,失敗の多くが救われるようになったことも思わぬ収穫でした。当初,高画素機ゆえの手ぶれによる失敗が多発することを覚悟していましたが,葉書サイズくらいに印刷するのであればそんなに神経質になることはありません。

 それより,フルサイズで高画素なのでトリミングの自由度が高いこと,高感度なので露出の失敗を救えることが多く,大変助かっているのです。

 そもそも失敗しないことが一番大切なのはわかります。

 しかし,失敗を意識してシャッターを切るのをためらうようなことがあると,貴重な瞬間を逃します。私はアマチュアですので,あまりストイックなことを言っていても始まりません。下手なんですから意地を張っていてもプラスにならず,そんなことよりむしろ,シャッターチャンスを逃さないことの方が大事です。

 ですから,トリミングも露出の調整も出来なかったD2Hに比べて,撮影が随分ラフになりました。本気のD2HとラフなD800を比べても,D800の方がはるかに良い写真が撮れるという現実は,受け入れなければなりません。

 これは私だけの話かも知れませんが,D800の唯一気にくわない点であるAFの性能が今ひとつなことでシャッターチャンスを逃しがちです。失敗写真の大半はピンぼけである現状で,1枚でも多くの写真を救えることはとても大きな意味があります。

 D800の被写体は,1歳ちょっとの娘です。生まれてから現在に至るまでの成長の早さ,変化の大きさには目を丸くするばかりですが,それを現時点における最高性能のカメラでたくさん残せたことは,本当に有意義だったと思います。

 とはいえ,レンズは試行錯誤ですね。AF-S24-70mmF2.8はなるほど良いレンズですが,大きくて重くて寄れないので案外出番は少なく,AF-S300mmF4Dなどは円高を理由に海外から買いましたが,本格的な出番は一度もありません。いずれ必要になると思われるレンズですから,大幅な価格上昇が予想されるリニューアルの前に,しかも超円高のうちに買っておこうと思ったのですが,ちょっともったいなかったかなと思います。

 結局のところ,一番稼働率の高いレンズは,AiAF35mmF2Dです。おそらく私だけでしょうね,D800のオーナーの中でこんなもったいない使い方をしているのは。


(5)ベビーカー

 マイクラライトのベビーカーは,5万円を越えるのが普通になったベビーカーの現状から考えると,性能に対して安価だと思います。

 ただ,必ずしも使い勝手がよいとは言えず,やはり重量の問題と取り回しの問題,そして前輪からの振動が多くて案外乗り心地が良くないのではないかと,そんな懸念もあります。

 今年の冬は寒く,インフルエンザも流行っているので,晩秋からずっと,積極的な外出はしていません。夏は夏であまり外に出ることはしませんでしたから,案外ベビーカーって活躍しないものです。

 これは親が出不精だからという理由が一番大きいのでしょうが,毎日ベビーカーで出かけるようになると,もっと軽くてコンパクトなベビーカーがありがたくなり,マイクラライトという選択肢が必ずしも正解とは言えなくなるかも知れません。


'(6)NAS

 不安定で遅いPogoplugにぶち切れてQNAPのNASを導入しましたが,これもなかなか良い買い物でした。NASという本来の機能に加えて,WEBサーバーもこれに統合し,Linuxであげていたサーバーを1台廃止(のち廃棄)することが出来たのですから,大したものです。

 DLNAによるオーディオ再生,複数台のMacをTimeMachineでバックアップなど,日常的に便利に使っている機能だけではなく,写真や動画の共有なども出来るQNAPのNASは,個人用のNASとしてはとてもよい製品だと思います。

 また,これをきっかけに導入したギガビットEtherの恩恵も大きく,USBなどの外付けストレージのプライオリティは低くなったと思います。それでも,無線LANを使っているとギガビットEtherと高速NASの恩恵は受けられません。ここが今後の改善点になるだろう思います。

 ついでにいうと,近頃の円安でHDDも値上がりしていますが,WDのREDシリーズの3TBもよいです。そこそこ速いし,発熱も少なく,SMARTのレポートを見ても壊れる気がしません。通常の3TBよりも高価ですが,その分の安心感は大きな物があります。


(7)Lightroom4

 購入したソフトの中ではダントツの稼働率で,もはやこれがないと私の写真趣味は成り立たないと言っても言い過ぎではありません。

 D800のように画像データが大きいカメラを使うには,写真の管理から現像,調整,印刷というワークフローを効率よく行う必要があります。容量と速度で大きなデータにへこたれないストレージ,高速なCPUに大容量のメインメモリというハードウェアは当然としても,自分にあったソフトウェアを見つけて使いこなすことも同じくらい大切な事です。

 D2HやK10Dをメインに使っていた頃にLightroom4を使い始めましたが,D800のようにデータのレタッチ耐性が高く,前述のように多少の失敗が救えるようになってくると,ますます現像ソフトの役割は大きくなります。

 ここで,メーカー純正のソフトを使うのが一番良いは説明の必要もないわけですが,メーカーが違えば異なる操作体系や概念を学習し直さねばなりません。また,データ管理から印刷までを一気に行えるバランスの良いソフトは純正には少なく,現像は優れていてもノイズ除去が下手くそとか,印刷が苦手とか,得手不得手があるものです。

 それをカバーするために,データが小さかった時代なら複数のソフトを組み合わせる方法でなんとか出来たかも知れませんが,1枚あたり30MBになろうかというD800の巨大なRAWデータでそれはなかなか大変で,多少の欠点には目を瞑ってでも一連のワークフローを1つのソフトで完結させることが出来ないと,現実的に作業が難しくなると思います。

 Lightroom4は安価で高機能,優れたUIを持ち,現像の能力はプロも認めた安定性を誇り,印刷の機能も本気で実装されている,コストパフォーマンスに優れたソフトです。ファイル管理は私はOSに任せているのでLightroom4の機能を使ってはいませんが,それ以外の機能については大変手に馴染み,D800との組み合わせにおいて不自由を感じません。

 現像機能だけとっても,メーカーが違っても同じ手順で処理が出来,そのくせ仕上がりは撮って出しのJPEGに近い物がちゃんと出てきて,そこからの調整や修正も問題なし,ノイズ除去性能の高さも手伝って,カメラの性能を1段引き上げていることは間違いないと思います。

 そこに良く出来た印刷機能やファイルのフィルタリング機能があって,使いやすく統合されたLightroom4は,買って良かったソフトの1つであると思います。


(8)ブラックアンドデッカーmultievo

 ブラックアンドデッカーの電動ハンドツールで,アタッチメントを交換するとドリルになったり丸鋸になったりジグソーになる,便利ツールです。

 リチウムイオン電池で動作し,多機能で安価といいことずくめなわけですが,そこはやはり価格相応のクオリティであり,剛性感も5万円クラスの電動ツールと比べれば,みじめな気分になります。

 でもそこはDIYの本場アメリカです。無骨でアメリカンな外観通り,不思議と不安感はありません。よく考えられているようで結構大雑把,持ちやすそうに見えて実はそうでもないとか,無駄にゴツゴツしていてやたら存在感だけはあるとか,マキタやボッシュにはない,独特の押しの強さがあると思います。

 と言いつつ,実はこれ,まだ本格的に使っていません。ですから使った実感というのはまだ沸いていないのですが,十徳ナイフやアタッチメント式の道具にありがちな,結局中途半端でどれも使いにくいという話は,ないように思います。

 パワーもあるし,予備の電池もあるので,このツールが作業の足かせになるようなことはないでしょう。


(9)Kindle Paperwhite

 3台目のKindleです。最初に買ったKindleDXは良く出来た機器でしたが,昨年秋に249ドルに値下げされた後,今はディスコンになってしまいました。惜しいですね。

 2台目に買ったKindle Keyboardは安くて軽くて小さく,標準で日本語に対応した初めてのKindleでしたが,やはりSVGA相当の解像度の低さがネックでした。

 そしてKindleの日本でのサービス開始を受け昨年末に購入したのがしたのがKindle Paperwhiteです。

 実は,購入してからずっと,ほぼ毎日使っています。以前は寝る前にふとんの中で読むことが多かったのですが,最近は通勤中に電車で読むようになりました。小さいのにXGA相当の解像度を持ち,高いコントラストをフロントライト併用で実現したこのマシンは,手で持った感触もすばらしく,読むという行為へのストレスが随分小さくなったなあと思います。このあたり,さすがに一日の長ありです。

 欠点は,PDFでは綺麗に読めないのでmobiに変換が必要であること,変換に手間がかかるので一気にやって蓄えておきたいのに容量が小さく,油断していると内蔵ストレージがいっぱいになり,ファームのアップデートすら出来なくなっていることでしょうか。

 そうそう,私は3Gモデルを買ったのですが,WiFiモデルで十分だったと思います。3Gで出来る事は限られ,ファームのアップデートすら自動で行われません。WiFiにバグがあるので3Gがないと時計も狂うという状況でしたから,確かに3Gに意味がなかったとは言いませんが,WiFiとの価格差を考えると自炊の人はWiFiにすべきですね。


 ということで,昨年も随分散財しました。それぞれに価値のあるものであり,純粋な無駄遣いは減ってきていると思うのですが,D800とレンズがこれだけ高額であることを考慮すると,今年以降はかなり引き締めて行かねばならないと,そんな風に思った次第です。

 なにかの雑誌で読んだのですが,年収400万円の人も年収1000万円の人も,そんなに貯蓄額は変わらないそうです。理由は年収に応じたお金の使い方をしてしまうからなんだそうですが,私の場合年収が高くないのに欲望に抗わずに散財しますから,このままでは破滅します。そう,身の丈に応じた生活をしないといけないのです。

トランジスタの入手を巡る動き

 ディスクリート部品,特にリードタイプの定番トランジスタの入手がいよいよ難しくなり,値段も上がっているようです。

 とはいえ,代わりに使えるトランジスタは世界中にゴロゴロしていますし,これまで「鎖国状態」だった国産トランジスタの世界が,いよいよ開国したと考えれば何の心配もないのですが,一方で1つ3円で買える汎用品の2SC1815が,オーディオ用トランジスタよりローノイズだったりするという国産品に対する厚い信頼というのは,なかなか消えないだろうなとも思います。

 聞けば,秋月でこれまで200個入り600円だった2SC1815が1900円に値上がりしたのが今年の夏とのことで,今はカタログからも消えています。私は昨年買いましたが,まとまった数が確保出来なくなりつつあるんだろうなあと,そんな風に感じます。

 代わりに海外製の汎用トランジスタが安価に入手出来るのですが,まずピン配置が違いますし,単なるスイッチングなら大丈夫でも,2SC1815の懐の深さをあてにした用途だと,必ずしも同じ結果が得られないのではないかなと思います。

 まあ,本当に欲しい人はすでに買いだめをしているでしょうし,これからの人はこんな昭和時代のトランジスタを血眼になって探すという不毛なことはしないで,今手に入る美味しい部品を使いこなすことを覚えた方が,技術力もアップしてとっても前向きでしょう。

 トランジスタがディスコンになるには,いくつかの理由があります。

 1つは新しい部品で置き換えられる場合。AMのトランジスタラジオも,その昔は当然ゲルマニウムトランジスタで作られていたわけですが,それがシリコントランジスタに置き換わってディスコンになりました。さらにシリコントランジスタも,IC化されてしまってディスコンです。

 1つは,そのトランジスタが使われていた製品が市場から消えてしまう場合。入手困難・価格高騰でその筋には有名な三菱の2SC1971は,CB無線をターゲットにした送信用の出力トランジスタですが,CBなんてとっくに死滅しましたし,そもそもVHFで5Wクラスの出力の無線機なんて市場がありません。この場合,後継品種も出てこないので,一部のマニアは右往左往するわけです。

 最後に儲からないからやめてしまう場合。これはメーカーの都合ですが,例えば2SC1815,2SC945,2SC458,2SC2320は,どれも差し替え可能なメーカー違いのトランジスタですが,ただでさえトランジスタの市場が小さくなっているのに,似たような品種でパイの食い合いをしても損なだけです。単価も利幅も小さく,設備の維持も面倒臭い昨今,先にやめた方が勝ちです。

 結局の所,使われなくなったというのがすべてに共通する背景なのですが,2SC1815のような超ド汎用なトランジスタを含む,TO-92のトランジスタが東芝から消えるというのは,さすがに寂しいものがあります。

 こうしたディスコンに慌てふためくのが,オーディオマニアとアマチュア無線マニアです。どちらもIC化が進み,市場も小さくなって,昔の製品を修理するにも復刻するにも,肝となるトランジスタが手に入らないとどうにもなりません。

 それに,この種のマニアというのは概ね年寄りで,金もあるし時間もあるしで,いきおい買い占めに走ります。余命を考えて買い占めなぞやめて,死ぬまでに使い切れる分だけにして欲しいと私などは思うのですが,まあそれは個人の自由です。

 オーディオは特に金田式DCアンプで使われているものが昔から珍重されています。TO-3というごっついメタルパッケージに入ったパワートランジスタなど,偽物が出回るほどです。1970年代に生産されてとっくの昔にディスコンになったトランジスタなのに,NECのロゴが丸っこい新ロゴになってるなんて噴飯物です。

 偽物でも,それなりに互換性があって動く物なら良心的なのですが,悪徳業者がそんな親切なことをするわけはなく,定格もピン配置さえも違う,形がかろうじて似ているだけのものを刻印し直すのですから,大事故につながりかねません。

 アマチュアはメーカーのように,部品の受け入れ検査をするのに限界があります。検査などしないでいきなり作って動かすこともしばしばですから,信用第一なんですね。だから,アマチュアが利用する部品店が,堂々と偽物を売っているというのは,いくら何でもひどいんじゃないかと私は思います。

 部品店は基本的に交換や返品を受けないのが慣例ですが,偽物を売りつけておいて購入者に全責任を負わせるというのは,まあ詐欺ですね。

 どうしてこんなことを書くかと言えば,先日古本で,1969年に発行された「東芝トランジスタ回路集」なるものを買ったのです。トラ技の向こうを張るプロ向けの雑誌「電子展望」の別冊扱いですが,なにせ東芝のトランジスタの本ですので,広告も当然東芝です。

 中に,東芝のトランジスタをぜひ工作に使ってみて下さい,お近くの販売店で売ってます,2SB56は定価100円です,と,アマチュアに対する広告も存在するのです。

 1969年の100円ですから随分高いんですが,40年以上前の本をパラパラと見てみて,とても活気があって面白いなあと感じたのです。

 当時はゲルマニウムからシリコンへの移行期で,シリコントランジスタもどんどん品種が拡大し,価格も下がって使いやすくなっていった時代です。ICも登場して,ようやく軍事一辺倒から民生品に使われ始めたときではないでしょうか。

 これまでは懐かしい,くらいの印象だったこれらの本も,トランジスタが入手出来なくなると一気に古めかしく,実用度を失った,完全に過去の本となります。真空管も,ブラウン管も,過去の技術というのはすべからくそういうものだから仕方がないのですが,比較的緩やかに進行していたトランジスタの終息は,案外近いうちに来るのかも知れません。

 ところで,そんな話もある中で,ちょっと面白い話です。

 日立のパワーMOS-FETと言えば,2SK134/2SJ49です。1970年代後半に登場した画期的なデバイスで,オーディオ用のパワートランジスタとしてはとても有名です。

 TO-3のメタルパッケージに入ったこの品種はとっくにディスコン。モールドパッケージのTO-3Pになった後継品種の2SK1058も実はディスコンになっていて,日立のオーディオ用パワーMOS-FETは絶滅したかに見えました。

 ところが,あるところにはあるんですね。イギリスのあるメーカーが,互換品を作っています。どうやら現行品です。TO-3のメタルパッケージですから,2SK134と完全互換という触れ込みです。なにやらスイスの超高級オーディオメーカーで採用とか。

 入手は難しいでしょうが,頑張れば手に入るわけですから,これはこれでありがたい話なんじゃないでしょうか。

25年前の高校生活をふと思う

 今から25年も前の話,私は高校生だったのですが,最近になってようやく一歩下がったところからそのころの生活を見ることが出来るようになってきました。

 私が通った高校は大阪の府立高校で,私の住む街でも名の知れた,名門校でした。私は中学生の時が最も勉強が出来た人で,トップ校には少々手が届きませんでしたが,2番手のこの学校には十分な学力を持っていました。

 ただ,親も中学校の先生も,はたまた塾の先生や友人達も,その当時の学力にマッチしていたからというより,その校風に「お前ならぴったり」と本人以上の納得をしていたことを,思い出します。

 自主自立。それがこの学校のモットーでした。1970年代の学生紛争が高校にも飛び火し,私の母校は校則と制服が廃止されました。かつての制服(男子は詰め襟,女子はセーラー服)を「標準服」と呼び,標準服を含めたどんな服装も許されていましたが,それは本当に自由という事ではなく,高校生にふさわしい服装を自分で考えて着てこい,と言う自由でした。

 今はどうか知りませんが,私のいた頃はほとんどが標準服でした。なかに完全な私服もいましたが,それは自己主張が強く,周囲からちょっと一目置かれていた,いい意味で変わり者がそうだったように思います。


・アホに洗脳される

 当時の学区で2番目の進学校ですから,それなりに勉強が出来ないと入ることが出来ない学校でしたし,校則や制服がない,自由な校風に憧れる生徒が集まる人気のある学校でしたから,競争率も低くはなく,誰でも行ける学校ではなかったと思います。

 ですが,面白い事に,合格した途端に成績がガタガタと落ちるんですね。ちっとも勉強しないようになる人も多くて,当時は先生もあんまりやかましく勉強しろとは言いませんでした。

 ですから,中学時代は成績上位でも,高校生になると成績がばーっと下がり,アホに洗脳される学校と呼ばれていました。

 かくいう私も勉強をちっともせず,底辺を彷徨っていました。同じようにアホになった友人から,お前アホやろ,と面と向かって言われたり,卒業できんのか,と心配されたことも一度や二度ではありません。


,4年制の学校

 そんな高校でしたが,卒業生の大半は大学に進む進学校でした。ですが現役で大学に通る人は半分以下,大半は浪人して大学に進みます。

 それゆえ,4年制の高校といわれたものです。

 当時の先生の口癖は,「やれば出来る子」でした。なんとなくですが,先生も生徒も浪人を許した上で,楽しい高校の3年間を満喫するのもよいだろうという,そんな空気も漂っていました。でも,親はたまったものではありませんわね。


・文化祭

 大阪府下でも有数の,大規模な文化祭を開催することでも知られていました。1年の時は様子見もあって喫茶店などでお茶を濁すのですが,2年では半分,3年ではほとんどのクラスが演劇をクラスの出し物とします。

 劇をやると,大道具から小道具,衣装や音響など,総力戦になります。まあこういっては何ですが,キャストはクラスでも目立ちたがり屋がやりますし,シナリオは特殊能力なのですぐに決まります。

 後の人間は裏方に回るのですが,最初はダラダラやっていた人間でも,最後には夢中になって,最後には涙するというのが通例でした。結局脱落する人間が少なかったなあと思います。

 そういえば,私たちの時は1学年で13クラスもありました。約40ものクラスがあって,多くが演劇をやるわけですが,演劇をやるクラスは立て看板を作りますから,あちこち立て看板だらけになるわけです。

 立て看板の良し悪しが人気に直結するので,自ずとクラスで最も絵のうまい人間が担当します。シナリオのうまい奴,台詞の通る奴,工作のうまい奴,ミシンがけがうまい奴,そして画を描くのがうまい奴と,普段なかなか見れない「一芸」が見られる機会でした。

 ところで,そんな何十もの演劇を上演するのは普通無理だと思うでしょ。でも我々の学校の舞台は講堂,新体育館,旧体育館に加えて,近くの公会堂を使わせてもらっていました。4つの舞台を3日間の期間中,すべてのクラスやクラブで共用するのですが,見たいものが複数にまたがると,走り回ることになります。

 あと,美術の先生がアップライトピアノを斧で割り,ペンキを塗りたくるというパフォーマンスをやってました。やってるときはいいんですが,終わってからの妙なむなしさをよく覚えています。


・なんでも本気で

 球技大会は「ペナント」と呼ばれていました。なんでそう呼ばれるのか私はわからんのですが,とにかくただの球技大会に,みんな本気になります。今はなにやらコスプレをしながら試合をするそうですが(うらやましい),私の頃はただの体操服で,なにがおもろいねん,と冷めていました。

 クラス対抗ですから,みんな本気に勝ちに行きます。昼休みや放課後はもちろんですが,朝練も普通に行うので,私のような朝弱い人間には辛い物がありました。

 ですが,終わった後の一体感というのはなかなかのものがあり,こうした一体感の醸成が,文化祭に結実するんだなあと思います。


・個性的な人間への寛容さ

 みんなそれなりに勉強が出来て,校則や制服がなく,自由な校風に憧れてわざわざ田舎の高校にやってくるのですから,それなりにみんな寛容ですし,のんびり屋さんです。

 それぞれの個性をとても大事にしますし,勉強や運動が出来るか出来ないかなどに,あまり興味はありません。変わった奴は「変な奴」と言われることはあっても,仲間はずれにされたり,低く見られることはなく,みんな同じ仲間として,互いに尊敬し合う居心地の良さがありました。

 私の母に言わせると,そのへんが「おぼこい」らしいのですが,いじめや暴力が蔓延して緊張の連続だった中学校に比べると,まさにそこは理想郷でした。


・地域性

 この学校の学区は,大阪市内から南河内一帯に広がる地域で,都会から田舎まで,様々な地域から人が集まっていました。まあ高校というのはそういうものなのですが,都会の人間は友人の家に遊びに行くことで田舎を等身大で見るようになりますし,逆に田舎の人間が友人のいる都会に行けば,都会を現実の物として意識するようになります。学校が田舎にありましたから,都会育ちの人間には新鮮だったはずです。

 私は,都会と田舎の中間点にいました。どちらかと言えば田舎寄りだったと思いますが,友人達はみな「通過点だ」と言ってました。中途半端だったんでしょうね。

 私の個人的な経験からいえば,それでもやっぱり都会の人間は都会の人間で,田舎の人間は田舎の人間で仲良く固まる傾向はあったと思います。ただ,それぞれ仲が悪かったわけではありませんし,付き合いがないわけでもなく。なんとなく仲良しが集まると似たような地域になるという,それだけの話です。


・古い校舎

 木の床,高い天井,鉄製の窓枠など,戦前の建物を我々は使っていました。大掃除の時に床に開いた穴から,20年も前の漫画雑誌が出てきたり,後輩へのメッセージが出てきたりと,古い学校ならではの楽しみもありました。

 そんな校舎も老朽化によって今は取り壊されて,新しい物に建て変わっています。私は新しい校舎を見たことはありませんが,随分綺麗になっているそうです。

 講堂は文化的な意味もあるということで,取り壊しをせず,保存する声も高かったそうですが結局実現せず,当時の面影はほとんど残っていないそうです。

 そういえば,階段教室があった学校なんですね。ちょっと珍しいでしょう。私がいたクラブはここが根城でしたので,とても馴染みがあります。


・学生食堂

 学生食堂は盛況で,朝からやっていたそうです。私は昼は弁当でしたのであまり馴染みのない場所ではありましたが,時々友人と話をしたりと,楽しい思い出があります。

 そういえば,学校の近くには市役所があり,ここの食堂が安くて美味しいと評判でしたが,利用するのは禁止です。

 一度,自習の時に友人と市役所の裏側に抜ける秘密のルートを使って抜け出し,市役所の食堂に向かった事があるのですが,事もあろうにその食堂からかえってきたと思われる生活指導の先生と鉢合わせし,「飯なら学食で食え」と怒られて引き返したことがありました。


・高校時代で覚えていること

 まず部活の話。私は中学生の時にフォークギターを始めたのですが,ベースの重要性を知ったことで,高校では軽音楽部に入って,ベースを担当しようと思っていました。

 同じクラスで軽音楽部に入るつもりだった人に声をかけてもらい,入部をしようとしたのですが,どうも人数と担当楽器の問題から折り合いが付かず,結局入部しませんでした。面倒になったと言うか,気押されたというか,そんな感じでしょう。

 結局正式な部活ではなく,同好会レベルのフォークソング同好会にギター一本抱えて入り,そこで音楽をやってました。実際のところ,その主要メンバーは軽音楽部と掛け持ちしており,軽音楽部の「アンプラグド」版だったことを後で知ります。

 フォークギターはそこそこ演奏出来たので,放課後にはギターを抱えてあちこち歩き回ったり,運動場で演奏してきたりと,派手ではないですが楽しくやらせてもらってました。

 ですが,人前で演奏した記憶がほとんどなく,唯一後夜祭で先輩と一緒に朝礼台の上で演奏したことを覚えているだけです。

 で,しばらく正式な部活には入らなかったのですが,1年の時ある友人から「お前なら直せるんじゃないか」と,電子工作の腕を見込まれて連れて行かれたのがラジオ部でした。

 ラジオを聞くのか,といつもいわれた部でしたが,その実電子工作クラブと言った感じで,当時のことですから8ビットのパソコンとか,そういうのを得意とする人がぼつぼつ集まっていた,弱小クラブですね。

 結局私はそこであまり手伝うことはなかったのですが,その後すっかりそこの緩い雰囲気が気に入って,入部してしまいました。当時の1年上の3人の先輩は,実のところ今でもとても親しい親友です。

 もう1つ,写真部というのもありました。部活動として拘束されるのを嫌っていたので入部しなかったのですが,非常に真面目なクラブで,当時仲が良かった二人の友人が所属していたことで,私も部外者として部室に入り浸るようになりました。

 今にして思えば,ここにも入部すれば良かったなあと思うのですが,当時は父親から黙って借りていたボロボロのAsahi Pentax SPに50mmのレンズ1本しかなく,新しいカメラを買うお金もなかったので,躊躇していたのだと思います。現像なんかは別に家でも出来ますし,暗室を用意して引き延ばし機も自分で作ったりしていたので,群れることなどないよと,おかしな意地を張っていたのでしょう。

 でも,私がカメラを学校に持ち出す決意をしたのは2年生の時からで,それまでは自分の趣味を悟られることのないようにしようとしていました。だから,1年の時と2年の時とで,それぞれの周囲が持った印象は全然違っていたんじゃないかと思います。

 3年になると,打ち込みを本格的に始めていましたから,学校にシンセサイザーを担いで持って行くことも度々ありました。放課後の教室で音を出していたこともよくあったので,2年と3年でまた印象が変わっていたんじゃないかと思います。

 ただ,3年間共通していたのは,マニアックであったことです。今で言えばgeekというかnerdというか,そんな感じです。授業中に半導体のデータブックを読んでいたかと思えば,休み時間に黒板にコード進行を書き殴ってみたりと,高校生にしてはちょっと難しいことをやったりしたので,そこを気味悪がられたか,はたまた面白がられたかは,よくわかりません。ですが,こういった印象が強かったことは確かでしょう。

 当時の理系が得意とする科目をことごとく苦手としており,得意だったのは,数学では確率統計,理科では化学,国語では現代国語,社会では日本史と世界史,英語は全滅という感じで,理系の学生が有利になる科目は全く得意ではなかったのです。

 見るに見かねたある現代国語の先生は,文系に進めばもっといい大学いけるのになあとつぶやいたくらいなのですが,どうにかなると思い込んでいた私はその後,世の中にはどうにもならないことがあることを思い知るわけです。もしあの時,文系に進んで,苦手科目を避けてちょっと良い大学に進んでいたら,私の人生はどうなっていたでしょうか・・・

 当時は理系に進むことに全く迷いはなく,今も失敗したと全く思っていないのですが,どうなっていたかなあと思うことはあります。

 今にして思うと,周囲は私を勉強の出来ないアホと思っていたでしょうが,一方の私は世界史や化学で文系の人間に張り合う成績を残していましたので決してアホとは思っていませんでした。ただ,現実を直視できていないという意味での「アホ」であったことは間違いありません。
 

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