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AppleKeyboardをUSBでつないで,ああいい気分

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実家の整理をしたとき,古いMacintosh関連のものもいくらか出てきました。今にして思えばもったいないことをしたと思うのですが,当時はとにかく捨てないと,という気持ちが勝ったこともあり,なにを捨てたかよく覚えていないほどです。

 そんな中,奇跡的に生き残った物に写真のAppleKeyboardがあります。

 ある世代以前の方にはとても懐かしい物のはずですが,MacintoshSE,MacintoshIIが登場した時に用意された標準的なキーボードの,日本語版です。モデルナンバーはM0116Jです。

 1986年に登場,日本のアルプスが製造を請け負ったものなのですが,この,今で言うメカニカルキーボードはそんな経緯もあり,キースイッチはアルプス製です。接続はもちろん,ADBです。ADBはキーボードやマウスなどの今で言うHIDをデイジーチェイン出来るインターフェースで,ケーブルでごちゃごちゃする机の上を実にスッキリさせることが出来ました。国産機になれていた私は,当時この段階でアメリカ,そしてAppleの配慮にクラクラしたものです。

 この当時の製品にはありがちですが,紫外線による黄変が進んでおり,当時の美しさは失われていますが,それでもフロッグデザインによってデザインされたキーボードは,ただのキーボードを越えた美しさを放っています。

 さて,このキーボード,どうも私が最初に手に入れたMacintoshSEと一緒に買った物のようなのですが,大切に当時の元箱に入れてありました。ほら,白い段ボールに赤い林檎の印刷があるやルです。

 キーの配列も標準的で,コマンドキーが左右にあり,カーソルキーの配列も綺麗なAppleExtendedKeyboardIIに乗り換えるのはその後なのですが(余談ですがAppleKeyboardもAppleExtendedKeyboardもそれぞれIIに世代交代したとき,AppleKeyboardIIはメンブレン式になってしまったのに対し,AppleExtendedKeyboardはスイッチが変更になったもののメカニカルのままだったので,私はこちらに乗り換えました),乗り換え後も大切に元箱に入れて保管してあったようなのです。

 箱入りですから紫外線も浴びておらず,驚くほど美しかったのですが,実家から持ち帰るときに箱を捨てて中身だけで持ち帰ったことから,急激に黄変が進んでしまいこのざまです。

 捨てるに惜しいからと持ち帰ったはいいものの,ADBを持つ本体など捨ててしまって持っていませんし,今さら買うようなことも考えられません。そのうち中古で売ってしまうか,などと思っていた所,先日ぱっと閃いたのが,ADBをUSBに変換すればこのキーボードが現役に復帰出来るんじゃないのか,ということでした。

 世界中にADBのキーボードを愛する人がいるはず,今ならきっと感嘆に実現出来るはずだとサーべて見ると,iMateという私も知っている往年の変換器が高値で取引されているという話でした。

 もう少し調べると,キーボードの自作で定番化していたSwitchScienceのProMicroを使ったものが公開されていました。もともとArduinoですが,32U4を搭載したマイコンボードとして使うもののようで,書き込めばすぐに使えるバイナリも用意されています。

 ならこれを使ってみようと,ProMicroを早速手配。昔は安かったそうですが,今ではAliExpressで頼んでも1つ700円を超えます。送料を無料にしたかったので無理に3つ買い,届いたのが一昨日のことでした。

 まずはArduinoIDEをインストールし,初期不良がないか動作確認です。ちゃんと動作したので次に進んで,バイナリを書き込みます。これ,コマンドラインから書き込むのってなかなか面倒で,IDEが吐き出したバイナリのフォルダを探し出し,ここに書き込みたいバイナリをおいて,コマンドラインから書き込むのですね。

 試行錯誤を少ししましたが,無事に書き込めたようです。

 はやる気持ちを抑えられず,とりあえず部品集めです。ADBのコネクタはMiniDINの4ピンですが,ちょうどいい物が手持ちにありません。S端子のビデオケーブルを見つけましたが,悪いことに輝度と色のGNDが内部で繋がっているものだったので今回の用途には使えません。

 さらにジャンク箱をゴソゴソ探したところ,8ピンのMiniDINの壊れた奴が見つかりました。なにを思ったか端子が3本しか残っていません。残りの5本はどうしたんだよ・・・昔のわたし。

 ですが,ADBは1選式のシリアルインターフェースです。実は3本あれば問題なく使えます。(もう1本はPowerKeyです)

 そこで急遽ピンを組み直し,MiniDINの4ピンのコネクタを作りました。1本足りませんが,ここを使わないPowerKeyにあてがえば3本で問題ありません。

 このコネクタに3芯のケーブルを繋ぎます。そしてProMicroのジャンパをショートしてVccに5Vが出るようにした上で,VccとGND,そしてDataを繋ぎます。

 Dataは32U4のPD0が割り当てられていますが,ProMicroでは3というシルクがあるランドに出ています。ここをVccから1kΩでプルアップして接続すれば完成です。

 中国からの荷物を受け取ってから40分ほどで完成。なんの問題もなくあっさり動いてしまいました。

 30年ぶりに味わう,AppleKeyboard。なんと心地の良いことか。

 コマンドキーとスペースの間に”`”キーが挟まっていて,ここがミスタッチを連発することになるかもなあと思っていましたが,やはり体は覚えているもので,ちゃんと親指がコマンドキーの真ん中をとらえていました。なにも引っかかる物はなく,とても快適に使えます。

 音は大きいのですが,しっかりした剛性感も,手に馴染む湾曲の具合も,またちょうどいい傾斜も,やっぱりからだが覚えているんだなあと思います。カーソルキーもストレスなく使えますし。

 今日の艦長日誌はこのAppleKeyboardを使って書いていますが,もう毎日使いたいキーボードです。当時は本当にいいキーボードが作られていたんですね。コストダウンばかりが能じゃないんだと思いました。

 とまあ,AppleKeyboardを絶賛するのは,過去の記憶や慣れの問題もあるので偏りがあると自覚しているのですが,それにしても昔のキーボードのなにがそんなに魅力的なのかなとつくづく考えてみました。

 スイッチについては,今も昔もCherryの同じ物が買えますので,スイッチが今と昔で変わったという線はないでしょう。ならやっぱり剛性感でしょうか,それも大きさから来る安定感や接地感でしょうか。

 気付いたことは,キートップです。キートップの肉厚が太く,重くてしっかりしているのです。私のAppleIIplusのキーボードも実に心地よくタイピング出来るのですが,やはりキートップが分厚く重く,押し込んだ時と離したときの慣性が,最近のキーボードとは違うと気が付きました。

 先日のワイヤレスキーボードも心地よかったのですが,これもキートップが重いものでした。一方d,今常用しているキーボードは,スイッチこそCherryのものですが,やっぱりキートップが軽くて完成が小さいのと,おそらく材質がABSではないせいで,音も軽いんだと思います。

 重さとバネの力からその物体の運動は定義されるわけですが,おそらくキーボードについても同じ事が言えて,わずかな違いであっても,人間の体はその僅かな違いを感じ取り,心地よかったりそうでなかったりという感覚を得るのでしょう。

 昨今キーボードブームなわけですが,ともすればスイッチばかりに目が行きがちちな中,形状も含めてもっとキートップにこだわってもいいのではないかと思います。

 ということで,うちのキーボードのもう1つ選択肢が増えました。しかも極上です。とはいえ,私の中では未だにPC-9801Rシリーズ用のキーボードが一番だという意識が残っており,これをUSBか出来たらいいなあなどと思っていますが,悲しい事にPC-9801のキーボードは捨ててしまって手元には残っていません。ああなんと残念な事か。

 私の当時のPC-9801のキーボードは,CTRLキーとCapsLockが左右に並んでいるというPC-9801の最大の問題点を改造で解消したもので,CTRLキーを大型化してありました。キートップはEWS4800のキーボードから移植したもので,使う事のないCapsLockは存在が消されているというキーボードです。

 とにかく快適に使うことにこだわったキーボードだったのですが,音もそんなに大きくなく,滑らかで1.5倍は速くタイプできる,良いキーボードだったと思います。そしてCTRLキーが大きくて使いやすくて,UNIXでも便利,カタカナ入力でも便利と,本当に捨てなきゃ良かったです。

 今回作ったADB-USB変換基板のファームウェアには,そのPC-9801のキーボードをUSBにするものも用意されています。もしPC-9801のキーボードが手に入ったら作って試してみましょう。

 

T50RPmk4のバランス入力端子をMDR-1A互換に改造

 先日手に入れたフォステクスのT50RPmk4。バランス接続を行う為の3.5mmジャックのアサインを変更し,MDR-1Aと同じにする改造をやりました。

 別案として,改造ではなく,変換ケーブルを作る事も考えました。部品も揃っていたのでやろうと思えば出来たのですが,それだとやっぱり取り回しが悪くて嫌になることが目に見えています。

 T50RPmk4を分解して調べてみると大した改造もしなくて済みそうで,いざとなったらすぐに元に戻せそうです。

 ということで改造に踏み切りました。いやー,届いたその日に改造とは。

 改造の方針ですが,T50RPmk4とMDR-1Aの本体側のジャックのアサインの違いである,根元のR-とL-が入れ替わっているのを,MDR-1Aにあわせてしまいます。問題は,その作業をどんな風に行うか,です。

 下の写真はL側の基板です。写真が下手で申し訳ない。

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 基板の下側に4つのランドがあり,L側はこのうち右の2つが使われています。白が-,青が+,それぞれがドライバと繋がっています。

 一方でR側は下のようになっています。

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 R側はL側と違って,下の4つのランドの左側2つを使っています。今回はR-とL-を入れ換えますので,左から一つ目と右から二つ目を図のように入れ換えると上手くいきます。

 具体的には,まずL側は白い線を外して左端にハンダ付けします。次にR側は白い線を外し,右から二つ目にハンダ付けします。これだけです。

 改造によるデメリットはなく,付属のアンバランスのケーブルも当然使えますし,音質の劣化なども理屈の上ではありません。(ただ,渡りケーブルって結構抵抗値が大きいので,左右のジャックを差し替えると音が変わるかも知れませんが,それは無改造でも同じ話です)

 当然のことですが,純正のバランスケーブルは全く使えなくなります。

 MDR-1Aが2014年,フォステクスのバランス接続のアサインが決まったのは2017年のT60RPがきっかけですから,これだけの時間差ならMDR-1Aにあわせてくれてもよかったように思います。実質的にMDR-1Aのアサインが標準になっていますしね。

 ということで,作業そのものは5分もかかりません。分解もこれまでのT50シリーズと基本的には同じ方法ですので,イヤーパッドを外して上下左右の4本のビスを外してしまえば,パカッと本体が2つに分かれます。

 するともう先程の基板が見えてきますので,ハンダゴテで筐体を溶かして泣いてしまわないように慎重に配線を入れ換えます。

 終わったら組み立て直してテスト。まあ,間違いようがない改造です。

 ということで,改造によってバランス接続が出来るようになったわけですが,さすがにその差は歴然。セパレーションが上がった事で,それぞれの楽器の輪郭が明確になりました。これだけ違うと,出来るだけバランスで繋ごうと思うようになりますね。

 そんなに難しい改造ではなく,元に戻すのも簡単,綺麗にまとまるのに副作用はありませんので,同じような問題で頭を抱えている方がいらっしゃったら,この方法で解決するのもありだと思います。


 ところで,数日使ってみてT50RPmk4の印象が変わって来ています。楽器の分離の良さや定位,すーっと高音が伸びて行く感覚はさすが平面振動板と思うのですが,あれほど違和感を感じずに使っていたMDR-M1STが,もう我慢ならないほど嫌な音になっていました。

 いやほんと,慣れるって恐ろしいと思うのですが,今慣れているヘッドフォンから別のヘッドフォンにしたときに,やはり差が大きなと思うものほど,それに慣れたときの反動は大きいもので,戻したときに「ひどい音だ」と思う前に,変えたときにも「こりゃひどい」と思うものです。

 今回のケースだと,MDR-M1STからT50RPmk4に変えたときに「こりゃひどい」と思ったなら,T50RPmk4に慣れた頃にMDR-M1STに戻して「嫌な音だ」と思う事に何の不思議もありません。

 しかし,今回は違っていました。MDR-M1STからT50RPmk4に変えたときには,高域が良く出ているなという印象こそあったものの,とてもバランスが良い音に聞こえたのです。この段階で私は,MDR-M1STに近い音にチューニングされていて,モニターヘッドフォンというのは,最終的に同じような音に収れんしていくのだなと思ったのです。

 しかし,T50RPmk4にすっかり慣れてからMDR-M1STに戻すと,もうその違いが絶望的で,本当に嫌になるほどでした。高音がどうの低音がどうのという話ではなく,もう音がざらついているというか,聴くに堪えないというか,そんな印象に変わっていたのです。

 理由はよくわかりませんが,とりあえずT50RPmk4が,現在のうちの常用機になることは決定しました。MDR-M1STは決して悪いヘッドフォンではないと思うし,そこは間違っていないと確信もするのですが,どうもT50RPmk4に前にはくすんで見えるということだと思います。

 

さようなら,東芝未来科学館~その5

 東芝未来科学館の5回目,身近な家電品です。

(9)国産初の電気冷蔵庫 SS-1200(1930年)

 加熱,冷却は今では当たり前で珍しくもないのですが,考えてみるとこれは大変なことです。発熱も吸熱も化学的あるいは物理的な性質に頼るほかありませんが,エネルギーの供給をどうするかという問題と,温度をいかに制御するかという問題が解決しなければ,利用することが出来ません。

 どちらも強い要望があり,つまりは商売になるからということで開発が進んだ結果だといえるのですが,それにしてもものを燃やしたり,抵抗に電気を流せば済む発熱に対し,吸熱はなかなか大変だったろうなと思います。

 この電気冷蔵庫は現在主流のヒートポンプ式で,原型はアメリカGE社のものです。当時の小学校の先生の年収に匹敵する金額だったというから,どんな人が買った(買えた)のでしょうか。

 戦後の高度経済成長期に電気冷蔵庫が一気に普及し現在に至るわけですが,そのことで食品の売り方や買い方が大きく様変わりします。夕飯を作り始める直前に近所の魚屋や肉屋にその日の分だけ買いに行き,買ってきたらすぐに調理を始めるという方法しかなかったものが,現在は一週間分の買いだめが可能にほどになっています。まさに冷蔵庫さまさまです。

 とはいえ,それまで家庭に冷蔵庫がなかったのかいえばそうでもなく,氷を入れて冷やす冷蔵庫は普及していました。氷ですから,定期的な供給が不可欠ですので,そのために街に一つは必ず氷屋さんがあったと聞きます。

 私が子供の頃はまだ氷屋さんがありましたが,それもいつしかなくなってしまいました。氷で冷やす冷蔵庫もギリギリ見た事があるのですが,容量も今の独身者用の冷蔵庫よりももっと小さく,現在の冷蔵庫に求められる役割を果たせるようなものではありません。どんな使い方をしていたのか,知りたい所です。

 さて,このSS-1200ですが,せっかくだからとアテンダントの方が特別に扉を開いて見せてくれました。それがこの写真です。

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  中を見るまではドキドキしていましたが,開けてみると案外普通。アテンダントの方も「普通でしょ」と言われたことを記憶していますが,それだけ冷蔵庫の基本機能に変わりはないということでしょう。

 ただ,すごいなと思ったのは製氷皿があることでした。つまりこの冷蔵庫は氷が作れるという事なのですが,氷は庶民にとって手軽なものではなく,一般家庭で常備できるようになるというのは画期的なことでした。

 氷式の冷蔵庫は当然氷など作れるはずがありません。だからこそ氷屋さんが商売として成り立っていたわけですから,電気を使って冷却することの目に見える進歩は,おそらく氷が家で作れることにあったのだろうと想像します。


(10)ゆで卵器 BC-301(1959年)

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 卵は昔から日本人のタンパク源として重用されてきました。ゆで卵は食べやすく,持ち運びも困らず,高度経済成長くらいまでは歩きながら食べられるファストフードのような役割を果たしていたと聞きます。

 私もゆで卵は好きですが,難しいのは作ること。茹でると言いつつ適当に茹でてしまうと半熟だったり(私は柔らかいのはだめなのです),殻がくっついてむけなかったり,白身が飛び出してしまったりと,上手くいった試しがありません。

 それ以前にそれなりの時間がかかり,調理中完全に眼を放すわけにもいかないところが,私に取ってあまり親しみのある調理方法ではない理由かも知れません。

 このゆで卵器は1959年ですので,高度経済成長前夜の商品。戦後の電力不足が落ち着き,各家庭で灯りとラジオ以外に電気を使う製品で生活を豊かにと言う機運が高まると共に,各家電メーカーも創意工夫を凝らし,あの手この手で新商品の開発に夢中だった時代です。

 ジューサーや餅つき機などのこうした電気を使ったニッチな用途向けのキワモノ商品のうち,結局生き残ったのは炊飯器くらいのものだと思うのですが,このゆで卵器は今でも欲しいと思わせる商品です。

 だって,ここに水と卵を入れて放置するだけでゆで卵が出来上がっているんですよ,こんな便利はものはないでしょう。


(11)芝浦電気扇 C-7032(1928年)

 これは日本で最初の扇風機とは違って,一般家庭に普及し始めた頃のものです。原理的には現在売られているものと変わらず,交流100Vで動作し,風量の調整も首振りも可能なものです。これ,戦前の100年近く前のものですからね,

 その意味では,これをここで採り上げることもないのですが,アテンダントの方の計らいで,実際にうごかして頂いたので採り上げました。

 動いてしまえば今の扇風機となにも変わりません。風邪もしっかり来ますし,首も振ります。独特の風斬り音も今のものとそんなに変わりません。

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 感心したのが,現在一般家庭に普通に供給されている交流100Vで動作するということです。例えばですね,20年前の携帯電話を持っていたとして,これが今使えますか?

 カセットテープはまだいいとして,オープンリールテープが出てきても,これを再生することはかなり難しいはずです。

 ブラウン管のテレビはどうですか?ミニディスクだって大変でしょう。フィルムのカメラでも,110フィルムと呼ばれたカートリッジフィルムを使うポケットカメラなんか,かなり難しいんじゃないでしょうか。

 そう,大切に持っていても動かす事が出来ないのが当たり前であるなかで,今もそのまま一般家庭で使えることを目の当たりにすると,システムの継続性がいかに大切な事かを痛感します。


(12)マツダ電気蓄音機オリオン800号(1933年)

 1933年といえば,日中戦争が起こる4年前,そろそろ世の中がきな臭くなり,対象から昭和の初期にかけての自由な空気が変わるころです。

 真空管の発明に端を発したエレクトロニクスは,リアルタイムで音声を飛ばすラジオと,過去の音声を何度も再生出来るレコードの2つのオーディオ製品を一般的なものにしました。

 とはいえ,本場アメリカでも高価だったものが,当時100%もの関税をかけて輸入されたされたのですから,まさに家一軒のお値段。そこにさらにレコードを買う必要も出てくるとあれば,本物のお金持ちしか買うことが出来ません。

 ゼンマイとラッパを持つ蓄音機の価格よりもずっと高価だった電気蓄音機がこうした立派なキャビネットにおさまっているのはそうした理由からでしょうが,これも偶然実際に音を出してくれている場面に立ち会うことが出来ました。

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 当然SP盤なのですが,これが想像以上にいい音がするんですよ。もちろんノイズも多いし,強弱はつかないし,高音は出ないのですが,低域の豊かさと中域の艶やかさは素晴らしいものがあります。これを100年前の人が聞いたら,そりゃー感激するはずです。

 ちゃんと調べていませんが,当時の高級電蓄では2A3がよく使われたと聞きます。これももしかしたら2A3かも知れません。

 

 本当はもっともっと紹介したいのですが,きりがないので今回で最後です。

 繰り返しになりますが,今回紹介したものだけでも,東芝という会社が果たした先駆的な役割は大きなものがあると思います。

 我々はあまりその事実を知りませんし,東芝も声高に言いはしません。ですが,私のような興味のある人が知っているというだけではもったいなく,もっと広く知られてもよいと思います。。

 東芝という会社は我々からとてもとても遠いところに行ってしまいましたが,身近だった時代でさえも控えめだったことは否めません。今からでも構いません,日本の電気は全方位で東芝が先頭に立ってきたと,胸を張ってアピールしてくれたらなあと,そんな風に思います。

 

T50RPmk4を買った

 いいヘッドフォンが欲しくて,ATH-M7PROXというモニターを,それこそ一生もののつもりで買ったのが高校生の時でした。

 というか,ATH-909か何かを試聴もせずに買ったはいいわ,自分の欲しい音と全然違って泣きくれていたところ,まさかの断線で音が出なくなり,初期不良でATH-M7PROXに交換してもらったという経緯があった経緯があって思い出深いのですが,正直そんなことはどうでも良くなるくらい,長く愛用したとても大切な1台です。

 結局10年以上,私の基準となった本当に良いヘッドフォンだったのですが,これも悲しいかな2000年頃にドライバの断線で音が出なくなり,泣く泣く廃棄しました。

 長年連れ添った嫁さんに先立たれた老人のように,ボロボロになりながら秋葉原を彷徨いましたが,M7の後継に当たるモデルは存在せず,チャラいM5しかありません。

 そんななか,無骨で不細工,しかもお安いモニターヘッドフォンが目に入り,買って帰ったのが初代T50RPでした。確か2004年頃です。

 効率が悪く音が小さく低音も出てこず,着け心地は悪く耳も頭頂部も痛くなると言う拷問のようなモニターでしたが,定位はしっかりしており,その解像度も素晴らしいものがありました。

 耳が慣れてくるとこのヘッドフォンでなければダメ,と言うところまでいってしまい,依頼私の基準はT50RPになりました。(当時の感激が艦長日誌に残っています)

 2016年,初代のイヤーパッドも何度か交換してきましたが,最大の弱点だった高音が出るようになったと耳にして,T50RPmk3nを買いました。これもなかなか良いヘッドフォンで,うちの基準器になりました。

 しかし,これも7年が経過したところでヘッドバンドがボロボロになり,一銭からい退くことになりました。イヤーパッドも何度か交換して使っていましたし,バランス入力対応に改造もしたのですが,やはり見た目は大事です。

 それで現在のうちの基準器は,ソニーのMDR-M1STなわけですが,巷の評判の悪さを私自身は実感せず,結構気に入って使っています。周波数レンジは十分に広く,解像度も悪くないのですが,空間の表現力が乏しく,平面的なところは「モニターだし」という変な言い訳で切り抜けている感じが否めませんが,楽器を演奏するときに使うヘッドフォンとしては悪くないので,何だかんだで手元にあるのは,こいつだったりします。

 ただ,これが楽しいかといえばそんなことは全然ないので,やはりT50RPだよなーと思っていたところ,まさかの新製品が出ると言うじゃありませんか。

 私はRPシリーズでもT50意外にはあまり興味はなく,あくまでT50RPの後継機が出たから興味を持ったに過ぎないのですが,見たところ欠点の1つだった装着性は大幅に改善されているようですし,買ってみることにしました。

 しかし,値上がりしましたねー。4万円近い値段です。初代が1万円を切っていて,mk3nが17000円弱,これが一気に38500円ですから倍以上です。いくら何でもと思うのですが,ヘッドフォンが全体的にインフレ状態で,物価の上昇以上に値上がりしている(高級化しているわけですね)現状では,やむなしという所でしょうか。

 どうせ買うなら予約して発売直後に手に入れようと,ヨドバシ.comが13%ポイント還元のうちに予約したT50RPmk4が,今日届きました。

 まだ聴き込んでいませんが,さっと第一印象から。

・見た目

 ごっつくなっています。イヤパッドはダンプカーのタイヤみたいで,大げさです。10年ちょっと前,こんな感じのヘッドフォンがソニーから出ましたが,その時は「重低音モデル」だったように思います。

 その見た目は音がキワモノだったから許されたのですが,今や正確を売り物にするモニターでさえもこんな見た目ですからね,私のような落ち着いたストイックなデザインが欲しい人は,なかなか難しい時代になりました。

 ただ,それも機能性から考えると正解で,T50RPシリーズの弱点の1つだった装着感の悪さは大きく改善し,普通のヘッドフォン並になりました。包み込むような優しいタッチのイヤーパッドは快適ですが,この遮音性の高さがセミオープンのT50RPシリーズにどういう影響を与えているのか,興味がわいてきます。

 ヘッドバンドも改良されていて,頭が痛くなることはなくなりました。とはいえ,素材がmk3nから大きく変わった感じはしないので,数年もするとボロボロになるんじゃないかと思います。

 mk3nは,オレンジのコードや白地の大きなロゴが目立つ派手なデザインで,これはこれで面白かったのですが,mk4では一転して地味なモノトーンになりました。おかげで左右がぱっと判別出来ない(これはジャックが左右についているからでもあるんですが)という弊害もあります。

 ハウジングのデザインも変わっているので,T50とわからない丸い感じが印象的ですが,これもまあいずれ慣れてくるでしょう。


・使い勝手

 さっきも書きましたが,ケーブルが左右どちらにも刺さるので,取り回しがかなり楽になるはずです。私は左から出す人ですが,時々右に出したいときもあるので,この工夫は拍手です。

 相変わらず重たいし,側圧も強めなのですが,これはこれでモニターしてるぞと言う気分もありますので,T50RPの個性として受け取っておきましょう。


・音

 肝心の音ですが,T50RPシリーズの弱点を確実に潰してきた音です。伸びる高音を,しっかり据わった低音で支えて,バランス良くモニター出来ます。RPでもここまで出るかと思うほど豊かな音だと思います。

 悪く言えば普通のヘッドフォン並の音になったと言っても良いので,感動は薄いのですが,それでいてRPの特徴である定位の良さ,解像度の高さ,そして空間再現性の高さは保っていますので,例えばMDR-M1STに比べて,聴いていて楽しく,そのくせ正確なモニタリングも出来るとあって,大変好感触です。

 もう1つ大事な事として,効率の改善があります。これまでのT50RPでは,インピーダンスが高く,音が小さい,アンプのゲインが足りないということが起きていました。

 しかしmk4ではかなり改善されており,ダイナミック型には及ばないものの,問題となるシーンは少ないと思います。効率の良さは元気の良さでもあります。前に出る音が手に入ったことは,T50RPの弱点を1つ克服したことになるでしょう。


・欠点

 なんでこうなった,という欠点の1つが,本体側のジャックのアサインです。MDR-1Aタイプと異なるアサインになっているので,バランスケーブルを流用しようと思っている人は要注意です。

 付属のケーブルはもちろん,MDR-1Aのアンバランスケーブルなら問題ないのですが,こういうことになるとケーブルの選択肢が限られてくる上,同じ形状でも互換性のないケーブルが溜まってくるので,勘弁して欲しいなあと思います。

 いろいろ考えたのですが,これはもう本体を改造して,MDR-1Aタイプにするしかないと結論しました。改造は簡単ですので,買ったばかりの新品を改造することに抵抗がなければ,やってもいいかと思います。改造法は後日。


・まとめ

 T50RPの弱点は確実に解消されていますが,見方を変えれば「普通のヘッドフォン」になってきたといういことでもあります。良くも悪くも個性が薄くなったと言えます。

 価格も4万円,実売で35000円程度と高額になりましたし,積極的にT50RPmk4を選ぶ理由は減ったと個人的には思います。

 もちろん,位相特性や定位,空間再現性は素晴らしいですが,この値段なら他にもいいものはいくらでもあります。

 ゆえに,万人にお奨めするようなヘッドフォンではなくなりましたが,それでも他と肩を並べたことには違いなく,一度は検討しなければならないモデルになったことは間違いないでしょう。

 それにしてもごっつくなったなぁ(見た目も値段も)

 

さようなら,東芝未来科学館~その4

  東芝未来科学館の4回目,今回は半導体です。

 前回も書きましたが,東芝は電球を祖業としていて,電子管でも確固たる地位を築いたメーカーでした。

 能動素子である電子管のトップメーカーになったことから,次の世代の能動素子であるトランジスタへの移行は既定路線で,当然のようにICやLSIでも先頭を走り続けます。

 総合電機メーカーが半導体を手がけるのは日本独自の傾向と言っていいかもしれないのですが,自社の家電が大きな商売になっていて,半導体の大口顧客が確実に存在したことに加え,ICやLSIが自社製品の競争力を高めると言ったような互いにメリットのある関係が,日本の半導体を底上げしてきたと思います。

 アメリカの半導体が軍事に支えられて発展したことは有名ですが,日本では家電がその役割を担いました。だから,日本のメーカーはDRAMなどのデジタルだけではなく,民生用のアナログ半導体も世界最強だったのです。

 日本の家電が凋落し,同時に日本発のユニークなアナログ半導体も存在感を失いました。東芝もその1つですが,皮肉なことに中国や台湾の半導体メーカーが東芝生まれの民生用アナログ半導体の互換品を生産してくれています。

 いわば世界標準になったということですが,1980年代,アメリカやヨーロッパのICの互換品を日本の各メーカーが生産していた時代に,私などは日本のオリジナル品種を海外メーカーが互換品として生産する日が来るのだろうかと思ったものです。

 まさに今そうしたことが起きているという事に,隔世の感があります。

 それから,これも過去に書きましたが,東芝はアマチュアに優しいメーカーでした。東芝のトランジスタやダイオードは高性能で安くて入手しやすいことから自作の標準部品として君臨しますし,子供向けの工作の雑誌には広告も出してくれていました。

 そういうこともあり,私にとって東芝の半導体は育ての親のようなもので,もう少し展示を増やして欲しいと思っていたのですが,まさか一般公開をやめることになるとは・・・


(7)NANDフラッシュメモリ TC584000(1990年)

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 今や半導体メモリのテクノロジーリーダーとなったNANDフラッシュ。書き換え可能,電源を切ってもデータは消えず,しかもHDDを置き換えるほどの大容量を実現したこの記憶素子は半導体の新しい応用分野を切り開きました。これも東芝の発明品です。

 もちろん,記憶素子は以前からありました。古くは水銀遅延線,後に主役となったコアメモリは電源を切ってもデータが消えないメモリでした。

 半導体を使ったメモリはフリップフロップを応用したスタティックRAMと,コンデンサに電荷を蓄えることで記憶するダイナミックRAMが大きく発展します。前者は回路技術で,後者は素子の特性で記憶を行うメモリという根本的な違いがあります。

 一方で,スイッチとして機能するトランジスタのゲートに,あらかじめ電荷を閉じ込めておくことで半永久的にそのトランジスタをON/OFFしておく,書き換え可能な読み出し専用メモリ(ROM)が登場します。

 実はトランジスタ1個で1ビットの記憶が可能なROMは,読み書き可能なRAMに比べて集積度が高く,同じ世代では最も大容量を実現出来ていました。しかし,電気的に書き込みが可能なEEPROMについては書き込みや消去の回路が大きく,なかなか普及しません。

 そこでインテルが,消去や書き込みをバイト単位ではなく,ページというもっと大きな単位で行うフラッシュメモリを開発,一気に市場が大きくなりました。

 そんな中,NANDフラッシュが登場します。NANDフラッシュは隣り合うFETを部分的に共用することで,1ビットの記憶を平均1個以下のトランジスタで実現しました。

 ただし,読み書きには強い制限がつきます。コントローラでその制約を隠蔽化して各種メモリカードに搭載されるようになって,大きな市場を手に入れました。

 1998年頃だと思いますが,それまで高価だったコンパクトフラッシュがいきなり半額ほどになったことがありました。これがNANDフラッシュの実用化によるものだったと知るのは,もう少し後のことです。

 写真は4MbitのNANDフラッシュ,TC584000です。世界で最初に市場に投入されたNANDフラッシュです。

 容量は4Mbitですから512kバイトですが,4Mバイトという当時大容量のメモリカードがわずか8チップで構成できるという事で,HDDなどの回転系メディアの独壇場だった外部記憶装置が,いよいよ半導体に置き換わるんじゃないかという気配を感じました。

 そんなNANDフラッシュも,今や東芝の手を離れ,別の会社として開発と生産を担っています。半導体は文字通り桁違いのお金がかかるので,経営者に熱意や意地がなければ続けられないものですが,本当に危険なギャンブルという性質が強いだけの産業なら,とっくの昔になくなっていても良さそうなものです。

 でも,実際にはそのギャンブル性はおさまるどころかますます強まりながら,技術の進歩と各国の思惑を飲み込み,今も巨大産業として君臨しています。

 総合電機メーカーが半導体を手がけるデメリットは,特に半導体に思い入れも興味もない人が経営者になったときに,簡単に撤退や縮小が起こってしまうことにあるのかも知れません。


(8)1MbitダイナミックRAM TC511000(1984年)

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 コンピュータにとって記憶装置は不可欠な要素なのですが,かつてはとても作るのが大変な代物でした。10個や20個の記憶ならいざ知らず,数百数千数万もの記憶素子を規則的に並べ,しかもエラーがないように作るというのは気が遠くなるような話ですし,事実黎明期のコンピュータにとって頭の痛い問題は,このメモリをどうするかでした。

 最初期にはフリップフロップを用いたり,コンデンサを使ったもの,磁気ドラムなどもメインメモリに使われた例があるようですが,どれも大量生産に向いておらず,高価なものでした。

 やがてコアメモリが多く使われるようになりますが,これとて電気-磁気変換を応用したものでしたし,米粒のようなコアに銅線を縦と横に通すという,まさに「編む」という作り方でしたから,小型化,大容量化,低価格化には限界が見えていました。

 そこに登場したのが,ICメモリです。ICはフォトマスクから同じ物がどんどん生産でき,歩留まりが上がれば価格も一気に下がります。まさに印刷であり,これを単純な阻止が多数集まったメモリを作るのに最適と考えるのは自然な流れでしょう。

 まずはフリップフロップを集積したスタティックRAMがICになりました。シフトレジスタという形で数個からスタートしたスタティックRAMは,数十,数百と容量を増やしますが,表面化したのは消費電力です。

 例えば,256bitのチップ(インテルの1101Aなど)で1kバイトのメモリを構成するには32個のチップが必要です。それでも1kバイトというメモリをたった32個のICで構築出来ることは画期的な事だったのですが,この時の消費電力は1チップあたり最大685mWなので実に20Wを越えます。

 ここでインテルは次の一手に出ます。ダイナミックRAMです。コンデンサに電荷を蓄えて記憶するメモリですが,スタティックRAMに比べてトランジスタの数は1/4で済みます。

 つまり,同じ世代のICなら,スタティックRAMの4倍の容量になるわけで,事実先程の1101Aと同世代の1103は1kbitの容量でした。ということは,1kバイトのメモリはたった8個で作る事が出来るわけです。

 ただ,コンデンサの電荷は時間が経つと抜けてしまいますので,定期的に再書き込みが必要です。こうした欠点を持っていながらも,ダイナミックRAMは今なおコンピュータのメインメモリとして王座を守り抜いています。

 さて,4kbit,16kbitとアメリカのメーカーの後塵を拝し,互換品メーカーとして少しずつ規模を拡大しつつあった日本の半導体メーカーですが,1970年後半に世界に先駆けて64kbit品の開発に成功,その後数世代にわたって大容量品の開発をリードし,品質の高さも相まって世界市場を席巻します。

 そんな中,東芝は64kbit品の開発の後れをとり,存在感が希薄になってきました。ある新聞には東芝がダイナミックRAMから撤退する,とまでかき立てられる始末ですが,ここで東芝は256kbit品での勝負を捨て,一気に1Mbit品の一番乗りを目指すことになります。

 当時はちょうど,プロセスがNMOSからCMOSに切り替わる時期で,東芝はこの1MbitのDRAMをNMOSとCMOSの両方で同時並行で進めました。最終的にCMOSが有利とみて製品化されたのはCMOSだったわけですが,実はこの製品によって,汎用のダイナミックRAMはCMOS化に舵を切ることになるわけです。

 その点では,単なる大容量化ではなく,現在当たり前になっているCMOSのダイナミックRAMの第一号だったわけで,特に消費電力の低減に威力を発揮して,その後のメモリの歴史を書き換えるのです。

 写真はそのCMOSダイナミックRAM,TC511000です。

 東芝はその後4Mbit,16MbitとダイナミックRAMを主力商品として開発を続けますが,その後は韓国企業の追い上げと価格競争に敗れ,撤退を余儀なくされます。他の日本のメーカーも同じような状況でしたが,かつてインテルが日本のメーカーに敗れて祖業であったダイナミックRAMから撤退したことと重なって見えたものです。

 

 さてさて,今回紹介したのは展示があったものですが,本当なら以下の展示もあって当然だと思っています。


・世界初の自動車用エンジン制御マイクロプロセッサ T3153(1973年)

 アメリカのフォードの要求で開発された,世界初のエンジン制御用のCPUです。世界初のCPUとは言いませんが,4bitそこらの電卓用CPUでリアルタイム制御が出来るはずもなく,タンスくらいあった12bitのミニコンをLSIで作ったものです。

 当時,PDP-8などのミニコンピュータは生産設備や計測機器の制御にも使われていて,エンジンの制御も当初ミニコンで実験されていたそうです。

 これをそのまま自動車に搭載可能に,というフォードの要求はまさに無茶で,トランクに収まるくらいが現実解だったことでしょう。

 でも,それではコンピュータを運んでいることになるわけで,エンジンの付属品として実用に供されるには,やはりLSI化しか答えはありません。

 ただLSIで作ると言うだけではなく,振動,高温や低温,寿命や信頼性という点で桁違いのスペックを要求される車載半導体における,世界初のCPUです。もっと注目されてしかるべきでしょう。

 面白いのは,このCPUはマイクロプログラム方式で作られていました。そう,KT-Pilotです。改良版のT3190では乗除算命令が追加になりましたが,これもマイクロコードで実装されていたそうです。


・トランジスタ

 世界の標準品種として使われる2SC1815は,1970年代に登場した2SC372を源流とします。2SC372から2SC1815,そして2SC2458から2SC2712と,その基本性能は変わらず現在も親しまれています。

 もちろん,2SC372以前にも標準品として2SB56といったベストセラーがあり,当時のトランジスタラジオにはよく使われていました。トランジスタの生産量がアメリカを抜いて世界一になった頃の製品です。

 FETについても実は大きな足跡を残しています。初期のFETである2SK19は高周波用として,2SK30Aは低周波用として現在も使われているロングセラーです。東芝の半導体は日本のオーディオブームも性能と価格でささえましたが,2SK170や2SK389,2SK405などはその音質で定評がありました。

・スマートメディアとSDカード

 NANDフラッシュの発明は前述の通りですが,その応用製品としてスマートメディアは異色でした。

 当初,SSFDC(Sold State Floppy Disk Card)と呼ばれたものですが,いってみればNANDフラッシュをカードサイズにパッケージしただけのものでした。

 記憶が正しければセガのデジカメに初採用,その後デジカメブームにのっかって,当時の有力メーカーである富士フイルムとオリンパスに採用されたことからメジャーなメディアになりました。

 しかし,容量アップやプロセス進化,電源電圧の低下といったNANDフラッシュそのものの違いがそのまま外部に出てしまうことから,本体側での対応が必須で互換性の維持が大変で,いずれ破綻することは目に見えていました。

 さて,SDカードも実は東芝が開発メーカーです。厳密には東芝と松下電器の共同開発で,ドイツのシーメンスが開発したMultiMediaCardに著作権保護機能を追加して,音楽や映像を記録する媒体として登場しました。

 デジカメの市場が拡大するに従ってコンパクトフラッシュ,メモリースティックと激しい覇権争いが起こりましたが,さすがにNANDフラッシュを自ら作る東芝が主導するだけあって,容量や速度で常に先頭を走り,小型メモリーカードを制しました。

 日本初の規格が世界を制覇するケースは未だにそんなに多いわけではなく,しかも現在進行形で先頭を走っているSDカードが日本生まれであることを,もっと知って欲しいなあと思います。
 

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